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「てことは、どこかですれ違ったりしていたのかもね」

 祖父母宅が近くにあり、昔からこのプールに来ていたことを話した。彼女は地元民らしい。

 十五分休憩の放送が入り、今は日よけの下に並んで体育座りをしている。輪郭のはっきりした波音が全身を揺さぶる。

「ここ安いしあんまり混まないから好きなんだ。来る途中に駄菓子屋があったでしょ。帰りはあそこでアイス食べたりさ」

「わかる。定番だよな」

 結局年齢は教えてくれないし名前も知らない女性と、こうして肩を並べていることが不思議だった。彼女は社交的な性格のようで話を振ってくれるから楽だったし、もう会うことはないと思うと肩肘を張らずに接することができた。

「あれがウミネコだって話、私も人に教えてもらったんだ」

「受け売りか」

「そうだよ。ちょっとショックだったんだ。私は渡り鳥のカモメに憧れていたのに、ウミネコは留鳥なんだよ?」

 不機嫌そうに言いながら水泳帽を外す。しっとりと水気を含んだ髪の毛が、肩の辺りまではらりと落ちた。赤茶色の髪をかきあげるしぐさに、確かに大人の色気ってやつがなくもない、と少しだけ思う。

「君さぁ、昔の私に似てるんだよね」

 唐突に言われ、意味がわからなかった。天真爛漫を体現しているような存在を上から下まで眺める。どう考えたって似ていない。共通点が思い浮かばない。

「見た目の話じゃないよ? ……なにか、うまくいってないことがあるんでしょ」

 反論しようとしたところに、追い打ちをかけられた気分だった。

「なんでそう思うんだ」

「だから似てるんだって。せっかくの夏休みに地元から、つまり家族や友達から離れて。すぐ近くに海があるのに狭いプールに一人で閉じこもってる」

「あんたもそうだったってこと?」

「あんたじゃなくてお姉さんと呼びなさい。『カモメのお姉さん』とかどう? なんかミステリアスでかっこよくない?」

「カモメもそうだったってこと?」

 彼女——カモメは「あんたよりはマシかぁ」と言って苦笑した。名前を教えてくれればいいのにと思うが、それはそれで呼びづらいような気もする。

「いろいろあったさ。今はこんなだけど学生時代はどん底だったよ。だからさ、きっと君の悩みをわかってあげられる。お姉さんに話してごらんよ?」

 面倒な人に声をかけてしまったと、後悔は増すばかりだ。でも吐き出すにはちょうどいいのかもしれない。もう会うこともないだろうから。

「うち母子家庭なんだけどさ」

「うん」

 よくある話だ。今時珍しくもない。

「母親に彼氏ができて気まずいんだけど、どうしたらいい?」

「それは難問だねぇ」

 そんなこと欠片も思っていないような笑顔で言われて、どうしてか救われた気持ちになる。

「母親も一人の人間だし、恋人ができたっていいと思う。取られたとかガキ臭いこと思ってるつもりもない」

「その彼氏さんとは話したりするの?」

「一緒に飯を食うこともある。すげぇ、いい人だよ」

「すてきじゃない。だったらなにが気まずいの?」

 口にするのをためらう。やはりガキ臭いような気がしたのだ。あきれられるかもしれない。説教をされるかもしれない。笑われるかもしれない。

 だけどカモメなら、それ以外の答えをくれるのではないかと期待してしまう。出会ってから一時間に満たないというのになぜだろう。

「俺、邪魔じゃないかなって。いないほうがいいんじゃないかって」

 さっさと再婚でもなんでもすればいいのにそうしないのは、俺に気を遣っているからではないのか。子供だってまだ作れるだろう。俺さえいなければ、きっと。

「優しいねぇ、君は」

 柔らかくほほ笑まれ、戸惑う。

「自分よりお母さんの幸せを願える君は優しい。すてきなお母さんに育てられたんだね」

 落ち着いた大人の女性の声色で紡がれる言葉が、暑さで渇ききった喉にすっと染み渡る麦茶のように、出入り口の狭くなっている心に侵入してくる。

「君みたいないい子が邪魔なわけない。はい解決」

「えぇ……」

「ごめんねぇ、やっぱり私とは全然似てないや」

 休憩が終わると再びプールにつかる。急に体が軽くなったように感じるのは、浮力のせいだけではないだろう。

「カモメはどうしてプールに閉じこもっているんだ?」

 家族や友達から離れて。すぐ近くに海があるのに狭いプールに閉じこもっているのは、カモメも同じではないのか。

「海は怖い」

 カモメが目を伏せる。瞳が曇天の色になる。

「溺れたことでもあるのか」

 波はいつでも穏やかというわけではない。恐怖を感じる気持ちもわかる。

「そんなとこ。君は? どうして海に行かなかったの?」

「海は――俺には広すぎるから」

「……えっ」

「笑うところだから! 気が利かねぇな。海水はべたつくし砂まみれになるのが嫌だからだよっ」

「な、なんだぁ。なんかこじらせちゃってるのかと思った!」

 柄にもないことをした。笑顔を失くしたカモメをこれ以上見ていたくなかった。

 その日はプールから出たところでそのまま別れた。連絡先を教え合うこともなかった。


 次の日も朝から畑仕事を手伝い、かったるい宿題を進め、昼飯を食べ終わると、俺は炎天下を歩いた。

 プールサイドへ向かうと、深さのある二十五メートルのプールから顔を出して空を見上げているカモメを見つけた。青いプールに白い水泳帽。空を羽ばたくカモメ。

 また会える予感はしていた。想像以上に喜んでいる自分に動揺する。気道が狭まってしまったかのように苦しくなる。

 それから数日間、同じような時間帯にプールを訪れてはカモメと話をした。約束をしていなくてもカモメはそこにいてくれた。ときには帰りに駄菓子屋に寄ってアイスを食べたりもした。

 まるで昔からの友人のように打ち解け笑い合った。いまだに互いの名前も知らないままだというのに。

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