第74話 メイドとお高いお肉。

 「相馬君。私は、火の中水の中。地平線の果て、空の向こう側、地獄の奥底。どこへでもお供する。その覚悟を持ってお慕い申し上げている。あの時の告白から、何も変わっておりません」


 そこまで言って、陽菜は息を一つ、二つ吸って、吐いた。


「相馬君。信じてくださいとは言いません。信頼は要求するものではなく、勝ち取るものですから」

「違う。僕は、陽菜に安全なところにいて欲しくて。僕が、帰ってくるところに、居て欲しくて……」

「あなたがいない明日も、あなたが帰って来ない家も、いらないですよ。私が欲しいのは、あなたの隣なんです」

「僕は、ちゃんと帰ってくる」

「相馬君を疑っているわけではないのです。私はただ、相馬君、あなたは思われている存在であると、知って欲しいのです」


 陽菜はここからが結論だと、大事だと、目でしっかり訴えてくる。


「あなたはもう、あなた一人だけの存在じゃないんです。切り離せないんです。大事なんです。相馬君が自分を蔑ろにして傷つけること、その意味を、考えて欲しいんです」


 陽菜は、容赦がない。

 僕が目を逸らしていることを、容赦なく突き付けてくる。

 でも僕は。それでも。僕は。


「こんな生き方しか、できない。生き方も、歩き方も、わからない」

「だから、私が隣にいたいのですよ。一人で歩けなんて、一人で学べ、なんて言っていないのです。一緒に歩けば良いのですよ。相馬君の悪い癖です。まずは一人でどうにかなんて。頼って良い人、いるんですから。悩んだらとりあえず、ってことです」


 ひんやりとした温もりに包まれた。陽菜の手だ気づいたのは数秒経ってのこと。


「わかりましたか? わかりませんか?」

「少し、考える」


 僕のその、情けない答えにも、陽菜は小さく頷いた。


「はい。待ってます」


 そこで呼び鈴が鳴った。


「はい」


 陽菜がすぐに応じる。


「あっ、えっと……さっきぶり」


 入って来たのは久遠さんだった。


「久遠さん。どうしたの?」


 布良さんが聞くと、久遠さんは困ったように後ろ髪を弄る。


「えっと、一緒に来てもらっても良い? かな。交流会の続きをしようって、志保さんから連絡来て」


 と言うので、外に出ると。


「これは……」


 陽菜が慄くのもわかる。一目でわかる所謂黒いお高そうな車が。家の前に停まっているのだ。

 初老の男性が傍に立っていて、僕たちが下りていくとスッと扉を開けてくれて、乗り込んだらそっと閉めてくれる。


「ふむ」


 陽菜が感嘆したような息を漏らした。

 滑るように車が動き出す。どこに連れて行かれると言うのだ。駅前の方に車が向かっているのだけはわかる。

 駅前のロータリー。そこには朝倉さんに連れられるように萩野さんと九重君が立っていた。


「ありがとうございます。渋谷さん」


 そう言って朝倉さんが乗り込んでくる。

 やはりこれ、朝倉さんの家のなんだ。


「旦那様よりこちらを預かっております」

「おー。ありがとうございます」


 出発してすぐの信号待ち、何かのカードが朝倉さんの手に渡る。あれ、クレカ、だよな。銀色のカードだ。


「あの、私たちまで良かったのですか?」


 陽菜が戸惑うように窓の外をちらちらと眺める。

 まぁ、急にこんな状況になったら誰だって戸惑うよな。僕も戸惑っている。


「いーのいーの。ほら、目的の中でも交流という部分だけ果たせてないから」

「そう、ですけど」


 陽菜がちらりとまた窓の外を見た。何があるんだろと思ったら、車は駐車場に入っていく。そういえば、ここって、近所だな。ん……?


「お食事がお済みになりましたらご連絡を」

「うん。ありがとうございます」


 そう言って、軽い調子で朝倉さんが車を降りた先。

 陽菜が目を見開き店の看板を見上げる。


「なぁ、乃安」

「そうですね。ここは」

「うん。間違いない。高級焼き肉店の代名詞」


 夏樹の言葉に陽菜も静かに頷く。

 そう。少なくとも、高校生が交流の場に使うところではない。近くにあるのは知っていた。でも。行こうなんて僕たちの中で話になったことは無い。


「さぁ、食べよ食べよっ!」


 予約されていたようで、席に通され、それから、朝倉さんが僕たちが遠慮する暇も与えず、次々に注文していく。特上カルビ、牛タン、ロース、ビビンバ人数分。

 届いた肉は陽菜と乃安が次々に焼いていった。


「えっと、焼くの、代わるよ」

「ううん。陽菜と乃安は、むしろ、やらせてあげて」

 

 余計な脂も歯ごたえもなく、ひょいひょい食べられる。旨味のある肉汁が口の中に一気に広がる。

 誰も今日の話はしない。明日には忘れていそうな会話が炭酸の泡のように湧いては消えていく。

 網が空になり、各々、箸を置いて飲み物を楽しんだり、自分の皿に残っている取り分を味わったり。

 僕は、さっきから頭の隅で考えていたことを、実行することを決めた。


「九重君、今度ちょっとだけ稽古してみないか?」

 そう言うと、鋭い目がこちらに向けられた。

「……なぜ」

「君の強さを知りたい」

「いらんだろ。余計だ」

「僕の提案に乗るかどうかは君次第だけど、いるかいらないか、余計かそうでないかを決めるのは、僕だ。僕は、君の強さを学びたい」


 九重君は自分の皿に残っていた分の肉を食べながら、考えてる。

 こうして考えてくれるあたり、彼の人の好さが伺える。

 

「あぁ良いよ。暇な時にでも」

「ありがとう」


 ぼやくような返事に、僕は畳み掛ける。


「何なら、これから腹ごなしにどうかな?」

「……わかったよ」


 それから、会計は朝倉さんがカード一枚でサクッと済ましてしまう。値段は……見なかったことにしよう。と、朝倉さんの笑みがそう思わせて来た。凄い人なのはわかった。


「十分ほど歩けば、良い場所があるよ」


 陽菜を見ると、「ご随意に」と。僕はここに、答えがあると思っている。

 乃安は呆れたように笑って、夏樹はきょとんとしている。何が起きるのだろうと。


「ここ。この神社。僕はここでいつも練習してる」

「ふーん」


 神社の境内。人の気配は無い、少し涼しい雰囲気。

 学ランを脱いで僕は目で伝える。何をするのか。すぐに察してくれて、九重君は手を前に構え、左足を少し引いた。


「良いんだな?」

「うん」

「それなら……さぁ、始めようか」


 不敵な笑みに、少し心臓が竦んだ。剣が向けられている。そんな感覚と共に、僕はとりあえず、まともにやり合ったら勝てないことだけはわかった。

 

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