第29話 メイドと海。
「お疲れ様です。相馬君」
陽菜から水筒を受け取り、一気に煽る。
ビーチパラソルの下、即席の日陰。そこから眺めるは、水着女子二人、布良さんと入間さんからの水鉄砲による狙撃から逃げる京介だ。
寝坊して電車に乗れず、京介はバイクで僕たちに追いついた。
遅刻したということで、罰ゲーム。水鉄砲なしの水鉄砲合戦を強いられている。合掌。
「ふむ……」
「相馬君もやりますか?」
「まぁ、まだ混んでいる状況でもないし、もう少ししたら、片付けなきゃだけど」
「そうですね。では、こちらを」
「……これで、どうやって空気圧縮式の水鉄砲に対抗しろと?」
「相馬君なら、丁度良いハンデだと判断しました」
百均の、お風呂で遊ぶ分には丁度良さそうな水鉄砲を渡される。
まぁ、海水って目に当たると危ないし。これで行くか。
その後、陽菜が隠し持っていた、高火力水鉄砲から放たれる、容赦のない援護射撃により、布良さん達が敗走することになった。
僕は一人、海を眺める。
今、陽菜は布良さんと入間さんとビーチバレー。京介は、夕暮れまでに砂の城を造ると張り切っていた。
「こんにちは」
声を掛けられ振り返る。
長い黒髪の、お淑やかな美人が立っていた。
黒いビキニがよく似合う人だ。
「と、言っても、ほんの少し顔を合わせただけ、言葉も交わしていない相手を、覚えているかと言われても、無理な話ですよね」
「……東雲さん、だっけ?」
「あら、これは嬉しい誤算ですね。はぁい、真城と乃安さんがお世話になったようで。改めまして、東雲リラと申します」
確か、派出所から帰る時、父さんを空港まで乗せてくれた人だ。
僕は自分の記憶力を、全く信用していないが、良かった……。
「リラ先輩、何しているんですかー? あれ、日暮さん、こんにちは」
乃安だ。水色の水着が、よく似合っている……。
何だろう、スタイルが良い、水着姿の女性二人と話すという展開。どこに視点を置けば良いかわからない。
「乃安、ってことは」
「はい、真城先輩もいますよ。釣りをすると言っていましたが」
「釣り、ですか」
楽しそうだな。
この辺り、釣れるのかな。
「日暮さんがいるということは、陽菜先輩も?」
「うん」
僕が目を向けた方向。陽菜はビーチバレーを終え、浮き輪に乗って浮かんでいる。
「隣にいる二人は?」
「友達」
「陽菜先輩の?」
「うん」
「そうですか……」
ん?
どこか、暗い雰囲気を感じて振り返る。
「乃安?」
「はい? 何か?」
ニコッと乃安は笑顔を見せた。
「いや、何でも、ない」
「さて、お暇しますね。そろそろ」
「えっ、あっ……」
何か言う前に、乃安は歩いていく。東雲さんも、ペコリと頭を下げてそれに続いた。入れ替わりで、陽菜がパラソルの下に。
「何か、遊びませんか?」
「あぁ……」
「そうだよ、日暮君。眺めるだけじゃなくて、浸かるのも醍醐味だよ。海は」
「ですです」
三人からそう言われたら、行かないわけにはいかないな。
「うん。そうだね」
海だ。
潮風だ。
綺麗だな、なんて思った。
「陽菜ちゃん、寝ちゃったね」
「うん」
人混みに負けて、築城を諦めた京介と、ビーチフラッグ対決するのは楽しかったし。陽菜を浮き輪に載せて泳ぐのも結構楽しかった。
電車から、まだ海は見られる。
水平線に沈んでいく夕陽に照らされ、一日の最後の煌めきを見せている。
頭の中で、引っ掛かっている。
『何で、陽菜に会おうとしないの?』
乃安に、そうメッセージを送った。
返事は、すぐに返って来た。
『今は、その時じゃありませんから』
『その時って?』
『私はメイド候補生なので。まだ登録試験に合格していないのです』
『つまり、登録試験に合格したら?』
『はい、そして、勇気が出たら、会いたいな、とは思いますよ』
すんなりと浮かぶ、綺麗と可愛いが同居した、乃安の微笑み。
ある意味、あれも、陽菜の無表情と重なる部分がある気がした。
笑顔という、仮面な気がした。
「では、皆様。私はこれで失礼しますです」
入間さんが、電車を降りて。
その次の駅で、乗り換えのために電車を降りる。まだ時間あるな。
「いやー、帰って来たねぇ」
布良さんとは、この駅でお別れ。
陽菜も、流石に起きた。
「送っていきますよ」
「良いの?」
「はい。少々時間もありますし。歩きましょう」
「やった、陽菜ちゃん、大好き! と言っても、すぐそこのマンションなんだけどね」
そう言って指さしたのは、やたらと高い建物。駅前の高層マンションって、結構良い値段するイメージだ。
「お茶くらい、出しますぜ」
「……何か盛る気ですか?」
「いえいえ。さぁ、行きましょ行きましょ」
その時だった、今まさに渡るべく向かっていた交差点から、甲高い音が聞こえたのは。乗用車が急ブレーキを踏んだ音。
誰かが轢かれたわけでも、事故が起きたわけでも無い。大方、赤信号になったのに気づくのが遅れたのだろう。
「布良さん?」
異変に気づいたのは、何が起きたのかを確認した後。
後ろにいた布良さんが、しゃがみ込んで、耳を塞いで。震えている。
「夏樹さん、大丈夫ですか! 夏樹さん?」
「う、うん。平気、ちょっと驚いちゃっただけ。何でだろう。あはは」
すぐに立ち上がり、顔を伏せて、次の瞬間には、いつも通りだ。
「行こうか。車には気をつけないとね」
いつも通り、柔らかい雰囲気を醸し出し、先導するように歩き出す。
「あっ、そうそう。学校始まった最初の週の金曜日の夜。肝試しだからね、忘れないでね」
ちらりと陽菜を見る。
うん。表情筋が、いつもより固くなっているな。
「学校、楽しみだね」
そう言って笑いかけられると、不思議と、夏休みが終わるのが、寂しくなくなる。
楽しみになる、明日からの毎日が。
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