第18話 メイドを連れ戻しに出かけます。2

 「恐らく、陽菜先輩は、最上階の一番奥です。先ほど、メイド長と一緒に歩いているのを見ました」

「あぁ。わかった」


 入り口を塞ぐように立つ結城さん。

 もう一つの扉まで走るか、正面突破か。

 この障害物が多い空間、玄関ホールでの逃走劇から考えて、まともに走って逃げきれはしないだろう。

 正面突破を選ぶとしても、まだ、相手の実力を測り切れていない。

 慎重な選択をしたいが、人数差で押し切れる可能性もある。


「どうしますか?」


 朝比奈さんが、試すような視線を向けてくる。


「……僕が突っ込む」

「日暮さんがたどり着かなきゃ意味が無いのですよ」

「そうだけど」

「なら、どうして」

「ここで君を捨て駒にしたら、陽菜に顔向けができない」


 陽菜とこの子の関係はわからないが、先輩と呼び慕っているということは、陽菜もそれなりに思い入れのようなものがあるかもしれない。

 さて、どうするか。

 僕の我儘で欲張りな主張を、どこまで貫けるか。

 瞬間、結城さんの姿が、急に、大きく見えた。


「ぐっ!」


 咄嗟に交差した腕に、右拳が衝突する。


「へっ。まどろっこしい」

「なぜ……」


 あそこに立っていれば、僕たちは仕掛けなければならない。背中を取られる心配も無い。


「守るよりも、攻める方が得意なんでね」

「ぐあっ」


 足が払われ、尻餅をつく。腹を踏まれ、空気が一気に口から漏れた。

 マズい。と思ったが、朝比奈さんは、本当に僕と一旦手を組んでくれるみたいだ。

 朝比奈さんが、音も無く結城さんの後ろに立つ。竹刀だ。振り下ろされる。


「甘いね。乃安」

「うっ」


 指二本での白羽取り。朝比奈さんの腹に蹴りが叩きこまれる。

 強い。……ここまでとは。

 なるほど、勝てないな。

 でも、忘れてはいけない。勝利条件は、この人を倒すことじゃない。


「ハハッ」


 何とか、反応できる。

 今の一連のやり取りで、目が慣れた。

 大丈夫。父さん程じゃない。

 調理実習室に並ぶ、机や椅子。それらがまるで無いかのように動きで攻め立ててくる結城さん。一つ一つ、確実に躱し、防ぐ。

 ……ここで、陽菜は料理の練習したのかな。


「……よし」


 避けながら僕が移動した先は、もう一つの入り口。振り上げられる足を躱し、僕は部屋を出た。


「日暮さん。走って!」

「よし!」


 先に部屋を出ていた朝比奈さんの手により、片方の扉は既に簡単には開かないようにされている。

 僕が出たのと同時に、同じ細工。何をしたのか知らないが、結城さんが扉を開けようとして失敗したのはわかった。

 



