補助線
「また、貰ったんですか?」
毎月決まった日に、彼女は一枚の手紙を持ってくる。いつも同じ客から送られてくるその手紙を、心待ちにしているのは良く知っていた。
普段は髪型に細かく注文をつけてくる彼女だが、その手紙が届いた日には筆を片手に目を上げようとしない。その手には必ず見慣れた筆と古い定規が握られている。
「今度はどんなご褒美が貰えるんですか?」
「お食事に連れて行ってもらえるの」
彼女の見つめる先には、図形が書かれている。その面積を求めるために、色々な角度から定規をあてている。
「直線をいくつか引くと、簡単に面積が分かるのよ」
「へえ。そんな教養がおありで」
「なめないで頂戴。私は花魁になる女よ」
その口癖を何年聞かされてきただろうか。
「あら、信じてないでしょう」
「そんなことないですよ」
振り返って睨みつけてきた彼女に微笑み返し、顔を前に向かせる。
「簪は?」
「あの鼈甲のを使って頂戴」
「今日、いらっしゃるんですか?」
「そうなの。だから解いておかないといけないのよ」
再び眉間に皺を寄せた彼女の髪に、そっと飴色の簪を挿した。
彼女ももうすぐ十七を迎える。この街で生まれ、共に育ってきたけれど、随分遠い存在になってしまったようだ。
「何を食べに行くんですか?」
「お蕎麦よ。竹薮の奥に美味しいお蕎麦屋さんがあるらしいの」
「それは、楽しみですね」
「ええ、とても」
華やかな微笑みを浮かべた彼女は、これからたくさんの客たちを魅了していくのだろう。
道具を片付けている間も、彼女は難しい表情で図形とにらめっこをしている。
「急がないと間に合いませんよ」
「分かったわ!」
元気よく顔を上げた彼女は、そのまま走り去っていった。その背中を見送った。
今朝、偶然聞いてしまった会話。彼女の突き出しの日取りが決まったということ。こうして髪を結う機会も、なくなるのだろう。
あと何度、彼女と言葉を交わせるだろうか。きっとあの子は、素敵な花魁になることだろう。
数年後、彼女はこの花街を去っていった。立派に勤めを果たした彼女の隣には、あの簪を送った男の姿があった。
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