第80話 メイドと初日の終わり。

 一時間後、陽菜が戻って来た。


「こんな感じでどうでしょう」


 茅色のオーバーオールに売り物の白いTシャツ。一見すれば普通の組み合わせも、きれいな顔立ちだから、似合って見える。服も良い物に見える。やっぱり陽菜は何着ても似合う。


「うん。良い感じ。僕も着替えていい?」

「はい、こちらに用意があります」


 陽菜が持ち上げた袋。中を見ると。そうか、一回家に帰って持って来てくれたのか。手間をかけさせてしまったな。


「代わりに私が務めさせていただきます」

「うん。よろしくね」


 よし、さっさと着替えて来てしまおう。

 制服を脱いでジーパンとTシャツを着るだけだ。すぐに済む。戻ってくると、陽菜と久遠さんが座っている。早速効果があったようで、少しだけ減っていた。


「どう?」

「ばっちりです。相馬君は服が合わせやすくて助かります」

「ふふっ。確かに。日暮君、スタイル良いよね。細いけど締まってるって細さで」

「はい、大体似合うので」

「それは陽菜もだろ」

「先輩先輩、どうですかどうですか? 似合いますよね?」

「うん。似合う似合う」


 乃安も着替えてきたようだ。すらっとした体型を活かした、ピチッとした紺のズボンと合わせている。


「……朝比奈さん、着痩せするタイプだったのですね」


 隣にいた萩野さんがそう言って軽く目元を抑えた。


「あっ、たまに言われますね」


 あっけらかんとそう言って、にひっと乃安は笑う。


「はぁ……さて。次は私と朝野さんですね。史郎さんと志保さん、別の用事があるようなので。日暮さんは、折角着替えてきてもらったところですが。シフトはシフトです」

「うん、看板担いで呼び込みでも行くよ」

「あっ、じゃあ、私も行きます」

「乃安はその前に、布良さん探して着替えさせてきてもらっても良い?」

「あっ、そうですね」


 ポンと手を打った乃安は、Tシャツ一枚掴んでそのまま駆けて行く。それを見送って、僕は僕で準備だ。乃安が戻ってくるまでに簡単な手持ち看板を用意してしまいたい。とは言っても、各ブースに一つずつ、プラカードが貸し出されている。それに段ボールでペタッと生徒会コラボブースである旨と、場所を書いておけば完了だ。

 黒ペンを構えたところで、横から伸びる手が一つ。


「……相馬君、貸してください。相馬君の字は一般人にはその……少々理解を求めるには芸術性が高過ぎるものなので」

「……はい、お願いします」


 というわけで陽菜による丁寧で均整の取れた文字が看板に並んだ。


「お待たせしました。先輩。行きましょうっ!」


 というわけで他校の文化祭に二人で繰り出すことにした。



 


 相馬君と乃安さんの背中を見送る。私が着替えた効果はわからないけど、こちらをちらちらを窺う視線をいくつか感じる。


「朝野さんって」

「はい」

「いえ、何でもありません」

「? 聞きづらい事ですか?」

「そうですね。失礼ながら、あなた方のことは、調べさせてもらっていて、その上でいくつか聞いておこうと思っていたのですが、やめておきます」


 萩野さんが一般人ではないのは、実際に見た上で知っている。

 私と乃安さんの立場も、調べられていてもおかしくはない。


「大変ですね、お互い。周りに隠し事をするのは」

「そうですね。大変です。手のかかる人に思いを寄せてしまうのも、大変です」


 萩野さんはうっすらと笑みを浮かべている。感情に乏しい印象だった瞳が、少し蕩けて見えた。


「……本当、そうですね」

「……朝野さん、そんな風に、笑えるんですね?」

「笑顔をくれた人がいたので」 





 「先輩、珍しいですね。自分からこういうことをする人とは思っていなかったので。意外です」

「必要ならするさ。必要なら」


 乃安と二人。看板担いで知らない廊下を歩く。とは言っても他校者であるのは間違いなく、着替えて普段着になったことでさらに目立つ……ってことはなく、クラスTシャツというのだろうか? それに紛れて逆に目立たなくなっているという知見を得た。これは大人しく店の前にいた方が懸命だったか?


「? 先輩って、生徒会に貢献しようなんて、殊勝な人でしたっけ?」

「勿論違う。あのTシャツを責任もって引き取れとか言われるのが嫌なだけさ」

「あぁ……それは確かに、嫌ですね」 


 乃安は納得したようで、大きく頷いた。


「そうですね、分配して渡されても、布切れにして雑巾にするくらいしか、使い道が浮かびません」

「そこまで言うか……」


 乃安の割と容赦のない意見に思わず苦笑い。


「と、言いましたが。先ほど久遠先輩に確認したところ、両校の生徒会で記念品としてに引き取るという話でしたよ。欲しいならもらって行っていいとのことで」

「あぁ、それは助かる」

「先輩がやけに頑張るので、ちょこっと可愛い後輩は気になったのでした」

「自分で言うか」

「先輩も思ってますよね? 誤魔化しは効きませんよ」

「はいはい、降参だよ」


 後輩にひたすら翻弄されながら、校内を練り歩く。これは宣伝活動になっているのだろうか? 

