鶏と牛

 騒々しい賭場の空気が、一瞬にして張りつめた。人々の視線は一人の女に注がれている。

 薄いワンピースだけを纏った彼女は周りには目をくれず、一番奥にあるソファに座っている男の前に仁王立ちをした。

 その場にいる誰もが、この二人を知っている。

 男はこの一帯を牛耳っているボスで、女はその娘だ。娘といっても血のつながりがあるだけで、望んで産まれた子どもではない。彼女の母親は彼女を産み落としてすぐに、自ら命を経った。

「なんの用だ、夜永やえ?」

十六夜いざよい、お前に勝負を挑む」

 夜永と呼ばれた女は、懐から黒のキングを取り出してテーブルに叩き付けた。

 縦横八マスずつに区切られた市松模様柄のテーブルには、残りの駒も揃っている。

「母親と違って、大切に育ててやっただろ?」

「お前に飼われるのは、もううんざりだ」

 金に困る事はなかった。住む部屋も、綺麗な服も、充分な食事もあった。

 けれど毎晩、十六夜の部屋に呼ばれ、眠りにつくのは朝日が昇る頃。そんな生活を続けていた夜永を支え続けたのは、母の敵を取る事だけだった。

「お前が、俺に勝てると思ってるのか?」

「ああ」

「分かってんだろうな?」

「当然だ」

 野次馬から大歓声があがる。

 ボスとの勝負で賭けられるものはたった一つ、その命だけ。

 その勝負に勝ったことのあるものは、未だにいない。

 にらみ合う二人をよそに、野次馬たちはどちらが勝つか賭け始めた。

「なあ夜永。なんで今頃になってゲームする気になった?」

 ポーンを動かしながら十六夜が問いかけても、夜永は黙殺して駒を進めた。

 誰もがすぐに決着がつくと思っていた勝負は、どちらも一歩も引かない。けれど、ジリジリと白が追いつめられていく。

 夜永が最後の駒を進めようと手を伸ばすと、台の上に酒瓶が飛んできた。

 白と黒の小さな駒はなぎ倒され、割れた瓶の破片とワインが飛び散る。けれど夜永は、手に取った駒を動かした。

「チェックメイト」

 髪から赤ワインを滴らせた彼女の眼光は、鋭く十六夜を貫いた。駒を持っていない手には割れた瓶の破片が握られており、十六夜の喉元へ向けられている。

「寝物語には、注意するんだな」

 薄く笑みを浮かべた十六夜は、札束を投げつけた。

「鶏口となるも牛後となるなかれ。さっさと消えろ」

 受け取った夜永は、そのまま夜の闇へと消えていった。

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