第75話 メイドと心を交わす日。

 効率の良い、徹底的に無駄を削ぎ落とした、鋭く、意識と戦意を刈り取りに来る一撃が次々と襲い掛かる。

 空気を切り裂く音が耳元で鳴る。

 ……一瞬遅れてたら、耳、持って行かれていたのではないだろうか。


「くっ」


 余計なフェイクを織り交ぜず、速さと威力で、倒すというより制圧する。そんな攻撃。駆け引きなんかではない。そんなものが発生する前に叩きのめす。そんな戦い方。


「恐ろしく速い。僕が知る中で二番目の速さだよ」

「一番、何者だよ」

「父親だけど、同じ人間だと思いたくないんだよね」

「そうかよ」


 そう。父親の方が、少しだけ速い。そして、戦い方の理屈も、父に近い。だから。まだ対応できる。まだ。ギリギリ。

 ほぼ直感だけど。信じるしかない。一撃一撃が、もらった瞬間に意識を飛ばす一撃。直感を疑った瞬間、やられる。まだ、やられるわけにはいかない。

 まだ、僕は掴めていない。やられるわけには、いかない。

 なっ。

 出の速さ優先の攻撃が増えてくる。防御を丁寧に崩しに来た。戦い方を切り替えて来た。

 くそっだめだ。崩される。何発かもらう前提で……。それが、僕のミスだ。

 一旦全力で間合いを取る。クロスカウンターのようなものを狙う。選択肢は色々あった。彼の攻撃を凌いで、後の先。返し技を狙うことに拘った。どうしてだろう。

 きっと、彼の攻撃を越えた先の一撃というものに、憧れてしまったんだ。

 完全に崩された。怒涛の連撃。肩に、鳩尾に攻撃が次々と打ち込まれ。地面に転がされる。 

 

「先輩、ストップです。流石に」

「まだだ!」

 

 萩野さんの声に、僕は叫ぶ。


「やっぱり、目が死んでいなかった。お前はそういうタイプか!」


 間合いが狂った……ちがう。移動したんだ。九重君が、一歩下がった。なぜ気づけなかった。左手が掴まれる。

 こんな単純な手に……僕が。


「細かい負けを何回重ねようと、最後に勝てば良い。お前はそういうタイプだな……一番出会った数が少なくて、でも、面倒なタイプだよ」


 そして、九重君は不敵に笑う。


「だが、これは稽古だ」


 放たれた右拳は辛うじて躱すが、それでも左手は掴まれている。引き寄せられ膝蹴りをまた鳩尾に。だが……くっ、視界が一瞬チカチカと白んだ。


「来い。とことん付き合ってやるよ。何回でも転がしてやる」




 「十回目」


 九重君の呟き。それは僕が地面に転がされた数。蹴り飛ばされゴロゴロと転がった。


「相馬くん……」


 布良さんの声が聞こえた。

 あぁ、ここまで力量に開きがあるとは。もう、何もできていない。


「相馬先輩!」


 そして聞こえた、乃安の声、足音が近づいてくる。


「もう、やめてください。これ以上やるなら、私が……っ!」


 顔を上げると、乃安が庇うように立っていた。目の前、乃安の顔面スレスレで拳がピタリと止まる。九重君、優しいな、君は。挑んだのは僕で、そう言われる筋合いなんて、無いというのに。

