第9話 メイドと恋人ごっこ。

 眠れなかった。眼が冴えきって、ずっと布団の中でのたうち回っていたら、日が昇ってきてしまった。

 目を閉じているだけで、寝た事にはなるとは聞いていたが、頭がぼーっとする。

 恋人のフリをするだけなのに、どうしてこうも緊張しているのだろうか。

 ジャージに着替え、いつもより早いが部屋の外に出る。


「ご主人様? おはようございます。いつもより早いですね」


 丁度部屋のすぐ外の廊下、掃除道具を持って、陽菜が立っていた。

 ドキッとしたが、表情には出なかったはずだ。


「目が覚めてしまってね」


 そう言うとすっと陽菜の手が僕の額に伸びる。少しひんやりとした手が、寝不足の目には心地が良い。


「熱は無いようですが少し心配ですね。顔色が悪いようです」

「大丈夫大丈夫、寝不足なだけだから」

「きついようでしたらお申し付けください」

「大丈夫。今日は大事な日だから」

「……ありがとう、ございます。よろしくお願いします。失礼します」


 そう言って一礼。階段を降りて行く。僕もそろそろ日課を処理してしまおう。




 いつもより早いというのに、それに即座に合わせて、しかもコーヒーまで用意してくれる陽菜の対応力に感服する。

 シャワーとコーヒーのコンボで、少しはマシになったが、日差しがまぶしい。


「相馬君、少し早いですが。手を」


 小さな手が差し出される。

 意味が分からず呆然としている僕の手を、陽菜は優しく握った。

 柔らかで、すべすべして、ひんやりとした手。ずっと触っていられそうな手だった。


「恋人のフリをするのであれば手をつなぎましょう」

「そうだね」


 握り返す。本当にもう、後には退けない。


「相馬君、その、手汗は気にしないでください、それと、手が冷たいのも我慢していただけると助かります」

「大丈夫、たぶん僕の方が手汗ひどいと思う」


 世のカップルは、こんなことが日常茶飯事なのか、あいつらの心臓は鋼鉄製なのか。




 「とても良い、とても良いよ。陽菜ちゃん、相馬君。遠くから見ててキュンキュンしちゃったよ」

「見ていたのですか、夏樹さん」


 教室に入った途端、面白いおもちゃを見つけた子どものような表情で、布良さんが話しかけてくる。


「心配だから通学路探していたら、二人が手を繋いで登校していたから、離れた所からずっと見ていたの」

「恋愛控えるべきと言う立場だと思っていたけど、意外と好きなのか、人の恋路を見るのが」


 昨日はキスも駄目だと言っていたのに。


「清く正しい恋愛を見ているのは大好き、ドロドロしたのは嫌い」


 きっぱりと言い切る。

 わからなくもない。


「ちなみに、今日テニス部休みらしいから。接触してくるとしたら今日だよ」

「マジで?」

「マジだよ」


 もし今日の登校風景を見られていたとしたら、どんな接触をしてくるか。面倒だ。


「陽菜、今日は僕から離れないように」

「了解です」


 強硬手段取ってくることだってあり得るのだから。その時は、覚悟を決めよう。


「そうそう、そんな感じでお願いね」

「布良さん、目的忘れてないよね?」

「うーん、ほら、良識のある人なら、この状態見れば納得して諦めてくれると思わない?」

「それなら苦労しないけどさ」

「でしょ、ねぇねぇ陽菜ちゃん。今日だけ私の席貸してあげようか?」

「いえ、大丈夫です。休み時間の間だけ貸していただければ」

「もちろん貸すよ!」


 布良さん、元気だなぁ。生真面目な陽菜は、大方これが純粋に作戦のためと思って

いるのだろう。

 陽菜と布良さんを置いて席に着く。

 とりあえず僕と陽菜が手を繋いで登校する光景は、相当目立っていたようで、これならおそらく、件の男は見ていた可能性は高いだろう。

 問題は、どう動くか、それをどう対処するか。

 