 いや、どっちでも良い。何となくこの浮かれた雰囲気の中、ひっそりと歩きたい気分だ。


「陽菜先輩とはどうですか?」

「夏樹にも聞かれたな、どう、か。見てるだろ、家で」

「私、最近、早寝しているんですよ? それはもう、高校生の男女、一つ屋根の下。盛り上がるものもあるでしょうよ」

「何を言っているんだ君は。何も無いよ。というか、二つの隣の部屋でそんなことが行われてて良いのかよ君は」

「別に構いませんよ。盛大にどうぞ」

「えぇ……」


 平然と言ってのける乃安。なんで僕の方が戸惑ってるんだ。マジで。 


「我々を何だと思っているのですか? 先輩は」

「あぁ……」


 まぁ、住み込みのメイドなら、そこら辺を流すくらいの度量があっても、納得ではあるのだが。


「でもなぁ」

「先輩、大事にすることの意味、履き違えない方が良いですよ」


 一瞬だけ、乃安の声の温度が低くなった気がした。思わず振り返る。

 視線の先には、いつも通り笑っている後輩がいて。人差し指を一つ立てて唇の前に持って行って、悪戯っぽい笑みに変えて。


「そんな焦らなくても、怒っていませんから」


 なんて言う。


「私は私の周りが平和なのが望みなんです」


 私の平和で安定した世界には、先輩と陽菜先輩の平穏は、不可欠ですから。

 だから。私は見なかったことにする。

 手遅れになるまで。どうにもならなくなるまで。目を背ける。目を覆う。

  

  


 結果から言うと、効果はあったと言えばあったが、絶大とは言い難い。となる。


「私のロゴ制作センスが至らないばかりに……」


 陽菜はそう言って目を閉じた。内心、相当悔しいようである。


「まあまあ。とりあえず、明日の一般開放日に賭けよう。これに千円はね、出しづらいよ。それはわかってただろ」


 服に千円自体は普通と言うか安い部類だろう。だがそれは、量販店で必要になって出す経費だ。これは違う。使い道が一見すれば無い記念品だ。

 記念に買ってくれるような親を僕たちは呼べない。僕たちのやろうとしていることは純粋な客商売になる。むしろ、少し売れただけでも健闘した方だ。高校生の財布というのは基本的に硬いのだから。


「とりあえず、明日は最初から今着てる恰好で。先生方にはもう申請してあるから」

 

 久遠さんが先に話を通していてくれたようだ。ありがたい。


「そのことなのだが」


 と、爽やかさを感じさせる男の声。足音が近づいてくる。


「どうやら面倒なことになりそうだ」


 眼鏡の位置を直し、メモ帳携えた男子生徒が僕たちの前に立った。

 自然な印象ながらも爽やかな印象を与えるようにセットされた髪。白さが目立つ肌。清潔感を第一とした出で立ちの男だ。





 名前は霧島恭也というらしい。彼が伝えた問題点は、確かになるほどその通りと言いたくなるもの。


「その服、売り物だろう。マネキンは確かに良い戦法だと思うが、仮にそこで買ったTシャツに着替えて生徒のフリをして何かしようと考える者が現れない、とは言えるのか? 現れた場合、どうする? 保護者はともかく、他校者だと区別を付けるのは難しいぞ」

「むっ……」


 反論は無い。無意識の内に目を瞑った悪い可能性だ。


「スタッフネームでも付ければ良いじゃないか。八人分くらいなら、明日までに用意できる」


 だけど僕だって、対抗策を用意してなかったわけではない。


「確かにその通りだが。これらすべてが販売されたとして、全員が着替えたとして、いちいち確認するのか?」

「そんな極端な例を出して、何が言いたい」

「君、議論の初心者かい? 質問に質問で返すのはマナーがなっていないぞ」

「くっ」


 僕の不利を悟った陽菜が庇うように前に出る。


「おっしゃる通り、そのような場合を想定し、対策するのは、この販売方法を選択した我々が考える義務があるでしょう。そして、一般的な服屋さんは先程、相馬君が言った通り、スタッフネームなどで見分けを付けています。この事実があることを認識いただけるでしょうか?」

「……ふむ、君の方がまともな話ができそうだ」


 丁寧な口調で冷静を装いながらも、陽菜は警戒を隠しきれていない。なんだろう、彼、絶対僕のこと嫌いだ。間違いない。確信をもって言える。

 乃安程ではないが、敵意には敏感なんだ、僕は。


「んで、なんで霧島君が先生の名代として来てるの?」


 険悪なムードを断ち切りに動いたのは久遠さんだ。彼女にしては軽い口調で話題の矛先をずらす。


「君たちがこちらに掛かりきりだからな、僕が実行委員代理として色々やっていたのだよ。感謝して欲しいものだ。さて、スタッフネームは付けるとして、君たちの中から見回りに人材を貸してくれ。それで僕が話を通そう」


 雰囲気を緩めて、やれやれと言った様子で、一日を締めくくった。

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