第40話 メイドに預ける背中。
「はい。わかりました。クラスシフトもまだ調整可能なので、大丈夫です」
布良さんが来れなくなることを想定して、生徒会の方の出店のシフトを調整して。
「お釣り用の小銭は、銀行に行って交換だね。前日に用意するから大丈夫だよ」
本格的に準備を進めていく。
「はい、ありがとうございます。では、明後日。開店してすぐ伺いますが、はい。ありがとうございます。お願いします」
スーパーでちゃんと、サービスドリンク用の飲み物を予約して。
布良さんが貸してくれたノートには、ちゃんとやらなきゃいけないリストがあった。それを基に、自分で考えて、進めていく。
やらなきゃいけないことを、いつどのように処理するかを、頭の中で計画していく。その通りに進めていく。
「クーラボックス、クーラボックス」
家の倉庫を開けると、ちゃんとあった。良かった。明日持っていこう。
そして、寝る前はシフトの調整。事前に希望を募って、その希望が通るように組んでいく。そのくらい、僕にだってできる。
「机の配置は、広々としていた方が良いよね」
「うん。ありがとね。日暮君」
「良いよ。こうやって相談に乗ってくれるだけ、ありがたいから」
放課後は、布良さんの家に行って、話し合いして。
「陽菜、試着の方はどうだった?」
「今のところは問題ありません。男子の方も大丈夫だったと桐野君から。まだ、やっていない人もいますが、恐らく大丈夫でしょう」
「了解。ありがとう」
だとすれば、後は設営だけだな。
「明日は前日準備です。今配ったプリントが、大まかな内容になります。二枚目の方はシフトです。部活の出し物との兼ね合いは、先日確認しましたが、最終調整できるのは今日までです。何かある場合は、僕の方までお願いします」
クラス会の司会は僕だ。
僕がやるんだ。
布良さんがいない穴は。僕が埋める。
隣にいたのに、何もできなかった僕が。
処理した順番に、布良さんの用意していたやることリストに、横棒を引いていく。
埋まっていく。ちゃんと、進められている。
放課後は、布良さんの家に行く。
「いつ復帰できそう?」
「……今日も、行こうとはしたんだよね。でも、ごめん」
「いや。良い。無理しなくても。大丈夫、順調だから」
「……ありがとう。ごめんね」
向かい側に座る布良さんが、静かに目を伏せる。
何をやっているんだ僕は。追い詰めるようなことを言って。
「そういえば、陽菜ちゃんは?」
「衣装合わせ。僕もすぐに学校に戻るよ」
「そっか。だったら、スマホに連絡くれるだけでも良いのに」
「いや、その……」
「あは、私に会いたかったとか?」
「……まぁ、そんなところ」
そう言うと、布良さんは笑ってくれる。
誰のために頑張っているのか。それを確認して、自分に刻み付けて、逃げてしまわないようにするために、こうしている。
僕が頑張るんだ。布良さんがいなくても、大丈夫なように。布良さんが、心配してしまわないように。
「日暮君、少しだけ、時間ある?」
「どうした?」
「リハビリ、付き合って欲しいなぁって」
「あぁ。良いよ。勿論」
今の僕に、布良さんの頼みを断る選択肢なんて、無かった。
二人で玄関まで来て、僕が扉を開ける。
布良さんは静かに息を飲んだ。
「うっ……」
苦し気に呻いて、繋いだ手を通じて、震えが伝わってくる。
「大丈夫。僕がいる」
「う、うぐっ……おにいちゃん」
小さく呟かれた言葉。
僕に、何ができるんだ。
彼女を、ほんの一歩、外に連れ出すことも、できないのか。
とうとうしゃがみ込んでしまう。僕は、傍にいることしか、できない。
「あのぉ、大丈夫ですか?」
白いワンピースを着た女性が、いつの間にか入り口に立っていた。
「えっと……あっ、喫茶店の。神代さん」
「? あっ、この間の、布良さんの彼氏の人」
「彼氏では、無いんですけどね」
神代さんは、布良さんの傍にしゃがみ込む。
「大丈夫、ですか?」
震えたままの布良さんは答えない。
「……うん」
神代さんは一つ頷いて扉を閉め、肩で無理矢理担いで、そのままリビングに引きずっていく。
「台所、勝手に借りますよっと」
コンロに火が点く音。
しばらくして、マグカップを三つ持った出てくる。
「こういう時は、温かいミルクですね」
「あぁ、どうも」
「ありがとうね」
僕も、こういう風に、できたら良いのに。
情けない。
そうだ、落ち着かせるのが、先決じゃないか、あの場合は。
無言で、それぞれのペースで飲み進める。
確かに、落ち着くな。落ち着く甘さだ。
「ねぇ、お兄ちゃん」
……お兄ちゃん?