「おーっす」

「おう」

「仲睦まじいな、お前ら」

「作戦だ」


 野球鞄を担いだ桐野が、まだ持ち主が現れない目の前の席に座る。


「それで、手を繋ぐことのほかに何やった? 作戦の名目でどんなことをした」

「いや、手を繋いだだけだぞ、どんな下種野郎だよ」

「バカ言え、男子の健全な発想だぞ!」

「んなわけあるか」

「桐野君、少しその場所を借りてもよろしいですか。相馬君に用事があるので」


 陽菜がいつの間にか桐野の後ろに立っている。


「おっと、これは邪魔しちゃいけねぇなぁ。ではでは退散退散」


 わざとらしい歩き方で自分の席に戻る桐野、陽菜はそれを確認すると僕の机のそばにしゃがみ上目遣いでこちらを見つめてくる。


「ど、どうした?」

「相馬君、陽菜に何か言いたいことはありますか?」


 えっと。

 たどたどしく、けれど、可愛らしく、下から覗き込むような体勢。


「我慢しなくて、良いですよ」

「陽菜さん?」


 自然な動きで僕の手を握る。小さく首をかしげて僕を見つめる。どうすれば良いこの状況、というかこれ絶対おかしい。何かがおかしい。


「布良さん!」

「はい、何でしょう。周りの目を気にせず、どうぞそのまま続けていてください。私の目の保養になるので」

「清く正しい付き合いはどうした。この誘惑は清く正しい付き合い方なのか?」

「細かいことは気にしないの。というかよくわかったね、私が吹き込んだなんて」

「一人称が違うし陽菜はこんなことはしない」

「流石だね」


 それはもう良い笑顔で親指を立てる。


「それでそれで日暮君、ドキドキした?」

「ノーコメントだ」

「素直になろうよ。でもその表情だけで十分かな。やったね、陽菜ちゃん」

「本当に、これがあの男を撃退するのに、繋がるのですか?」

「そりゃもちろん、さぁ、こっちに来て」


 そうしてまた何やら耳打ちし始める布良さん、今度は何をやらせるつもりなのだろうか。

 それからの休み時間は、やけに近い距離で話す陽菜にどぎまぎする。話題自体は大したことはない、ただ近くにいるというだけで変な気分になる。

 昼休みは昼休みで、布良さんの差し金による陽菜の奇行は続く。


「相馬君、お口を開けてください」

「どうした?」

「夏樹さんが、恋人同士はこうするものだと」


 恥じらうわけでもなく、必要なことだと割り切った様子で、箸でつまんだ卵焼きを差し出す。

 隣の桐野の殺気のこもった視線と、布良さんのワクワクしている雰囲気に、多少腹が立たないでもないが、ここは仕方がない。そう仕方がない。

 そう割り切って、陽菜の差し出す卵焼きを食べる。

 小さくため息をついたその時、妙な視線を感じて慌てて教室の外を見る。男子生徒が駆けていく姿。追いかけるべきか迷う。


「相馬君?」

「いや。何でもないけど。どうした?」

「次はこれを食べていただこうと思いまして」

「あ、あぁ」


 そういえば僕はなぜこうも必死になっているのだろうか。いやまぁ、碌でもない男に陽菜がつかまるのは確かに良くないことだとは思う。

それでももしかしたら、改心してとても誠実な男になっているかもしれない、という可能性はほんの僅かにある。

 いや、強引な迫り方している時点で無いか。


 結局弁当はすべて陽菜に食べさせてもらう形になった。教室でこういうことをする意味はあるのだろうか? という疑問があったが、教室まで覗きに来るということは、意味があったのかもしれない。


 そして放課後になった。


「相馬君、どうしますか?」

「帰るべきだと思う。接触しないに越したことは無い」

「なるほど」


 布良さんは生徒会、桐野は補修。特に用事もない僕らは帰ることにする。


「あぁ、いたいた。探したよ。朝野さん……って君だれ?」

「いや、こちらこそあなた誰といった感じなのだが」

「名乗る理由、無いなぁ、僕は朝野さんに用があるのだけど」

「相馬君この人ですよ、例のしつこい人」


 あぁ、そう言えば昼休みに覗いていたやつに似ている。


「話聞く限りあなたの良いうわさ聞かないのだけど」

「何だ、僕の事知っているんだ。にしたって所詮は噂だろ、つうかお前何? 朝野さんの何?」

「幼馴染」

「そんなので保護者気取り? キモイなー。どいて」


 延ばされた手を反射的に払う。


「へぇ、先輩の言うこと聞かないんだ。しょうがないなぁ。予定変更、頼むわ」


 その声に応えて、わらわらと五人ほど男が入って来る。

 えっ、何、この、べたな展開。


「そいつ連れてけ」


 はぁ。やるしかないか。

 五人のうち三人が僕を囲む、陽菜に手を出す前に、僕をどうにかするつもりらしい。

 僕を捕まえようと伸ばされた手を払い、全力で腹を殴る、後ろから伸びる手を掴み、そのまま背負い投げして、前にいたやつにぶつける。これでとりあえず三人は倒した。あと三人。


