第77話 メイドと紅茶。
「ところで陽菜」
「はい」
「……えっと」
「なにか?」
「嫌というわけじゃないんだが」
「はい」
「それにしたって」
「はい」
「……流石に一緒に寝るのって」
「駄目ですか?」
「駄目と言うか」
「添い寝というものですが」
「その添い寝って」
「少しでも近くにいたいと」
「……一応、男女」
「恋人ですよ」
「うん」
後ろから視線を感じる。
じーっと、穴を空くような視線が。僕は、壁を向いて寝ている。陽菜がこっちを見ているのは、見なくてもわかる。
乃安は今日、いつもより早く寝室に入った。少し眠いとのことだったのだが。
「相馬君」
ふわっと、耳元に掛かる、くすぐるような吐息と共に、囁くように名前を呼ばれた。頭に直接、蜜の甘みが流れ込んでくるような。
抑揚のない声に、少しだけ、甘えるような感情が込められて。衣擦れの音ともに、陽菜の体温が近づいてくる。
乃安はもう寝ている。つまり、何かトラブルが起きて入ってくるなんて可能性、ほとんどない。この家の中で動く存在は僕と陽菜だけ。
陽菜の体温がとても近い。触れてないのに温かい。
「そ、そこそこ広いベッドだと思うぞ」
「お話をするのであれば、こちらを向いてはいただけないでしょうか?」
ゴリゴリと何かが削れていく音がする。
どうしたものか。
嫌というわけではない。そう。嫌では無いのだ。決して、嫌ではない。ただ、戸惑っている。
「陽菜の距離の詰め方が凄い」
「……ごめんなさい。ハイペース過ぎましたか?」
「いや、本当。嫌ではない。むしろ、嬉しいけど」
「けど……?」
ゴロンと一つ寝返り。陽菜と向き直る。
「ただ、ちょっと……現実感が無かっただけ」
「現実感、ですか?」
「うん。思われること、好かれること」
まだどこか、ふわふわとした気分だ。浮かれているのとは少し違う。夢を見ているような、頭がボーっとしているような。
「すぐにそんなこと、言えなくして見せます」
「どうやって?」
「私の気持ちをこれでもかと伝えて。疑えなくして、私が隣にいないことが考えられないようにします」
「……伝わり過ぎて、頭がぐらぐら言ってる」
「ふふっ。舐めないでください。まだ一割も出してませんよ」
「マジ?」
「マジです。なのでまぁ、覚悟しておくと良いですよ。これもまだ序の口です」
暗闇の中で、陽菜が不敵に笑った気がした。
本当に、表情、豊かになったなぁって。
素直に、嬉しい。
「陽菜は、良く笑うようになったな」
「楽しいですよ。ここでの生活」
「うん。嬉しいよ」
「だから、私の日常には、あなたが必要なのです」
陽菜はそう言って目を閉じた。
「……おやすみ、陽菜」
……違うんですよ。相馬君。目を閉じたのは、眠かったからじゃないんですよっ!
「何と言うか、ごめんね。殆ど任せきりで」
「いえ、うちの学校の出し物でありますから。むしろ、手伝っていただきありがとうございますですよ」
久遠さんの言葉に、陽菜はすさまじい勢いで手を動かしながら答える。指先の動きに迷いが無い。
今日は向こうの学校の生徒会室で作業する日。持ってきた分と、今回の作業の成果物は預かってくれるとのことで、文化祭前日に運び込む量が減り、前日準備で楽ができるからと、久遠さんからの提案を受ける形で僕たちが出向いた。
「むしろ、もう少し仕事多い方が、やりがいというものを感じますね。私は」
と、乃安もまた、つつがなく作り上げていく。しかしながら、なんでうちのメイド二人は、こうもワーカーホリック予備軍なんだ。
というか、陽菜よりはめんどくさがりな乃安でもそういうところあるんだな。メイド派出所共通の気質なのかな。
「先輩、今呆れましたね」
「うっ」
「私の前では誤魔化しが効かないこと、よくわかっているようで」
乃安のしたり顔。そして目が言っている。昨日のこと、からかっても良いのですよ? と。やはり気づいていたか。そして、空気を読んで昨日の夜、静かにしていたのか。
陽菜と乃安に負けず劣らず器用なのがもう一人。
萩野さん。先ほどから黙々と一言も話すことなく、完成品を自分の目の前に並べている。デザイン案とそれに伴う製作方法はとっくに頭に入っているようで、ちらりとも見ない。ワイヤーにビーズを通し形をっとの柄Tピンを取り付け形を整え。手がプログラムでもされているかの如く動く。
陽菜が考えた、鶴と亀が並んでいるだけのデザイン。それをビーズで表現すると言われた時、最初はめんどくさそうとは思ったが。
「コツコツ作れば終わるんだなぁ」
「どうぞ。お紅茶だよ」
「あぁ、ありがとうございます」
何故生徒会室にカセットコンロがあるんだ、という疑問は置いておいて。朝倉さんが紙コップに入った紅茶を置いてくれる。お嬢様であるところの朝倉さんが紅茶を用意している光景に少しの疑問を覚えるが、それも置いておく。
「志保、飽きただろ」
「んー? 史郎も飲むでしょ?」
「飲むけど。誤魔化されんぞ」
「やはは」
……美人ってのはみんな強かなのだろうか。と、ちらりと乃安の方を見てしまう。そんな僕の視線に乃安は薄い微笑みで答えた。
「って、美味しい」
なんとなく口を付けた紙コップ。えっ、美味しい。濃すぎず、かと言ってお湯でも飲んでるのかと言いたくなるような薄さも無く。口に入れた途端、紅茶の香りが広がって鼻まで突き抜ける。
「やはは。ありがと。素直な感想嬉しいよ」
「志保さんの入れる紅茶に外れはありませんからね」
先程まで黙々と作業を続けていた萩野さんが、そんな一言ともに、パイプ椅子にゆったりとくつろぎ、完全にティータイムモード。それは陽菜と乃安もで、というかこの二人、ティータイムというより、ティーリサーチって感じだ。香りをしっかりと嗅いで、液体をしっかり観察。それから一口含んでじっくりと、テイスティングでもしているのではという光景が広がっていた。
「凄いですね。マイルドで苦みも渋みも少なく、飲みやすいです。それなのに香りがちゃんと……温度管理と抽出時間、茶葉の量、それらがしっかりしているからこそできることですね」
と、陽菜が少し早口にまくし立てる。
乃安は先程まで朝倉さんが作業していたスペースをじっと見ている。
「茶葉も劣化しないようにちゃんと管理してますね。温度計も完備しています。基本的なことを忠実に……感服いたしました」
「……凄く褒められちゃった」
「……志保さんが珍しく照れてますね」
「志保は容姿以外のことを褒められるのに弱いからな」
その日、帰ってすぐに、陽菜と乃安は二人で紅茶の淹れ方研究会が始まっていた。
そして夜。今日もまた陽菜は、添い寝しに来た。
「後日、朝倉さんと萩野さんと乃安さんと四人でティーパーティーに行くことになりました。女子会? と言っていましたが、よろしいでしょうか」
「行ってきなよ。楽しんできてね」
「はい、ありがとうございます」
そう言って陽菜は目を閉じた。
「じゃ、おやすみ」
「おやすみなさいませ」
……察しが悪いです。相馬君。
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