第81話 後輩メイドの確信。
「あのさ、九重君。少し付き合ってもらっても良い?」
初日、最低限明日の準備を終えた私は、鞄を担ぐ彼にそう声をかけた。
「布良さん。どうしたんだい?」
「ちょっとね、話しておきたいことがあってさ」
何かを察したのか、彼は静かに頷いて、先導するように歩き出した。向かって行く先は住宅街、の中にポツンとある喫茶店。駅前からそこまで離れているわけでなく、この辺に住んでいる人は仕事帰りに寄るのに丁度良い位置にある。
少なくとも今言えることは、高校生が入るには少しハードルが高そう、ということだ。しかしながら九重君は躊躇うことなく入っていく。
彼が選んだのは個室の席。話すなら確かに、これ以上の場所は無い。メニューを開く。
「た、高いね」
「? そう?」
「金銭感覚の違いを感じたよ」
ケーキセットの値段、四桁か……。財布の中身を素早く計算。少なくとも会計で絶望することになるのは間違いない。
「まあ、あんな仕事してたらね」
あれで安月給だったら割に合わない。
「広めないでくれてありがとう」
そう言って頭を下げられる。真面目な人だな、なんて思ってしまう。
「広めないよ。得ないし。私の人格が濁るだけ」
「君が人格者で助かったよ」
違う。そんなんじゃない。私は、良い人なんかじゃない。
「違うよ。善人なんかじゃなくて、そうあろうとしてるだけ」
そう。私は酷い人だから。
私は、嘘つきだから。
九重君の顔が少し困ったように見えたので、メニューをもう一度開いて見せる。そして、夏樹印のスマイルって奴を見せる。
「うん、注文、しよっか」
一旦考えるのをやめて、お店への敬意を思い出す。そうだ、選ぶ段階から楽しむのが、提供する人たちへの敬意だ。
「……何食べよ。どのメニューにも自信を感じる……コーヒーも紅茶も、力が入ってる。ケーキは、チーズかな。紅茶の方が人気に見える。よし、決めた。九重くんは?」
私はチーズケーキと紅茶のセット、九重君は紅茶をコーヒーに変えてセット。注文して後は待つだけ。
「同じテーブル囲んで美味しいもの食べたから友達で良い?」
メニューが届いて、まずは紅茶の香りから楽しんで、味は爽やか。すんなりと飲めてしまう。うん。良いな、これ。
それから私は、マイルールを発動した。
「良いよ。悪い人じゃないのは、確かだし」
一瞬戸惑ったけど、少しだけ柔らかく笑って、彼はそう言った。うん。そうだ、私は善人じゃないけど。
「あは、それは保証するよ」
悪人ではない。酷い人ではあるけど。
「んで、話って、なんだ?」
「ふーむ。ケーキ食べてからで良い?」
「……どうぞ」
焦ることなんてない。甘味で頭と身体、心を満たしてからでも決して遅くはない。と私は思うんだけど。
「そんなじっくり観察されても困るな」
「すまん」
「視線の圧が凄いよ」
「申し訳ない」
彼は違うらしい。内面の隅々まで見通そうとする視線が、注がれる。視線が鋭いからか、なんかチクチクした。
ケーキに視線が移って、ホッと息を吐いた。やっぱ死線を潜ってる人って凄いなぁ。
マグカップも残り半分。喉も口も潤ったところでと。
「さて、話したい内容なんだけど。さっきの……霧島君、たったかな……彼のこと」
「あいつがどうした?」
「あんまり、相馬くんに近づけたくないな、って」
「ふぅむ」
それには九重君も納得したようで、一つ頷く。
「まあ、合う合わない、あるだろ。近づけたくないなら、俺の方でも気をつけておこう」
「ありがと。相馬くんはちょっと、メンタル、折れやすいから」
「そうなのか?」
意外そうな顔をされるが、そうだ。彼は折れる。折れるけど。
「倒れた心を引きずって、折れた心を無理矢理繋いで折れてない振りして、そんな風に戦う人だから」
「それはまあ、あぶねぇな」
彼がいつ耐え切れなくなって、誤魔化して無かったことにした分のツケを払うことになるのか。
痛みを耐えられても、無視できても、傷を受けた事実は決してなくならないから。そして。
「霧島君は、多分、容赦なく、そこを突いてくるタイプ」
「間違いはないが、それをやる理由、あるのか?」
「その話、混ぜてもらっても良いですか? 先輩方」
九重君の視線に釣られてい後ろを向いた。
スカートの裾をつまみ、左足を内側、斜め後ろに引き、腰をそっと下げる。その優雅で上品な仕草に、頷くこと以外の選択肢があっさりと消えた。
「いやー、すいません。気になって着いてきたら、物凄く入りづらいお店に入っていかれたので、少し勇気がいりました」