「どうずる? まだやる?」


 ん? 僕が倒したこの三人、この上履きの色、一年生じゃん。同い年でもこんなことしている人っているのか。

 正面を見据える。仕掛けてこない限り手は出すな。これが、僕が父さんから教わったこと。正当防衛を常に成立させておけとのことだ。

 にらみ合いが続く。


「うおらぁぁぁ!」


 そんな膠着状態に陥ったこの状況。それを破ったのは第三者の叫び。

 数秒後、目の前にいた三人は、床に転がっていた。


「俺のダチに手出そうとは良い度胸じゃねぇか」

「てめぇ、足どけやがれ」


 例のしつこい人は踏まれながらも必死の抵抗。


「俺の地元じゃ、俺にそんな口きく奴はもういねぇから、新鮮な気分だぜ。おう良いぜ、まだやるってのか? 何人用意している? 百か? 二百か? そのくらいは用意しとけよ」


 そう言って、凶暴な笑みを浮かべる。


「ひぇ。ひぃ」


 僕が仕留めた三人以外は、すぐに逃げ出した。


「何だつまらねぇな。二人とも無事か?」

「まぁね、陽菜は大丈夫?」

「はい。相馬君が守ってくれたので。でも一応私も戦えますので、相馬君が戦ってくれたおかげで何もする必要が無かったですけど……」


 このメイドは戦闘もできるのか。


「しかし桐野、お前強いな。しかし悪いな、巻き込んで。部活とかに支障出るだろこれ」

「良いって良いって、友が困ってるときに見捨てるようなことしちゃ、自分で自分が許せねぇよ。俺がやりたいようにやっただけさ。さて、俺は今から部活に行って来る。補修も今日で終わりだぜ。いやっほう!」


 やけにテンションが高い桐野が教室を出ていき二人きりになる。

 いや、正確には三人足元に転がっているのだが。


「見事に気絶してますね。旦那様から聞いていましたが、本当に戦える人なのですね。相馬君は」

「うん、意外といけた」


 毎朝、頑張った甲斐があったというものだ。


「どうしますか? 保健室に運びますか?」

「いや、逃げよう。事情話すのが面倒だ」

「了解しました」


 学校を出て、とりあえず昨日の公園まで逃げて、布良さんにスマホでさっきのことを報告しておく。

 しかし、暴力沙汰になってしまったか。

 ちらりと陽菜を見ると、何か言いたげに震えている。


「どうかしたか?」

「その、相馬君。ごめんなさい。結局暴力沙汰になって、相馬君を戦わせてしまって。本当にごめんなさい」


 陽菜は深く頭を下げた。

 どうしたものか。

 別に良いじゃん。と笑って、そのまま誤魔化せてしまう器用さが欲しいと思った。

 真面目な陽菜は、簡単に自分を許さないだろう。徹底的に、自分を責めてしまう。


「えっと、とりあえず、頭上げてもらっていいかな?」

「はい」


 素直に陽菜は頭を上げた。泣いていた。陽菜も泣くんだな。なんて思った。


「作戦自体も全然効力無くて、結局こんなことになってしまいました。何でも言ってください、その通りにします」


 こういうのって大体イケメンに限るとかよく言われてるけど。

 僕は陽菜の頭に手を乗せて撫でた。


「えっと、相馬君?」

「いや、これで良いよ。僕はどうやら女子の髪の毛が好きらしいから。陽菜の髪はサラサラで触ってて心地が良い」


 黙って撫でられ続ける陽菜。泣きじゃくる女の子を好き勝手するというと聞こえが悪いけど。今は、陽菜が自分を責めなくて済むようにしたかった。


「これからは好きな時に勝手に撫でさせてもらうことにするよ」

「そんなことで良いのですか?」

「そんなことで良いよ。それに、陽菜。今回の作戦は、僕も了承して協力したんだ、陽菜一人の責任じゃない」

「でも、最後は相馬君一人に、任せてしまいました」

「それならさ、ごめんじゃなくて、ありがとう、が欲しいかな」


 一瞬だけ、陽菜は迷いを見せた。

 ころころと変わる陽菜の表情。貴重な時間を、目に焼き付ける。


「そう、ですね。私が、間違っていました。ありがとうございます。相馬君」

「うん。さて、こんなところで話していてもあれだし、帰ろうぜ」

「はい」


 陽菜は小さく、はにかんだように笑った。

 その後、あの男からの接触は無かったし、騒ぎにもならなかった。僕らとしても騒ぐつもりは無い。

陽菜は最近入間さんとも話せるようになった。とは言っても相変わらず自分から話しかけるようなことは無い。

 あんなことはもう起きないだろうけど、僕の朝稽古は朝だけでは無く夕方にも追加して念入りに行うようになった。陽菜の仕事を増やす形にはなるし、陽菜も戦えるというのは噓ではなかろう。けどやっぱり男の僕が守りたい。


そして季節は、夏になる。

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