 そうだ、乃安が、陽菜と合わせても、僕も加わって三人で挑んでも、多分、勝てないだろう。

 それでも、何度でも、僕は立ち上がろう。乃安の前に立ち、けれど、目の前の闘気が、急に収まる。

 九重君はゆっくりと陽菜、乃安、夏樹、の順に視線を移した。


「さて、お前の周りの奴らが心配しているが、やるのか?」

「……意地悪な質問だね」

「答えろ」


 選択の時だと、直感した。目が言っている。選べ、ここが分かれ道だと。今こそが。

 どっちが正しいのだろう。いや、正しい答えなんて無い。どっちを選んでも後悔するだろうし、得るものもあるだろう。

 じゃあ、僕は、僕はどっちなら、ちゃんとした答えだと、胸を張れるのだろう。

 一矢報いたい、せめて。なんて思った。それは例えば結城さんを結果的に追い詰めることになった時のように。

 だけど、今の僕にあの時程の意地は無い。賭けるものも背負っているものも無い。届かない。純粋な実力差で。それは、身体が覚えている。

 それでも戦って、一矢報いるために、一撃を届かせるために、あと何回僕は地面に転がされるのだろう。あと何回、彼女たちに心配されて、泣かせるのだろう。

 実感した、僕は僕一人だけの存在じゃないと。自分を捨てるということを。


「……わかった。僕の欲に従うのは、ここまでだ」

「ふっ、そうか」


 九重君はホッと息を吐いて、背を向けた。


「またな」


 そして残されたのは僕たちだけになった。

 立ち上がらない僕の傍に陽菜はそっとしゃがんだ。


「ごめん」

「はい」

「僕は、僕にとって大事なことが、わかったよ」


 いや、わかっていた。ただ、行動が伴っていなかった。一人で、矛盾していた。


「自分が傷つく。そのことが正しいなんて思わないでください。傷ついて良い人なんて、いません」

「うん」

「幸せになってはいけない人なんて、いません」

「うん」

「今の自分が、駄目なんて、思わないでください」

「うん」


 陽菜の言う通りだ。大切なのに僕は、大切にしきれていなかった。その人だけを大切にすれば良い。それでは、足りなかった。

 その人が大切にしている存在も大切にする。当然じゃないか。


「陽菜……ごめん」

「もう良いですよ」

「夏樹も、乃安も、ごめん」

「本当ですよ。先輩」 

「ふふっ。うん。もう良いよ」

「相馬君が頑張って来たことは知っていますから。だから少しは、自分を認めたら、許したら、良いと思います」


 陽菜は厳しい。本当に厳しい。優しくて厳しい態度を、示してくれる。

 ただキツイことを言って、突き放して、自分が納得するまで放置するのとは違う、寄り添ってくれる厳しさだ。


「陽菜、僕は、君が好きだ」

「はい」

「君が傍にいると、甘えてしまいそうだ」

「甘えれば良いじゃないですか。甘えて、その上で自分を律して頑張れる。そんな人だと、確信しています。私は好きだからと、考え無しに突き進むような単純馬鹿じゃないのです」

「知ってる」


 足音が聞こえた。離れていく足音。二人分。

 息を吐いた。何でかはわからない。深く、息を吐いた。空気を、入れ替えたくて。淀んだ空気を、吐けるだけ、吐き出したくて。


「僕は、陽菜が、好きだ」

「はい」

「僕はまた、間違えるかもしれない」

「それを正すのは、私の役目です」

「僕はまた、傷つけるかもしれない」

「それを受け入れるのもまた、私の役目です」

「良いのかよ、それで」

「はい」


 当然のように、当たり前の、基本的事実のようにそう言って、陽菜は小さく笑みを浮かべる。


「それが、あなたの朝野陽菜ですから」


 陽菜はそう言って胸を張った。


「改めて、言います。お付き合いしてください。相馬君」

「……僕の、彼女に、なってくれるのか?」

「はい。あなたの彼女にしてください」


 何かが込み上げてきた。温もりに押し上げられるように、込み上げてきた。

 隣にいてくれる誰かがいる。好きだと言ってくれる誰かがいる。


「ありがとう。陽菜」

「はい」


 僕は、まだ自分に納得できない。

 でも。そうだ。

 僕はまず、周りにいる人に、誠実であるべきだ。


「不甲斐ない僕だが、僕と付き合ってくれ、陽菜」

「はい。喜んで。今後とも、よろしくお願いします」


 そうして、その日の夜は終わった。

 温められ溶かされた心に、誓う。

 大切にすることの意味を間違えないことを。一番大切なことを、見失わないことを。


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