Which one
街の灯りを背に、真夜中の道をただ歩いていく。
どこかへ行きたいわけじゃない。夜になっても眠たくならないから、なんとなく歩き始めてみただけだ。
引き返す気もないし、目的地もない。今晩寝る場所もなくていい。誰もいない道をただ進んでみたいだけ。
どれくらい歩いたのだろう。気付いたときには暗い森の中にいて、キラキラと輝く星を映した泉の前に立っていた。そっと手を伸ばすと、星空が歪む。なんて曖昧な存在だろう。
星空を映す水をすくって口に含んだ。身体が冷えていく。もう一口飲もうと手をのばしたら、ポケットからスマホが滑り落ちた。
ポチャン、と音を立てて暗い泉に沈んでいく。腕を伸ばしても、届かなかった。
まあ、いいか。
ただ真っ直ぐ進んでいただけなのに、随分街から離れたところへ来たらしい。夜の森はシンとしており、動物の気配もない。
少し、眠ってみようか。近くの木によりかかり、瞼を落とした。
「おーい」
目を閉じたら、どこからともなく声が聞こえてきた。
「あのー」
どこで誰を呼んでいるのだろうか。
「寝ちゃったのかな。どうしよう」
控えめだった声が段々大きくなってくる。こちらに近づいてきているのだろうか。しかし、足音はしない。
「もしもーし」
冷たい何かが顔に当たった。驚いて目をあけると、あの泉の上に女が立っていた。
「あ、起きた。よかった」
その女がこちらに向かって手を振っている。
「ちょっと、貴方」
「俺?」
「そう。ちょっとこっち来て」
近づいてみると、女は腰のあたりまで水面から出ていた。下はどうなってるんだろう。
「スマホ、落としたでしょ」
「まあ」
「なんで探そうとしないのよ」
そんなこと言われても、たいした物じゃなかったし。
「そうやって人が物を捨てていくから、自然が汚れていくのよ」
「それは、すみません」
「はい、返してあげる」
彼女が金色のスマホを差し出して来たので、首を振った。
「違います」
「何が?」
「スマホ、こんな色じゃないです」
首を傾げた彼女は、ちょっと待ってて、と残して泉に沈んでいった。驚いて覗き込んでみたが、暗い深淵が広がっているだけだ。
なんだったんだ。
しばらく待っていると、彼女は再び浮かび上がってきた。
「はい、これでしょ」
再び差し出されたのは、銀色に輝くスマホ。これも違う。
「違います」
「えぇー。どんなの落としたのよ」
「どんなのって、そりゃ……」
そういえば、こんな昔話聞いたことがある。確か正直にいうと、全部貰えるって。
「そんな昔話みたいなこと、しないわよ」
「じゃあなんで」
「だから、ゴミを捨てられたら困るの。早く、どんなスマホか言いなさい」
確かに拾おうとはしなかったけれど、ゴミ扱いはちょっと酷いんじゃないだろうか。
「もっと普通の」
「ケースは?」
「付けてないです」
分かった、と言って彼女は再び泉に沈んでいった。本当に分かったのだろうか。
水辺に残されていた金色のスマホに触れてみる。形はよく似ているけれど、こんなに全体が金色のものは見たことがない。銀色のも、似てるけど違う。どこの機種だろう、とまじまじと見つめた。
「やっぱり欲しくなった?」
「あ、いや」
「欲しければあげるわよ」
「でも落としたのは、これじゃなくて」
滑るように近づいて来た彼女は、水辺に腰掛けた。スカートから覗いた足が、泉の水面を蹴り上げる。
「ちょっと」
バシャバシャと水が蹴られて、水飛沫がかかる。彼女は楽しそうに笑った。
「なんなんですか」
「私? 泉の精」
「そうじゃなくて。なんでこんなこと」
「今夜は星空が綺麗だなー、と思って天体観測してたの」
「は?」
「そしたら貴方が落とし物したから、届けに来ただけ」
はい、と渡されたのは、今度こそ俺が落とした物だった。泉に落ちたのに、全く濡れていない。
「ないと困るんじゃないの?」
「案外、そんなことないですよ」
四六時中鳴るのが嫌で、最近は電源を切ったままにしてある。
「ふーん。なんでこんなとこ、来たの?」
「ただ歩いてただけです」
「どこに行くか決めてる?」
「いえ、特には」
空が白む。もうすぐ、朝だろうか。
また一睡もできなかった。
「ひどい隈ね」
「そうですか」
「帰らないの?」
賑やかな街へは、あまり戻りたいと思わない。沢山の物を置いて来たけれど、必要だとも思わない。
「そうですね。この先の川でも超えてみたら、何か変わるかな」
「川?!」
彼女が大きな声を出したので驚いた。
「それは辞めたほうがいいよ。川は昨日の雨で増水してて、危ないから」
「雨?」
「ここら辺、大雨だったんだよ。その辺の草も濡れてたでしょ」
夜中に歩いていたので気付かなかった。
「じゃあどうしよう」
彼女は、泉に伸びてくる小道を指した。それは昨日歩いてきた道だ。
「貴方が歩いてきた道を少し戻って、最初の角を曲がってみて」
「角なんて」
「あるから。そしたら素敵な出会いが待ってるはずだから」
「なんでそんなこと、分かるんですか」
「泉の精霊だから!」
空はどんどん明るくなってくる。
「じゃあ、私はそろそろ寝るから」
「今から?」
「そうよ。いい、絶対に川へ近づいちゃだめよ」
「分かったよ」
「じゃあ、またね」
彼女は勢いよく泉に飛び込んだ。水飛沫をあげた水面には、晴れた空が映っていた。
「あ」
水辺には金と銀のスマホが残されてる。どうしようか迷ったけれど、いつか聞いた昔話のように、その二つも貰っていくことにした。
来た道を引き返してみると、本当に曲がり角があった。しばらく歩いていくと、視界が開けた。
新緑煌めく木々に囲まれて、晴天の空から光が差し込み、一面に紫色の花が咲いている。
綺麗だ。
目の前に広がる光景に目を見張り一歩踏み出すと、足元が沈んだ。
慌ててもう一歩踏み出すものの、身体はバランスを失い、踏み出した足は自由を失う。
なんでこんな森の中に、沼地があるのだろうか。考えてる暇もなく、俺は動くことができなくなっていた。
「どこがいい出会いだよ!」
大声で怒鳴ると、遠くの方から彼女の笑い声が聞こえてきたような気がした。
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