「これが、彼の供述です」

 受け取った供述調書に、刑事は頭を抱えた。

「本当か?」

「はい」




 母はよく、僕を褒めてくれました。

 運動会で一番になると、新しい靴を買ってくれました。テストで満点を取ると、本を買ってくれました。誕生日には毎年、美味しい料理とケーキを作ってくれました。

 父は、そんな母の様子を見ていました。

 四年生になると、塾に通うことになりました。小学校よりも難しいテストで満点を取ると、新しい辞書を買ってくれました。模試で良い成績を取ると、新しい本も買ってくれました。誕生日には、美味しい料理とケーキを作ってくれました。

 父は、そんな母を見ていました。

 五年生になると、塾の勉強は難しくなってきました。小学校のテストで満点でも、母は何も言ってくれなくなりました。塾のテストも、満点を取るのが難しくなってきました。母は、それでも僕を褒めてくれました。次はできるよね、と言われたので、僕は頷きました。勉強ばかりしていたので、運動会で初めて一番になれませんでした。それでも母は、僕を褒めてくれました。調子が悪かっただけだよね、と言われたので、僕は頷きました。誕生日にはいつものように、美味しい料理とケーキを作ってくれました。

 父は、そんな僕たちの様子を見ていました。

 六年生になると、満点を取ることのほうが珍しくなっていました。僕よりも頭の良い人が沢山いるクラスで、一番になることはできませんでした。満点ではないテストを持って帰ると、母は新しい問題集を買ってくれました。それを、全問正解するまで解かされました。母はいつも筆箱に入っていた定規を持って、隣で見ていました。僕が間違える度に、手や腕をその定規で叩きました。全問解き終わると、母は新しい服を買ってくれました。どれも長袖で、僕は夏の間も長袖の服で過ごしました。

 父は、僕の様子を見ていました。

 第一志望の学校は落ちてしまいました。受かったのは第一志望よりも少し偏差値の低い学校でした。合格祝いには、参考書を買ってもらいました。新しい塾にも入り、毎日勉強しました。母はいつも隣に立って、問題を間違えると定規で叩きました。最初は手や腕だけだったのが、段々と背中や足も叩くようになりました。体育の時間は、痣が見つからないように着替えました。中学校には足の早い人がたくさんいて、僕はもう一番でも二番でもなくなっていました。

 父は、ただ見ていました。

 二年生にあがると、進路の話をする機会が増えました。高校、大学、そして将来、何をしたいのか。母は、僕が医学部へ進む事を望んでいました。僕もまた、医学部へ進学を望み、勉強する時間が増えました。医学部へ入ったら、何になれるのかは知りませんでした。

 父は、覚えていません。

 高校の合格発表は、母と一緒に見に行きました。第一志望だった学校に、僕は落ちてしまいました。母はその場で泣き崩れ、僕はどうしたらいいのか分かりませんでした。なんとか帰宅したものの、母はずっとリビングで泣いていました。僕は次の試験のために勉強していました。母に見られずに勉強机に向かうのは、随分と久しぶりな気がしました。答え合わせをしていたら、一問間違っていました。叩かれる、と身構えましたが、母は居ません。定規も、机に置いてあります。木でできた定規には、血のような跡がついていました。

 僕はふと、母が気になりました。母はまだ、リビングで泣いています。

 母は僕が泣いているとき、どうしていたか考えました。

 机の上にあった定規を持って、母のもとへ行きました。そしてその手を、定規で叩きました。母は驚いた顔をしていたので、もう一度叩きました。痛い、と言うので、今度は腕を叩きました。やめて、と言われたので次は背中を叩きました。母が逃げるので、追いかけて足を叩きました。部屋の中でグルグルと追いかけっこをしいたら、母はベランダへ出てしまいました。

 震える足を堪えて、初めてベランダへ出て思い出しました。僕がベランダへ出るのは二度目でした。僕は一度、ベランダへ出た事がありました。

 初めて母に叩かれた日に、痛いと泣いたのです。泣き止まない僕を掴んで、母はベランダへ行き柵のから外の景色を見せてくれました。柵の外には、谷がありました。泣いている悪い子はここから落とされるのよ、と母は言いました。その谷に落ちるのが恐くて、僕は泣き止みました。

 母は、泣いていました。だから母に柵の外を見せてあげたんです。けれど母は、泣いていました。だから僕は、母を谷に落としました。

 だって、泣いている子はここに落とす、って母が言っていたんですから。

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