布良さんの方を見る。その目は、真っ直ぐに、僕に向いていた。
「……? あれ。あは、間違えちゃった」
「あ、あぁ」
「ごめんごめん。そう、だよね。お兄ちゃんは、もういないもん」
「……布良さん、またココア飲みに来てくれたら、オムライスもサービスしますよ」
「本当?」
「えぇ。約束しますよ」
「あは、ちょっとお高いから、まだ食べたことなかったけど、そういうことなら、是非って感じかな」
飲み終わったマグカップを流しで洗った神代さんは、ペコリと頭を下げて出て行く。
「そろそろ日暮君も、戻らなきゃね」
「うん」
「またね」
「うん。また来るよ」
マンションの廊下に出ると、神代さんが立っていた。
「布良さんを、学校に連れて行きたいとか、そういう感じですか?」
「……うん、そんなところ」
「本人も行きたがっているみたいでしたからね、今朝も、扉が開いて、でも結局、出てこれなかったみたいですし」
「布良さんのことは?」
「知っていますよ。同い年で、前はよく遊んでいましたから。前と言っても、小さい時の話ですが。最近はめっきり、近くに住む他人状態ですよ」
「布良さんは、仲良くなりたがっていたよ」
「そうですか」
綺麗な顔には、感情が宿らず、どこか遠くを見ていた。冷めた印象だ。
「私の好きな作家さんの言葉を贈ります。願うだけで手に入るなら苦労しない。欲しいものがあるなら、何かを差し出す覚悟をしなければならない」
「……うん」
「覚悟ですよ、彼氏さん。誰かの領域に踏み込む時も、どんな時も。覚悟が大事です」
「……僕は彼氏じゃない」
「名前を知らないので」
「日暮相馬だ」
「覚えておきます。次お店に来ていただいた時は、サービスさせてもらいますよ。神代凪です。以後お見知りおきを」
そう言って、神代さんは階段を昇っていく。僕はそれを黙って見送った。
学校に戻って、衣装合わせで問題が無いのを確認して。
それから家に帰る。
「ありがとう。陽菜」
「……いえ、もう良いのですか?」
「うん。満足」
静かな瞳が、見上げてくる。瞳の奥の奥まで覗かれている気分になって逸らした。
陽菜の頭を撫でて、僕は部屋に入る。眠る。少しでも、体力を回復したい。
明日は、生徒会の方の準備にも参加しないといけないから、クラスの方の準備をある程度、僕が離れても大丈夫な状態に早めに仕上げなきゃいけない。
今は、僕が布良さんの分も、やるんだ。
せめて、何もできていないなりに、彼女を、安心させてあげなきゃいけない。
文化祭前日は、昼休みの後は全て準備に使えることになっている。
三年生の教室に、自分たちの教室から机を運び込んで、白い布を被せれば多少高級感が出せると言ったのは陽菜だ。提案を受けたその日、僕は自転車を走らせ用意した。
装飾も布良さんが計算した通り。
僕が今、こうして指示を出せるのは、陽菜や布良さんが、事前にある程度計画を立てて、不測の事態に対処できるようにしていたから。
予想外に時間にかなりの余裕ができた。
京介率いるクラスの男衆が、凄まじい連携を見せ、机を運び込み、一気に終わらせたのだ。
装飾は気がつけば入間さんが指示を出し、予定より三十分も早く終わった。
自販機で飲み物を買い、廊下を歩きながらグイっと煽る。
少しだけ休みたくなって、人気の少ない特別教室の並んでる階へ。文化祭の準備の音も遠く、落ち着けた。
「相馬君」
「ん? どうした?」
陽菜が立っていた。気がつけばいなくなっていたが、何があったのやら。
「出過ぎたことを、申し上げてもよろしいでしょうか? と前聞いた際、気にしなくて良いとおっしゃられたので、遠慮なく申し上げます」
「あぁ、良いよ」
今度は、何を言われるのだろう。
告白では、無いよな。何だろう。
陽菜が、息を一つ吸って、吐いて、口を開く。
「そろそろ、私たちに頼っても、良い頃合いだと考えます」
聞こえた言葉は、予想外で、心当たりの無いもの。むしろ、寄りかかっていると思っていたのだが。
私たち? 陽菜以外に、頼っても良い人がいるというのか?