さて、雰囲気をこちら側のペースに傾けることには成功しました。
「うん、で、何の用なんだ?」
「着いてきただけ……」
「だったら、店に入ってくる必要も、話に混ざる必要も無いだろ」
だが、九重先輩は、一筋縄ではいかないようで。やはりこの人、手強い。
仕方ありません。あまり好きなやり方ではありませんが。
「……そうですね、正直に言いますと、布良先輩と同じことを感じたので、九重先輩に一度、話しておきたいな、と考えていましたので」
「ふむ」
「霧島さん、明らかな敵意の味がする視線を、相馬先輩に向けていたので」
「……わかった、俺の方から探ってみるよ。だから今日は、朝比奈さんも何か飲んでいくと良いよ」
「……そうですね、では」
あっさりと話をまとめられてしまう。狙い自体は達成できたけど、この人相手に駆け引きは、私には分が悪いらしい。
「では、ケーキセットで」
それから、紅茶一杯分の時間。他愛の無い話題が湧いては消えていく、そんな時間を過ごした。
「そういえば、朝比奈さん。広めないでくれて、感謝します」
「?……あー、あれのことですか。いえいえ、お気になさらず」
秘密がある身の気持ちはよくあるし。握ってる秘密は有効に活用したい。切り札は雑に切ったりしない。カードゲームの初心者じゃないんだ。
「では、また明日」
「あぁ」
夏樹先輩を見送って。私たちも帰路に着く。と言っても、住んでる街は同じだ。
電車を降りる。一緒にいて落ち着く人であるのは間違いない。悪感情も感じない。澄んだ人だ。
「さて、私も早く帰らないと」
「送ってくよ」
なんて、さらっと当然のことのように言ってくる。
「あ、あはは。ありがとうございます。……そうですね、素直に甘えさせていただきます。でも先輩、彼女がいる人が、こんな風に女性と会うの、どうかと思いますよ?」
「あー」
カラスが鳴く夕暮れが終わり、空の舞台は夜に切り替わる。
九重先輩は頭を抑え、ため息を吐き、困ったように首元を抑える。
「今までそんなこと、考えたこと無かった、って感じですね」
「あー。いや待て、俺、彼女いるって言ったっけ?」
「見ればわかりますよ、そんなの。萩野先輩、ですよね」
自分が一番可愛く見える角度を見せて、しっかりとウインクを決める。はい。多分余程女慣れしてる男子でない限り今ので落ちます。
まぁとりあえず今日は。九重先輩と少しお近づきになれた。これで良しとしましょう。この人が、相馬先輩の男の友人になれれば私の狙いは達成される。
さて、その前に。調べられてる可能性はあるけど、一応、誤魔化しておこう。ちゃんとこっちに帰る正当な理由もあるし。
「あっ、ここですね。ありがとうございました」
ペコリと頭を下げて、アパートの階段を駆け上がる。鍵を開けて中に入る。ちゃんと手を振るのは忘れない。
ここは、私が派出所から提供されてるアパートの一室。隣は陽菜先輩用の部屋だ。一切使われていないけど。月一で掃除はしているらしい。
でも私は週に三回、ここで何時間か休息を得る。ここ最近は来れてなかったけど。
ここは、例えば学校から家庭訪問が来るとか、何かしらを疑われた時のために用意している部屋。他にも、通知表などの郵送物も、ここに届く。
「はぁ、疲れた」
ゲーミングチェアに座り。ヘッドセットをつけて、PCの電源をON。こっちに来てから全然できていなかった。折角運んでもらったのに。
基本的にPvE。モンスターとかNPCとかそういう、ゲームが用意してくれる敵を倒す。PvPはストレスたまるからあまりやらない。
ゲームは好きだ、黙々と敵をなぎ倒す時間が好きだ。この中だと私は、主人公だ、英雄だ。強敵を倒すとキャラクターが賞賛してくれる。絶賛してくれる、これでもかと持ち上げてくれる。気持ちの良い言葉をくれる。充実感と満足感に浸れる。
今も、画面の中でドラゴンが頭に矢を受けて断末魔を上げて地に伏した。
「……変だな」
あまり、爽快感が無い。別に苦戦してない。一撃ももらうことなく倒せた。
激レアアイテムをドロップした。けれど、あまり感動しない。ずっと欲しかった筈なのに。このアイテムを防具にセットすれば、完璧なスキル構成が完成するのに。
「……そっか」
やっぱり、ここに来て良かった。
自動セーブなのにしっかりと手動セーブしてゲームを修了して、ソファーに身を投げる。
「……やっぱり、守らなきゃ」
私は間違えていない。
守るためには、触れてはいけないものも、あるんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます