第25話 メイドとプール。

 照り付ける太陽、青い空、流れる水。今日は絶好のプール日和。バスで三十分の総合運動公園のプールは家族連れで賑わっている。

 休憩できる場所を取り、浮き輪を膨らませる。日焼け対策のパーカータイプの水着は、この前陽菜と買いに行ったものだ。


「相馬君、お待たせしました」

「いや、全然待ってないよ」


 可愛い。陽菜の水着が可愛い。白いワンピースタイプでフリルのついたスカート。過度に露出が無い。どストライクだ。

 さらにその上にピンクのパーカーを羽織っているのも良い。水着は持っているとのことでパーカーだけは選ばせてもらった。黒と最後まで迷ったな。

 あれ、僕はなぜこんなに熱く語っているのだ。


「陽菜ちゃん、お待たせ」


 布良さんは、ピンクのビキニに白いパーカー。陽菜と色を合わせたのかな。昨日やけに熱心に連絡を取り合っていたし。

 京介よ、今頃白球を追いかけているのかな。帰ったら恨み言の一つくらい聞こうか。


「入鹿ちゃん、お母さんの実家に行っちゃったからなぁ。陽菜ちゃん、ウォータースライダー行こっ」

「はい」


 女子二人を横目に浮き輪を膨らませることに専念、今は一時間ごとに設けられるプールに入ってはいけない休憩時間だ。

 しかし、プールで遊ぶと言っても何して遊べばいいのかがいまいちわからない。水に浸かって何をするのかという疑問がある。泳ぎの訓練をするとしてもこんな人混みでは何もできまい。


