第11話 メイドと期末試験。

 七月も半ば、遂にこの時がやってきてしまった。


「どうぞご主人様。これが今回のテスト対策ノートです」

「今回も作ったんだ」

「はい、今回は前回の反省を生かしたものとなっております」


 寝る前の一時もこの時期はテスト勉強だ。


「お休みになる時ははお申し付けください。お風呂の方の準備をさせていただきますので」

「うん、ありがとう」


 お風呂に入ってからの勉強はお勧めしない。理由は簡単だ、確実に眠くなる。やるなら勉強をするだけしてからお風呂に入って寝るのが一番良い。


「さて、やりますか」


 陽菜が作ったノートは相変わらずわかりやすい。丁寧な文字で書かれた解説はすんなりと頭に入って来るし、今回の暗記科目系のノートは関連を強く協調していてセットで覚えられるから点数の伸びも期待できそうだ。

 陽菜はというと、リビングのソファーに行儀よく座り小説を読んでいる。


「陽菜、ソファとはくつろぐものだぞ。姿勢崩してくつろぐのが吉」

「私はメイドです。ご主人様が努力している横で怠惰に過ごすことなどできません」


 テスト一週間前、僕らの夜はこうして更けていった。



 

「どうした桐野、元気ないな」


 桐野の周辺だけ空気が重い。


「おう、昨日部活でな。俺来なくて良いって」

「ついにクビになったか」

「中間で補修食らったから、今回は徹底的に勉強して来いと」


 そりゃそうだ。この学校、一応、偏差値は結構高い。

 ギリギリで入った僕みたいな人が、早々に躓いて、そのままずるずると低空飛行することも珍しくない。僕は陽菜のおかげで結構余裕を持てているが。

 顧問の先生も、早々に良い決断したと言える。


「手伝うか?」

「頼む」

「ふっふっふっ、ここで私登場!」


 不気味な笑いとともに布良さんが登場。


「頼れる学級委員長の私が、桐野君のサポートをしましょう」


 すごい、布良さんが頼もしく見える。


「あぁ、学年一位様。早速今日の放課後から頼みます」

「合点承知だよ」


 というわけで放課後の教室、僕と陽菜と桐野と布良さんの四人で机を突き合わせていた。


「さて、それじゃあ始めましょうか」

「頼みまっせ、先生!」

「桐野君の苦手科目は理科と数学と英語以外とのことでしたが、どこから教えれば良いですか?」

「どこからだろう……わからないっす」

「そうですか、困りましたね」


 わからないところがわからないというのが一番困るパターンだ。

 わからないところをあぶりだす必要があるからではなく、大抵の場合全部わからないというパターンだからだ。


「そうだね、そこで私はこんなものを用意したのだ」


 そう言って何枚かの紙を取り出す布良さん。


「これはね、予想問題だよ。桐野君に教えるならまずこれが必要かなって」

「わざわざ作ってくれたのか?」

「いえいえ、友達にあげる分の余りでございますよ」


 テストの度に作っているのだろうか。


「前回も作ったのですかそれ?」

「前回は作ってないよ。成績が振るわないって相談されたから作ったんだ。陽菜ちゃんの相馬君に作った対策ノートみたいに上手にはできてないけどね」


 布良さんの持ってきた問題は一教科ごとに何パターンか用意されている。これを作るのは相当時間をかけたはずだ。


「勉強の復習には丁度良かったよ。さぁ桐野君の一番苦手な古文からやっていこう」

「おっす、先生。了解しました!」


 桐野はどこからか取り出した鉢巻きを巻き、問題に挑んで行った……。



「うん……相当まずいね……」


 布良さんの目が死んでいる。どうして桐野の点数で布良さんが虚ろになるかがわからないけど。


「これはまず単語は自分で覚えていただき、まずは文法から指導するのが効率的だと思われます」


 陽菜が冷静に意見を出す。


「そうだね、それだよ!陽菜ちゃんありがとう」


 布良さんがすぐに復活する。早いな。


「さぁ、桐野君黒板を見て。私を信じて!」


 布良さんが張り切ってチョークを構えて授業を始める。


「相馬君はどうでしたか?」

「微妙、かな」

「なるほど、では、私が解説しましょう」

「了解、陽菜先生」


 なんとなく、陽菜の頭に手が伸びた。


「人前だと恥ずかしいです」

「ごめんなさい」

「私は構いませんが、相馬君が変態さんのように思われるのを危惧しているのです。ふとした時、相馬君が足や髪、首筋を眺めているの、気づいているのですよ」

「んぐっ」

「女の子は、意外と視線に敏感なのですよ」


 耳元で囁かれた言葉に、思わず息を飲んだ。


「時折、布良さんの胸元に目が行っているのも」

「い、いや……えっと……」

「仕方ないですよね、大きいですよね。羨ましいです」


 耳元で囁かれ続ける言葉に、鼓動が早くなっていく。ん?


