第72話 メイドと日常の外に放り出される時。

 乾いた音が鳴った。パァンっと。何の音だろうか。でも、こういう音だとは、確信をもって言えた。

 日常が破裂した音。だって。

 すぐに周囲の様子を確認して。右手がすぐに動いた。掴んだのは九重君の手。

 凄まじい反応速度、判断速度。僕と萩野さん以外の五人を、近くの店、つまり遮蔽物がある場所に投げ込んだのだ。


「九重君、で良いんだよね」

「あぁ。やはり、お前。只者じゃないらしい」

「僕は一般人だよ。只者じゃないとは、君じゃないかな?」


 銃声、と判断するべきなのだろうか。多分そうだろう、この二人の表情から考えるに。お互い、柱の陰に移動する。


「朝野さんと朝比奈さん。あの二人も、目はちゃんと俺の動きを追っていた。が、お前のように反応はできなかった」

「……反応速度はよく褒められるよ。あと、目が良いって」

「そうかい」


 九重君が一つ頷いたので僕もそれに返す。お互いを探り合う時間は終わり。今はこの状況をどうにかしなければならない。

 それは、もう一人、この状況でも落ち着いている萩野さんも同じだ。


「先輩、監視カメラで見たところ、確認できる限りで十人。装備はサブマシンガンですね」

「はぁ」

「警察はすぐに来ると思いますが。どうやら立てこもる気ですね。人質を二階の服売り場に並べています。ここに八人。三階、屋上の服売り場のフロアに繋がるエスカレーターのみに一人ずつ配置」

「人質は壁になるからなぁ」


 つまり、立てこもり事件が今目の前で発生している、というか僕たちは巻き込まれたってことか。犯人は集団、銃を所持して人質を取っている。

 そしてこの二人は。警察と何らかの関係を持つ人間、だと。

 九重君はじっとショッピングセンターの地図を眺め考え込んでいる。

 もしかして、この二人……。

 

「九重君。もしかして、倒す気かい?」

「そのつもりだが」


 当然のようにそう言った。

 だが、ショッピングセンターは客が迷わないように、できる限り単純な構造にしている。それはつまり、守りにおいて重点すべき場所がわかりやすい。攻め手側から見れば、選べる道、進軍コースが少ないということ。

 要するに、どの道を選んで突っ込んでも、銃を用いる敵相手では、簡単に蜂の巣にされる。


「萩野さんがさっき言った通りなら、既に相当数の客は逃げている筈。そして、犯人側もそれを止めないと思う。メリットが無いから。つまり、僕らも現状、簡単に逃げられる」

「そうだな」

「勝ち目は薄い、逃げるのが得策だよ」


 九重君が単眼の望遠鏡を覗いて何かを確認している。

 僕が優先するのは、陽菜と乃安、夏樹の無事だ。何よりもそれを今確保したい。

 名前も知らない人質のことに対して、そこまでの強い思い入れなんて抱けない。命を賭けて助けなきゃって思えない。酷い人間だと思う。でも僕は、それでも。

 ……彼らは違うと言うのか。

 

「……ん? 隠れろ!」


 その声に反応して、陽菜達が投げ込まれた店に滑り来む。

 何かが来る。ここは洋服屋だ、姿見が都合よくある。静かに角度を調整して、外の様子を覗けるようにする。

 エスカレーターから下りて来たのは男二人。段ボールを抱えている。

 迷彩服に防弾チョッキ。頭にはヘルメットを被っている。膝と肘にはプロテクター。銃も多分、装備しているだろう。まずはやり過ごすべきか。


「手早くやれ」

「了解」


 そんな会話が聞こえる。

 何かを柱に設置している。柱に穴をあけて、ボルトで何かを止めている。何をやっているんだ。人質確保のほかに、何をすると言うのだ。


「次行くぞ」

「了解」


 男たちが去ったのを確認した、九重君と萩野さんは設置物の確認に向かう。

 ここは、彼らに従った方が得策か。場慣れしているとすれば、足手まといはなるべく減らしたいはず。なら、陽菜達をまずは逃がすという判断をしてくれるだろう。


「方針は決まったのかな?」


 だから僕はそう尋ねる。


「あぁ、日暮。とりあえず、お前はあの子達を連れて逃げてくれ」

「わかった。でもその前に」


 足音が聞こえる。こちらに向かってくる。さっきの男たちだ。解体した段ボールを投げ捨て、こちらに銃を向けている。


「客だな。お前達も人質になってもらう。手を上げて伏せろ」


 そう言い放ち終わった瞬間に聞こえた銃声は萩野さんの手から放たれたもの。それに驚くよりも早く、僕は駆け出していた。日暮君も走り出している。男たち二人の手にはもう銃はない。なら、接近戦だ。

