ハートのプリンセス
「つまり、その眠り続けているお姫様を起こせば、私は帰れるのね?」
「多分な。なあ、急いでるんだ。もう返してもらえないか?」
「いいわよ。そのお城まで案内してくれたらね」
心底嫌そうな顔をしたウサギ男に、金色の時計を見せると渋々頷いた。
今日は天気が良かったので、木陰で読書をしていたはずだ。心地よくて少しうとうとしたかもしれない。けれど、私の住んでいるのはこんなところじゃなかった。
目が覚めたとき、私は丘の上にいた。寄りかかっていたのは変な方向に曲がった木で、丘の下に広がる町は知らない場所だった。この場にいても仕方ない、と立ち上がった直後、何かがぶつかってきて、バランスを崩した私は近くにあった水たまりに突っ込んだ。水色だったワンピースは半分茶色に染まったというのに、そのまま立ち去ろうとした男の腰に伸びていた鎖を掴んだ。
その鎖の先には懐中時計がついており、とても大切な物だったらしい。時計が無い事に気付いた男は慌てて戻ってきて、漸く私を視界にいれた。
「泥だらけのお嬢さん」
「これは貴方のせいよ」
「その時計を返してくれないか?」
「いいわよ。私が、元の世界に戻る方法を教えてくれたらね」
困ったように耳を垂らした男を問いつめると、この国にはあるお布令が出ていることを教えてくれた。
この国のお姫様は呪いを受けて、お城の中で眠り続けているらしい。お姫様が眠りにつくと、お城にいた人たちもまた眠りにつき、お城は茨で囲まれ誰も入れなくなったそうだ。
そのお城はきっと、あの遠くに小さく見えるあのお城だろう。トボトボと歩いていくウサギ男の後をついていくと、奇妙なものを沢山目にした。
煙管を吸っている芋虫に、笑っている猫、お茶会をしているウサギと帽子男とネズミ、トランプの姿をした兵士。変な町だ。
真上にあった太陽が地平線まで落ちた頃、ようやくお城に辿り着いた。お城の周りにある塀には、真っ黒な薔薇が咲いていた。漆黒の薔薇は絡まるように塀を這いずっており、太い刺を持っている。
「中はどうなってるの?」
「誰も入れやしないさ。一歩でも入ったら、茨が襲ってくる」
「そう」
ちょうど足元に小石があったので、いくつかポケットに入れた。薔薇の刺は刺さると痛そうだけれど、少しの力では折れないほど頑丈のようだ。すべらないように気をつけながら手頃な刺に足を乗せ、身体を持ち上げた。うん、大丈夫そう。刺から刺へ渡っていき、塀の上に立った。思いの外高くて足がすくんだが、それ以上に目下に広がる光景に息をのんだ。絡み合った太い茨が、お城まで続く庭を埋め尽くしていた。
ポケットの小石を一つ放り投げた。石がコツンと庭に落ちると、茨は生きているようにグネグネと動いて、小石に巻き付いた。儚い小石はサラサラとした砂になる。
なるほど、これは誰も入れやしない。
「貴方! そこでなにをしてるんですか!」
「危ないぞ。早く下りてこい」
声がした方を振り返ると、トランプの兵士が二人いた。さっきまでいたはずのウサギ男はいなくなっている。
「さっさと下りなさい! そこの泥まみれの女!」
「その先は死ぬぞ。早く下りろ」
「でも私、どうしても叶えたい願いがあるの」
トランプ兵たちは顔を見合わせて、首をひねった。
「貴方のような小娘なんかが、姫様に辿り着けるわけがありません!」
「危ないって。とりあえずこっちに来い」
「貴方たち、物を遠くに飛ばせる道具を持ってない?」
それぞれの身体をまさぐった彼らは、紐のようなものを投げてよこした。それは原始的な投石器だったが、ないよりはましだろう。塀の上で何度か屈伸をする。
「あんたたち、王子様とやらは知ってる?」
「あたりまえでしょう!」
「何する気だ?」
「私がお姫様助けてきてあげる、って伝えておきなさい」
投石器に石を付けて、大きく腕を振った。
茨は石の落ちる音に反応しているらしく、落下点へ集まっていく。その隙をついて、塀から飛び降り、開けた道を進んでいく。次から次へと小石を放り投げながら、お城まで全力疾走した。たまに茨に引っかかった服が破けたけれど、なんとか入り口まで辿り着いた。
お城の中は薄暗くて埃っぽくて、あちこちに蜘蛛の巣が張っていた。あちこちでトランプの姿をした兵士が倒れている。お姫様はどこだろう、と見回していると、懐中時計がカチコチと音をたてはじめた。驚いて開いてみると、しばらく針がグルグルと回ってからぴたりと止まった。
そちらへ進め、ということだろうか。示された方にあった階段を上っていくと、また針の向きがかわる。それに従って進んでいくと、ある扉の前で時計は今までと変わらず時刻を刻みだした。
この部屋、ということだろうか。金箔のはげた取手を掴み、重たい扉をゆっくりと開いた。
部屋の中央には天蓋のついたベッドがあり、その中では誰か眠っているようだ。たっぷり埃を被った布を捲ると、白いベッドに可愛い女の子が眠っていた。あまりに美しい少女に、目が離せなくなった。
きっとこの子だ。さて、こういう時はどうするんだっけ。
眠り続けているせいか、少し血色の悪い彼女に顔を近づけた。人形のように滑らかな肌には、ほんの少しだけ体温が残っていた。
それからのことは、言うまでもないだろう。すっかり彼女に心奪われた私は、元の世界に戻るのなんてどうでもよくなって、彼女に求婚し、幸せな日々を送っている。
王子? さあ、どこへ行ったんだろうね。
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