第10話 メイドの恩返し。

 陽菜が、じっと見つめてくる。 

 じーっと。


「ど、どうかした? そんなにじっと見て」

「いえ、すいません」


 梅雨らしく、外は雨が降っている放課後。

 電車まで時間があるから、教室で少し時間を潰していた。


「あっ、二人まだいたんだー」

「布良さん。生徒会終わったんだ」

「うん。一緒かーえろ」

「良いね。陽菜、行こう」

「はい」


 そんなわけで、三人で教室を出る。

 雨は止まない。

 そんな雨の下、布良さんは朗らかな笑みを崩さず、傘を開く。


「……雨か」


 そんな、見ればわかることを、思わず呟いた。


「雨は嫌い?」

「嫌いではない」

「そうなんだ」

「見てる分には、良いと思うよ」

「わかるかも」

 

 雨を見ていると、世界が洗われていく気がする、なんて言うのは少し大げさだろうか。

 でも僕は、どうしてか、雨を見ると傘を閉じたくなる。雨合羽を脱ぎたくなる。

 そんなことをする誰かを、見ていた気がするから。

 その子が言っていた気がする。「ついでに洗ってよ」って。

 

「相馬君?」

「ん?」

「どうかされましたか?」

「あ、あぁ」


 下から見上げる視線に、心配の色が混ざる。


「? 大丈夫ですか?」

「あぁ。行こう」

「はい」


 ちゃんと傘を差して、歩き出す。


「そうだ、駅ビルにね、美味しいフルーツパフェ売ってるの」

「良いですね。行きましょうか」

 

 陽菜が自然にそう応じる。

 あぁ、ちゃんと友達だ。


 



「美味しかったな、あれ」

「あのフルーツパフェですか? 確かに、果物に凄いこだわっていましたね。果物の甘みを際立たせるために、クリームの甘みが控えめになっていました」

「うん」


 家に帰って、いつもなら、さっさと制服から仕事着に着替える陽菜だが、じーっと陽菜はまた視線を向けてくる。

 何だろう。陽菜の考えていることが、読めない。


「……ご主人様」

「ん?」

「何か、して欲しいこととか、ありませんか?」

「? 無いけど」

「そ、そうですか……」


 心なしか、少しだけ肩を落として、自分の部屋に行ってしまう。着替えに行ったのだろう。

 



 「ご主人様、肩を揉みましょう」

「いや、そこまで凝ってないから、くすぐったいな」


 夕食後、ぼんやりしているとそんな風に言われ。 


「ご主人様。お背中を流しましょうか?」

「いや、大丈夫だけど」


 お風呂入っていたら、そんな風に声を掛けられ。


「耳かきをしましょう」

「自分でできるな」


 風呂上りにはそんな風に言われる。


「……本当に、何かして欲しいこと、無いのですか?」

「むしろ、何で何かしたいんだ?」

「……その、相馬君には、お世話になりましたので、日頃の感謝を行動で示したい、そう思っています」


 お世話? したか? 


「むしろ、僕がお世話になっていると思うよ」

「わ、私はお給金を貰っているので」

「それは父さんが払ってるものだし」

「そ、それでも。相馬君! 何か、ありませんか? 私に、して欲しいこと」


 うーん。

 テンパっているのか、呼び方が相馬君になっているな。

 結構本気で言っているんだなぁ。でもなぁ。

 陽菜を見る。ほどよくほっそりとした、小柄な女の子。顔立ちはかなり綺麗。

 して欲しいことありませんかなんて、男子高校生に言ったら危ない台詞トップ10には入りそうなことを言ってしまう子。


「……膝枕」

「はい! どうぞ」

「……えっ?」

「膝枕ですよ。はい」


 マジか。


「えーっと?」

「本来ですと、そういった命令は契約違反ですけど、良いです」

「だよね。うん。契約違反だよね」


 良かった。ちゃんとそこらへん守られてるんだな。


「私は、良いと言いました」


 冗談を言っていないのは、声色で何となくわかった。

 そもそも、陽菜が冗談を言うイメージが無い。


「……なぜ?」

「恩返しですから。……最近、少しだけ、私の世界の色が、豊かになった気がします。それをくれたのは、間違いなく、ご主人様ですから」


 そっと手が握られる。手を引かれ、陽菜の隣に座る。

 頭をそっと押され、陽菜の膝に導かれる。


「なぁ、陽菜」

「はい」

「もし、勤め先のご主人様が滅茶苦茶酷い奴だったら、どうするんだ?」

「その場合、メイド派出所に無断で帰ることが可能です」

「へぇ。連れ戻しに来る奴とか、いるの?」

「そうですね……メイド派出所は、アポなしの方、招かれざる客には、手荒な歓待をします」

「ほう」


 手荒な歓待、とな。

 そう言えば、陽菜も前、戦えるみたいなこと、言ってたな。


「それよりもご主人様」

「うん?」

「どう、ですか?」

「なんか落ち着く」


 硬過ぎず、丁度良い柔らかさで、油断したら寝てしまいそうな、そんな。

 柔らかく、頭が撫でられる。

 心なしか、穏やかで優しい表情で見下ろされる。


「あの、ご主人様、寝るのは、少し困ります、ね」

「わかってるよ。しかしそっか、陽菜に辞められないよう、気をつけないとな」


「しかし困りましたね、私の退職願、旦那様に出す契約なのですが、これでは海外に郵送することになりますね、直接出すのが礼儀であると教えられているのですが」


「えっ、陽菜辞めるの?」

「いえ、辞めるつもりはありませんよ。冗談です」

「お、おう」


 びっくりした。正直。

 そうか、僕も意外と、陽菜との生活を、楽しんでいるのかもしれない。


「今の生活を、気に入っている私がいるのも、事実ですから。ご主人様にお仕えして、夏樹さんと友人としての関係を育んで」

「きっとこれから、もっと楽しいこと起きるから」

「……少しだけ、楽しみにしている自分が、いますね」


 きっと、陽菜は気づいていない。

 ちょっとだけ、微笑んでいることを。

 こうして見上げている、僕だけが気づいている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る