 「陽菜!」


 最上階。一番奥の部屋。ここに、陽菜がいるのか。

 扉を叩く。中で人が動く気配がした。


「……無粋ですね。真城先輩」


 階段を駆け上がる音が聞こえるのと同時に、朝比奈さんは駆け出す。


「先輩孝行です。遊んであげましょう。行きますよ、真城先輩」


 そう言って、階段の踊り場に消えていく。


「陽菜! 聞こえるか!」

「……相馬君。どうしてここに?」


 扉の向こう、戸惑ったような声が聞こえる。

 良かった、ここだった。


「迎えに来たんだよ」

「……相馬君。あの手紙、読みましたか?」

「勿論」

「……嫌じゃ、無かったのですか?」

「嫌なら、来ない。陽菜、僕は、陽菜が辞めるにしても、こんな別れ方は、嫌だ」


 沈黙。


「陽菜!」 


 返事は無い。

 開けてくれ。頼む。

 後ろから、殺気を感じた。咄嗟に横に転がると、さっきまで体があったところに、喰らえば内臓まで持ってかれそうな勢いの蹴りが通過した。


「手こずらせやがって」

「……チッ」


 階段の踊り場に至る曲がり角、倒れた朝比奈さんの足が見えた。

 ……勝つしかない。

 くそっ、結局、桐野を時間稼ぎに使って、朝比奈さんに足止めして貰って、僕は、陽菜にこの扉を開けてもらうことが、できなかった。

 本当に、ろくでもない。僕という人は。

 誰かに起こしてもらって、背中を押してもらって、連れて来てもらって。

 時間を作ってもらって、ようやく、目的の目前まで来て。

 それでも、届かない、なんて。


「それだけは、駄目だ」


 震える足を叩く。

 震える手を、拳を握って止める。


「へぇ、良い目になったね」

「そりゃどうも」

「その扉が開かないってことは、拒否られたんじゃん。帰ったら?」

「やだね」

「じゃあ、あたしの仕事をするよ」


 構える。もう、後には退けない。結城さんを倒すことが、陽菜に会うための必須条件になってしまった。


「……陽菜、ちょっと待ってろ。話は後だ」




 床を強く踏み込む音が二つ。すぐに、扉に何かが衝突した。


「そ、相馬君!」


 返事は無い。足音。結城真城に、相馬君が向かっていく音。


「だ、駄目です!」


 相馬君では、勝てない。

 私が相馬君の戦闘を見たの一度のみ。その時の動きから判断するに、厳しい。

 彼女の武術の腕は、派出所一。

 私も、勝てたことは無い。

 助けなければいけない。


「でも……」


 なんで、私は躊躇しているんだ。

 なんで、私は、立ち上がれないんだ。


「……怖がっている?」


 私は、何を、怖がっているんだ?

 私は、どうして、動けないんだ。

 もし、もう一度、相馬君の顔を見たら。

 帰りたい。そう思ってしまう。

 帰りたい?

 私は、今帰って来ているのに、帰りたい、そう思った。


「相馬君……!」




 「カハッ。ぐっ。けほっ」


 やべぇ。どうしようもねぇ。

 全身痛いし、気合いで自分を誤魔化すのも、厳しくなってきた。

 攻撃は見えるし、反応できる。けれど、それでも、誤魔化しても感じる痛みは、確実に、集中力を削ってく。


 それでも、どうにか。

 立っていれば、チャンスは、どこかに。

 そう、どこかに。


「終わり、だ!」

「ぐっ」


 腕越しに伝わってくる衝撃。

 防御が崩れる。そこに叩きこまれる右拳。内臓が抉られる


「まだだ!」


 腹にめり込んでいく結城さんの拳を握る。


「だぁあああ!」


 背負い投げ。痛みを堪え、床に叩きつける。

 まだ、これで決まりじゃない。首を締め上げる。


「ぐっ、ぎっ!」

「落ちろぉお!」


 手首が掴まれる。

 負けるか。ここで引き剥がされて、たまるか。

 気合いでどうにかなる範囲は、どこまでか。

 僕は、まだ頑張れる。

 でも、頑張れるのと、できるのでは、話しが違ったんだ。

 気がつけば、天井を眺めていた。

 投げ飛ばされた。そう気づいた頃には、結城さんは立って、僕を見下ろしていた。


「やるね、あんた。正直驚いたよ。危なかった」


 動かない。動けない。

 電池が切れたみたいだ。役立たずになった体。

 頭が、心が、立てと言っているのに、

 くっ。


「動け!」


 どうにか動いた腕、殴った床。手の痛み。ぼやけかけた意識が、一気に晴れる。


「……立つのがやっと、か。残念だけど、ここまでだね。楽しかったよ」


 スカートの端を摘まみ、優雅にお辞儀。そして、構える。

 右足が真っ直ぐに、確実に、側頭部を狙ってくる。

 ……避けなきゃ。

 鼻先を、掠めるように通過していく足。

 ちゃんと、やり返さなきゃ。

 突き出した左拳は、鳩尾に突き刺さる。

 続けて右拳が顎を打ち抜く。右足が、脇腹へ。


「へっ」


 なぜ、このタイミングで、笑えるんだ。

 なぜ。

 なぜ……。

 しっかりと構えなおした結城さん。

 その構えは、美しく、僕は負けを確信した。

 鋭く息を吐き、放たれる一撃。意識を飛ばさなかったのは、奇跡だ。


「は、ははっ」


 やべー。笑えて来た。

 やれること全部やると、人は笑えるんだ。


「相馬君。お疲れ様です。遅くなりましたが、後は私にお任せを」


 だから、僕は幻覚だって思ったんだ。

 僕を庇うように立つ、陽菜の後ろ姿。すっかり見慣れた、けれど、久しぶりに見た後ろ姿。


 

 

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