 まずはこいつらを、叩きのめす。そして、陽菜達を、逃がす。


「日暮、右頼む」

「オッケー!」


 男はナイフを抜き放つが、遅いっ。既に僕の、素手の間合いだ。まずは顎を撃ち抜く。そして。回転の勢いを乗せた蹴りを側頭部に叩き込む。感じたのはヘルメットの感触。だが、確実に脳は揺らしたはずだ。

 日暮君は既に拘束を終えたようで、男に手錠をはめている。


「それ、もう一個無い?」

「どうぞ」


 萩野さんが手錠を渡してくれた。


「九重君、凄いね。びっくりしたよ」

「一般人が武装している奴を素手で倒しているのもびっくりだ」 


 あっという間、というのが正しい表現だと思う。電撃のような速さだった。彼の攻撃は。というか。


「自分が一般人じゃないみたいな言い方だね。まぁ、そう思っていたけど。さて、さっさと移動だ。陽菜」

「はい。相馬君。皆様、こちらへ」


 陽菜は落ち着いた様子で先導してくれる。乃安にも動揺は見られない。

 さて、


「相馬君。無茶な行動もほどほどにお願いします」

「無茶のし時ってあると思うよ」

「しかし」


 陽菜が何か言おうとしたがそれよりも早く。


「ちっ。伏せろ! 結愛、牽制しながら皆を連れて下がれ、そのまま逃げろ、俺が相手する」

「了解」


 銃声。拘束された味方が見えたからだろう。問答無用だ。そして、僕も。

 走り出す。


「相馬君!」


 後ろから聞こえる陽菜の声も、引き離すように早く。 

 相手は一人。向かってくる奴なんて想定していない顔。銃を持っている手を捻り上げ、そして、背負い投げ。すぐに締め技に移行する。

 やらせない。陽菜達をやらせたりしない。

 邪魔をするな。僕の毎日を、邪魔するな。


「ふぅ」


 思わず息を吐いた。心臓がバクバク言っている。血の流れがいつもより早い気がする。


「お前命知らず過ぎるだろ」

「……いける、って思ったからさ」


 そう、そんな確信が、僕の中にあったんだ。

 むしろ、ここでどうにかできなきゃ、明日が掴めない。誰一人欠けていない、ピースの揃った明日が迎えられない、そんな焦燥感だってあった。


「……朝野さん、こいつの首根っこ掴んで連れて行ってもらって良いか?」

「はい。行きますよ。相馬君」

「あっ、ちょっと」

「乃安さん、手伝ってください」

「はーい」


 陽菜と乃安に引っ張られ、夏樹に学ランの襟元を掴まれ無理矢理歩かされる。


「やはは。これ以上無茶させないよ」

 

 朝倉さんに、その様子を笑われ、久遠さんに無言で肩を引っ叩かれる。ちらりちらりと、ここに残るらしい、九重君と萩野さんの方を見ながら、それでも前を向いて、でも、肩を震わせて。

 心配を、涙を、覆い隠して、歩く。

 何とも遭遇せず、入り口の自動ドアの前まで来て。僕は。


「……戻るよ。僕が。二人を連れて帰る」

「えっ」


 僕はどうしてか、そう告げた。


「陽菜、みんなを連れて、警察の人の前まで両手を上げたままダッシュね。それじゃ」


 人質に対して、やっぱり、そこまで思い入れを持てない。それでも、関わった人の日常。それくらいは。守れるなら守りたい。目の前の涙くらい、拭けるように、なりたい。

 今この時、少しだけ、人質を助けに行こうとした二人の気持ちを理解できた気がした。そして。その強さに。あの状況でも堂々としていられるあの強さに、憧れた。


「相馬君、待ってください、私も、相馬君が行くなら、私もっ!」

「乃安、陽菜を絶対に来させるなっ!」

「っ……はいっ!」

 

 一瞬の逡巡。でも、すぐに陽菜を羽交い絞めにして、ショッピングセンターの外に。布良さんも、まずは陽菜を抑えてくれる。

 走る。僕だって、多少は役に立つはずだ、その可能性を、信じたくて、走った。

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