第39話 委員長がバランスを崩す時。

 朝目が覚めたとき、寒くなってきたことに気づいた。ここで重要なことは寒いからと布団にくるまれば二度寝ルートまっしぐらだ。

 だから僕はまずベッドから転がり床に落ちる。床が冷えている。うーん、今日は学ランだな、衣替えの時期だし丁度良いや。


「おはようございます。相馬君」


 ジャージに着替え外に出ると丁度陽菜が掃除を終えて立っていた。


「陽菜、その格好は?」

「冬服ですよ」


 露出少な目のロングスカートのメイド服に身を包み。いつも通り、朝の仕事をこなしていた。これはこれでありだ。


「今日も稽古ですか?」

「うん。行ってくる」

「いってらっしゃいませ」


 外も案の定ひんやりとした空気に包まれていた。生えている木々も赤く染まっている。段々と体が目覚めていくのを感じる。

 いつも通りの朝。少し温度が下がっただけ。

 文化祭は今週末。金、土曜日の二日間の日程。

 気を引き締めて過ごそう。

 久々に袖を通した学ラン、陽菜のセーラー服も紺色の物に変わっている。


「秋ですね」

「うん」

「確か相馬君の好きな季節、秋でしたよね?」

「うん。あれ、話したっけ?」

「いえ、旦那様から聞きました」


 秋が一番過ごしやすいのではないかと個人的には思っている。暑くもなく寒くもなく、新たな人間関係に悩まされることもなく。とても素晴らしい季節ではないかと思う。もう一年中秋で良いよ、なんて。