「……あの人、凄い動きしてるなぁ」


 潜水しながら、遊んでいる人たちの足を正確に躱して、鬼ごっこか。僕にもできるかな。

 おっと、あんまりプールの方を凝視していると、変な誤解を招きそうだ。


「ただいま戻りました」

「お帰り」


 帰ってきた陽菜に浮き輪を渡す。


「ありがとうございます」

「布良さんもどうぞ」

「ありがとう」


 泳ぐのが得意と言っていたが、この様子だとその得意な泳ぎを披露する機会は無さそうだ。


「混んでるね~」

「そうですね。さすがにここまで混んでいるとは思いませんでした」


 フードをかぶりプールサイドに佇む陽菜。休憩時間も終わり、プールではしゃぐ子どもたちを浮き輪片手に見つめる。


「ほら、陽菜行くよ」

「はい」



 浮き輪に乗って流される陽菜の隣を歩く。


「あの、相馬君。代わりますか?」

「んー? なんでー?」

「いえ」


 布良さんが近くにいるから、下手なこと言えないのだろう、言葉に詰まった様子だ。

 その布良さんも、今、スイーっと僕の横で流されている。


「まぁ良いじゃん。たまにはこういうのも」


 陽菜の目が、パチリと進行方向に向けられる。


「……相馬君」

「ん?」

「夏樹さんが」

「布良さんが?」

「流されて行きます」

「へ?」


 陽菜が見ている方を見る。

 布良さんが、クルクルと回りながら流れていく。


「あーれー。とでも言ってそうだな」

「ですね」


 まぁ、後で合流できるだろ。

 陽菜の目は、今度は真っ直ぐに、僕の目に向けられる。


「あの、相馬君」

「ん?」

「水着、私、似合っていますか?」

「妙なこと聞くな。似合ってるよ。勿論」

「そう、ですか。良かった……」


 いつもの、陽菜印の無表情に、少しだけ安堵の色を混ぜる。

 あんまりじっくり見るのもあれだが、それでもチラチラと見てしまうし、視界に入れば魅力的だなってなってしまう。


「夏樹さん程、豊かなものは持っていませんけど……」

「女性の魅力はそこで全て決まるわけじゃないだろ」

「豊かなものと言っただけで通じるのですね」


 むっ……。

 無意識のうちに陽菜の胸元に向けられそうになる目を、鋼の意思でどうにか逸らす。水に潜って頭を冷やして急浮上。


「少し意地悪な言い方をしました。すいません」

「いや。僕も不用意な言い方だったと思うよ」


 なんとなく空を見上げた。

 あぁ、広い。人が少なかったら、身を投げ出して、水の流れに身を任せられてずっと空を見上げていたい。


「相馬君、こうして見ると、鍛えられていますね」

「そう?」

「はい。とてもよく」

「あ、ありがとう」


 予想外のところから褒められて、少しだけ反応に困った。


「そ、その、陽菜は……」


 ヤバい、何を言おうとしたんだ、今。

 言いたいことが、頭からすっぽ抜けて、代わりの言葉を探す。


「あー、陽菜は、綺麗、だよ」

「? ありがとう、ございます」

「追いついた~」

「うわっ」

 後ろから浮き輪が衝突してくる。

「夏樹さん!」

「いや~大変だった大変だった。んー? もしかして、お邪魔しちゃった、かな?」


 にんまりと唇を吊り上げて、悪戯っぽく目を輝かせる。


「い、いえ。お邪魔も何も、迷子になる前に合流できて良かったです」

「あー、陽菜ちゃんが子ども扱いするー」


 身を乗り出して、そのまま浮き輪から落ちて、ドボンと水しぶき。

 すぐに浮上した布良さんは、陽菜に抱き着いた。


「こうしてやるんだー」

「あ、あまりくっつかないでください」

「えへへー」


 ふと、考えてしまう。

 陽菜に、気持ちを伝えるかどうか。

 こういう時間、この距離感が維持できるなら。守れるなら。

 進まないという選択も、ありだと思うんだ。



  

 夕暮れの帰り道。三人でバスに乗る。


「陽菜ちゃん、寝ちゃった」


 布良さんは、自分の肩にもたれかかって眠る陽菜を、どこか嬉しそうに眺めた。


「ねぇ、日暮君」

「ん?」

「陽菜ちゃんのこと、好き?」

「唐突だな」

「答えてよ」


 その微笑みは、有無を言わさぬ雰囲気を感じた。

 でも、僕は、それを告げて良いのか、わからない。

 確かに陽菜は、手紙で気持ちを伝えてくれた。

 ただ、僕は思う。僕で良いのかと。陽菜ほど魅力的な人なら、もっと他にいるのではないかと。


「日暮君、とってもくだらないこと、考えてない?」

「くだらないって、何が?」

「気持ちを抱くこと自体に、相応しいも何も、無いと思うけどな」

「……なんで、急に」

「相馬君の顔、すっかり迷ってるんだもん。んで、私の質問に誤魔化すでもなく、答えてくれないってことは、その段階かなって。好きだけど、それで良いのかなって」


 すっかり見透かされているようで、僕は両手を上げて、観念したことを示した。


「相馬君、もう少し、素直になってみようよ。見てよこの美少女。自分の傍に居て欲しくない?」

「まぁ」

「陽菜ちゃんの、どこが好き?」

「……手を抜かないところ。一緒にいて、落ち着くし。なんか、安心する」


 布良さんの目から逸らせない。まるで釘付けにされたようだ。

 真っ直ぐに、瞳の奥が覗かれている。


「ふーん。そっか。なんか良いね」

「何がさ?」

「そういうの、好きだよ。応援する」


 素直に、ありがとうとは、言えなかった。

 気持ちを伝えよう。そう思ったあの日の勢いが、今の僕にはない。

 あの時は、日常から離れて、テンションがおかしかった。こうして、普段通りに戻ると、どうにも。

 あと少しの勇気が、振り絞れない。

 魅力的で、綺麗で、僕には勿体ない人。

 布良さんと別れ、陽菜を背負い歩く。

 今、僕の背中で眠る彼女との繋がりは、今の僕にとって一番大事で。

 背中に感じる温もりで、心が満たされていくのを、感じるんだ。


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