「急にどうしたよ。陽菜達がいなかったら、無理だったよ。最初から」
「でも、一人で抱え込もうとしていましたよね」
陽菜が右手を上げる。その手には、小銭ケース。びっしりと種類ごとに分けられた硬化が詰められている。生徒会の方の準備が済んだら、用意しようとしていたもの。
「勝手ながら、相馬君の鞄から拝借しました。生徒会の準備がどの程度掛かるか予想できなかったので、銀行が閉ってしまうかもしれなかったので。
飲み物も、前日のうちから冷やしておいた方が良いと考え。スーパーの方にお願いして、一日前倒しして受け取りました。今は家庭科室の、割り振られた冷蔵庫に入っています。車とは偉大ですね。すぐに戻って来れました」
さっきまでいなかったのは、そういうことか。
……確かに、陽菜の言う通りだ。冷静に考えればわかることだった。
「お忘れでしょうか? あなたのメイドは、とても優秀なのです」
「わかっているよ。そんなこと」
「相馬君。人一人が伸ばせる手には、限界があります」
「わかっているよ」
「わかっていません!」
その大きな声が、陽菜から出たものだと気づくのに、少しだけかかった。
その少しの間に、陽菜は畳み掛ける。
「相馬君が目指そうとしているところは、とても立派です。もっと強くなりたい。誰にでも、胸を張って堂々としていられる強さが欲しい。
その目標に向けて成長を志す、しかし、それと同時に相馬君は、今は周りの手を借りるべきだと考えていたではありませんか。それもまた、自分と状況の折り合いをつける、立派な考えでした」
「でも、僕は、布良さんの分も」
「それは、あなた一人でやらなければいけないことでしたか?」
正論だ。陽菜がぶつけてくるのは、全部正論だ。
「私も、文化祭実行委員です」
「陽菜にも、色々任せただろ」
「はい。しかし、私たちは一日の殆どを、家でも、一緒にいました。なのに、一言も相談されませんでした」
「それは……」
「家事だけでは暇だと、少し前に申し上げた覚えがありますね」
僕の子どもっぽい反論なんて、全てお見通しのようで、全てきっちりと返される。
「相馬君、メイドは、基本的にご主人様に従い、見守り、間違えそうなところは進言する程度。なので、ご主人様が何を目指そうと付き従い、支えるのが役目です」
陽菜の迫力に圧倒される。
もう、僕は何も言えない。
「なので、今回は進言させていただきます。相馬君、あなたには既に持っている強さがあります。それは、桐野君や入鹿さんが、先ほど示してくれました。あの二人はあなたが追い詰められていると気づいていました。
あなたの頑張りは、あなたの人柄は、周りの人がつい、助けたくなってしまうものです」
一歩、陽菜は近づく。
「そして、あなたの隣には、私がいます。とても優秀なメイドがいます。私は、あなたのメイドです。あなたの、強みです」
優しい目だ。思わず、縋りつきたくなる。
陽菜の言っていることは、客観的な視点で見ると、とても正しい。
あぁ、本当、馬鹿だな、僕は。
「僕は、布良さんに、何もできなかったんだ。隣にいたんだ、あの時」
「私は、布良さんの友達です。私にも、手伝わせて欲しいです。布良さんが抜けた穴を埋める手伝いを。相馬君、人に頼ることは、そんなに弱いことですか? 一人でも強いことと、矛盾しますか」
あぁ、空回っていた。僕の考えも、やっていることも。
急に、体の力が抜ける。へたり込んでしまう。
「なぁ、陽菜」
「はい」
「ありがとう。陽菜がいなかったら、確かに、明日、大慌てだったかもしれない」
「そうですね」
銀行が閉って、家中ひっくり返して小銭を探していたかもしれない。
少し温いドリンクを、氷を追加購入して誤魔化していたかもしれない。
「……陽菜、頼んだ」
「お任せを。私は、あなたのメイドです。いつでも力になることを望み、喜びとしています。そして、あなたをお慕いする女の子です」
制服のスカートの裾をつまんで左足を斜め後ろ内側に引いてそっと腰を下げる優雅なお辞儀。
頼もしい。僕は、こんな頼もしい人が近くにいながら、空回ろうとしていたのか。
布良さんに、顔向けできないな。
「なぁ、陽菜」
「はい」
息を一つ吸って吐く。はっきりと言って、文化祭は後は当日を迎えるだけだ。
でも、一つだけ、やりのことしたことがあるんだ。
「僕さ、布良さんを、文化祭に連れてきたいんだよね」
陽菜が大きく頷く。
「だから、明日、少し早く出るけど、良い?」
「お任せを、私も同行させていただきます」
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