 学校に着いて、僕は何となく陽菜の傍にいた。

 陽菜が水筒を開け、紙コップに紅茶を注ぐ。


「どうぞ」

「? どうも」

「朝のティータイムと洒落込みましょう」


 自分の分の紅茶を用意して、さらに鞄からタッパーを取り出す。中身はクッキーだ。


「いただきます」

「お召し上がりください」


 うーん。美味い。

 サクサクとしっとりが絶妙なバランスで両立している。


「やっぱり、陽菜の料理に外れは無いな」

「ありがとうございます」

「どれどれ。おー。本当に美味しい」


 後ろから伸びてきた手の持ち主は、満足気に唸る。


「夏樹さん、おはようございます」

「うん。おはよう、二人とも」


 布良さんがいつも通り、ニコッと綺麗な笑顔を見せる。

 平和だ。

 準備自体、順調も順調、むしろ、早過ぎるくらいで、他のクラスに比べたら、僕たちは和やかに過ごしている。


「さて、今日は装飾で足りなかった分の買い出しだね」

「あぁ。荷物持ちは任せろ」


 昨日、本番の場所とは違うが、この教室でちょっと試してみたところ、長さが足りないところがあったから、追加で買い出しだ。

 あと、陽菜の提案で、予算に余裕があるから、追加したいものもある。


「衣装は今日届くんだっけ?」

「はい、私の方で受け取りますので。サイズは送ってあるので間違いは無い筈ですが、一応、試着も明日明後日で済ませようかと」

「よろしくね」

 これなら、問題無く当日を迎えられそうだ。




 そんな確信を抱いたその日の放課後。

 僕と布良さんで買い出し。


「なんか、あれだね。校外見学のワクワクを思い出すかも」

「そう?」

「だって、私たち、学校の用事でお店に行くんだよ。なんか、非日常感あるじゃん」

「あぁ。まぁ」


 曖昧な返答。なのに布良さんは楽し気に笑ってくれる。


「日暮君。手繋ぐ?」

「なんで?」

「んー。そうしたいから。あっ、渋い顔」

「いや、他の人に見られたらなんて言われるかなって」

「あは、気にしちゃう?」


 からかうように手を握ってぶんぶん振り回す様子は、少しだけ子どもっぽくて、可愛らしいなんて思った。


「先生に見つかったらなんだ、不純異性交遊? がどうのこうの」

「手繋ぐくらいで不純って、ピュアッピュアだね。キスで子どもできるとか思ってそうな世界」

「馬鹿馬鹿しいよなぁ」

「ねっ」


 布良さんは手を離さなかった。そのまま歩く。

 僕は、手を繋いでいた。繋いでいた。

 目の前の交差点。違う場所なのに、何でだろう。嫌な予感がした。

 その予感はすぐに肯定される。

 急ブレーキが響く。何かがぶつかる音。ドンと、鈍い音は遠い。僕らには関係のない音。

 目の前に、何かが転がった。

 僕は、それが何なのか、すぐには理解できなかった。

 子猫だ、と気づいたのは、一瞬後で。

 手が離れたと気づいたのは、その次の一瞬で。隣でしゃがみ込んでしまった彼女に、すぐに手を伸ばせなかった。


「布良さん……?」


 返事が無い。ただ、震えている。

 情けない。僕がこの時思いついた手は、陽菜に助けを求めることだった。


『わかりました。すぐに向かいます』


 すぐにそんな落ち着いた返事。

 丁度、衣装を届けてくれた結城さんと一緒にいたようで、緊急事態ということで、結城さんも来てくれた。


「……まぁ、確かにショッキングだな」

「あっ、初めましての、人だ。陽菜ちゃんの、知り合い?」

「はい。結城真城と言います」


 陽菜が答える。布良さんはにへらと笑って、結城さんの方を見る。


「初めまして、真城ちゃん」

「お、おう。よろしくな」


 車が着く頃には、立ち上がれるようにはなった布良さん。力なく微笑む彼女に、僕たちは、何を言えば良いのか、わからなかった。



 大好きな時間。

 ソファーでくつろいで、陽菜と雑談して、抱きしめてもらって、気力を回復して、眠る。そんな毎日。今日もいつも通りに過ごそうとした。

 でも、できない。心が重い。力が抜けきらない。

 くつろぐ気になれないんだ。頭の中をグルグルと、回っている。僕は、手を繋いでいたのに、何もできなかったんだ。

 傍に居たのに、僕は陽菜に助けを求めることしか、できなかった。 

 そんな僕の様子に気づいたのか、陽菜は目の前に立ち、視線を真っ直ぐに向ける。少し、優しさを混ぜた視線だ。


「布良さんのことですか?」

「あぁ。大丈夫かなって」


 あれから、結城さんのご厚意で、布良さんを家まで送り、そのまま僕らも、送ってもらった。


「布良さんの家、仏壇がありました。詳しくは聞けませんでしたが、かなり若い男性の写真が、飾られていました」


 陽菜は、何か関係があると思ったから、そう言ったのだろう。


「原因は、どうでも良いよ。大事なのは、今と、これからだ」


 陽菜が、驚いたような眼を向けてくる。


「あっ、ごめん。どうでも良いは、その……えっと」

「いえ、怒ってはいません。相馬君の言っていることに、一理あると思いましたので。発想にすら無かったことを指摘されたので、感服いたしましたところです」

「そ、そう」

「その通りですね。私たちが原因を探ったところで、どうにもできません。専門家でもありませんし、過去に遡れるわけでもありません。今の布良さんを支えること、そこまでですね。私たちが手を伸ばせるのは」


 陽菜が、僕の思っていたことを、しっかりと言語化してくれた。


「今は休みましょう。まずは、私たちが大丈夫でいないと」

「……うん」




 次の日、布良さんは学校を休んだ。

 放課後。僕たちは布良さんのマンションに向かった。


「……ごめんね」


 布良さんの家のリビング。開口一番、ピンクの可愛らしいパジャマ姿の布良さんはそう言った。


「何か、あったのですか?」


 いつも通りの声色で、陽菜はそう問いかける。


「その……外が、怖くなっちゃった」

「……無理もありません」


 俯きがちに、何かを躊躇うように、布良さんはぽつりと言う。


「……私のお兄ちゃん、車の事故で亡くなってるの」

「お兄さんが?」

「うん。私を庇って」


 ふわふわの髪に隠れて、布良さんがどんな顔をしているのか、わからなかった。


「行けるようになるから、文化祭、お願いね」

 

 布良さんは、僕を見ていた。

 頷く。


「大丈夫だよ。任せて」

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