「? 羨ましい?」

「いえ、何でもありません……あの、あまり、見ないでいただけると」

「見てない」

「いえ、視線、行ってましたよ、私の慎ましい……いえ、これ以上はやめます」

「あぁ。その方が良い」

 






 「それじゃあ、おつかれさまでしたー」

「お、おう」


 桐野の意識が飛びかけている。


「うーん、おーい起きろー」


 小テストもやりながら教えたみたいだ。後半の方は結構点数も伸びている。


「ほら桐野、帰るぞ」

「おう、了解……」


 これ大丈夫か? 帰れるのか?


「お前らー、早く帰れよー」


 先生が心配になったのか見に来たようだ。


「おや? 桐野、勉強していたのか。野球部にちゃんと復帰できればいいな」

「はい、頑張ります」


 先生がこちらを見つめる。僕と陽菜は布良さんを見つめる。


「あまりいじめないでやってくれよ……」

「えっ、えっ、私?」


 他に誰がいるんだ。改めて布良さんのやった小テストを見ると、一日で結構な範囲をやったようだ。


「布良さん、手加減を覚えよう」

「うーん、もう少しゆっくり進めた方が良かった?」

「いえ、全然大丈夫っす。ガンガンお願いします」


 そうは言うけど心配だなぁ。いやまぁ、心配している暇なんて無いけどさ。


「それでは皆様、また明日」


 陽菜と僕は教室を出る。テスト前でも練習している部は練習しているのだなぁ。外はまだ明るい、夏を実感させてくれる。

 電車を待っている間も陽菜ノートを見る。


「相馬君、成果を確認しましょう。これをやってみてください」


 それは小さな紙に手書きで書かれた小テスト。とりあえず解いてみる。


「ほい、できた」


 陽菜に返す。一通り目を通して。


「正解ですね。百点満点です」


 おぉ、やればできるものだ。


「本番もこの調子でお願いします」

「了解といいたいところだけど保証はできないよ」

「大丈夫ですよ」


 電車がやってくる。今日も帰路に着く。





 期末試験最終日の朝。

 陽菜はいつも通り、家事に取り組んでいた。


「おはよう」


 ……ん?


「おーい。おはよう」

「……! はい、すいません。おはようございます」

「大丈夫?」

「大丈夫です。いつも通り、元気ですよ」


 陽菜に元気というイメージは無いが。


「と、とりあえず、僕はちょっと行ってくるね」

「はい、朝の運動。いってらっしゃいませ」

 


 なんか、おかしいな。

 違和感だ。

 違和感を感じる、という言葉に覚える程度の違和感だけど。


「ご主人様、コーヒーです」

「あぁ、ありがとう」


 ちょっといつもより濃いコーヒーは、テスト前で目が覚めるようにという気遣いとも捉えられる。


「暑いですね」

「あぁ」


 頬が少しだけ上気して、息が少し荒いのも、陽菜の言う通り、暑いからだと解釈できる。

 まだ、問い詰めない方が良い。テストは受けた方が良いから。

 数学の問題を速攻で解き終え、先生から見咎められない程度に、陽菜の方に視線を向ける。

 陽菜も解き終えたようだが、うん。


「お疲れー」

「うん。お疲れ様。布良さん」

「テスト終わったし、ちょっとアイス食べたいなーって。駅ビルの」


 ……アイスか。丁度良いな。電車まで時間あるし。


「陽菜、アイス食べようか」

「はい」


 具合悪い時のアイスは、結構良いはずだから。





 「はい、陽菜」


 家に帰って、着替えようとする陽菜に、体温計を差し出した。


「ご主人様、これは何でしょう?」

「体温計って奴だ」

「はい。見ればわかりますが。どうして私に差し出しているのですか?」

「ん? メイドの健康チェック」

「私は至って正常ですよ」


 胸を張って、陽菜は感情の浮かばない眼でこちらを見上げる。

 正直僕も確信を持っているわけでは無い。だから、体温を測ろうと考えたのだ。

 身体の軸を動かさず、床と平行に、すり足の応用で距離を詰める。相手からは、突然目の前に移動したように見える筈。

 そのまま陽菜を抱き寄せる。僕が持ってきた体温計は、耳に突っ込めばすぐに測ってくれるもの。

 ピピっと音が鳴り、モニターを見る。


「38.5。熱ありますね。陽菜、今日の仕事は終わりだ。休んでね」

「えっと、あう」


 問答無用。まだ何か言おうとする陽菜を横抱きに、所謂お姫様抱っこで、部屋へと連行した。

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