第14話 人知れず緩む口角。



 きっとコイツなら、そう言うだろうと思ってた。


 だからこそ俺は、此処に来たのだ。

 わざわざ救急セットなんか持って。



 肩から掛けていた救急セット入りの鞄を下ろしていると、驚きに満ちたアイツの瞳とかち合った。


「そう言うかもと思って、一応持ってきた」


 説明が欲しいのかと思ってそんな風に言いながら、鞄の中から道具を取り出す。

 しかしアイツは呆けた様に俺を見たまま、何も行動を起こす気配が無い。


「……おい、靴下。脱がなきゃ応急処置、出来ないぞ」


 時間はあまり無い。

 そう言葉を続ければ、こんな答えが帰ってきた。

 

「……見ちゃったらもう痛い以外、思えなくなる気がする」


 例えばそれは、手を繋いでくれと親にせがむ小さな子供の様な、そういう類の我儘だった。

 

 あまりにしおらしい声と、弱気な言葉。

 そこからは僅かに甘えの様なアイツの感情が見え隠れしている様な気がして。

 

 あまりの予想外に驚き、同時に気持ちが何だかソワソワとし始める。


「……言っとくけど俺、人の怪我どうにかするのなんか初めてなんだから、後で文句とか言うなよ?」


 我儘を許してやる。

 その事に対する照れ隠しに、俺の言葉は少しぶっきらぼうは色を含んでしまった。


 しかしこんな言い方でも無ければ、おそらくアイツが怪我したこの状況下でニヤニヤが止まらないなんていう状況に陥っていただろう。

 俺のあの時の反応は正しかったと、振り返っている今でも思う。



 俺はそんな風に一度断りを入れてから、アイツの靴下へと手を掛けた。


「……『学校の授業で習うテーピング手順とか、一体人生のどこで使うんだよ』って思ってたけど、意外と早く使う事になったな」


 手早く応急処置をしながらそんな風に呟いたのは、ただ単に間が持たなかったからだ。

 しかしそんな俺の声に、アイツは反応しない。


(……別に、特に何か反応を求めていた訳では無いけど)


 なんてちょっと不貞腐れていると、不意にアイツが口を開いた。


「何で、こんな事してくれるの?」


 そんなのお前の事が気になったからに決まってる。

 なんてそんな事、まさか言える筈も無い。


「……別に。ただお前が部活に力入れてる事は、まぁそれなりに知ってるし」


 言いながら、俺はフンッと鼻を鳴らした。

 しかし内心ではそんな風にしか対応できない俺自身に、酷くがっかりした。


 だってあまりに素っ気ない。

 素っ気なさ過ぎる。


(何やってんだ俺。……あぁ、なんかちょっと落ち込んできた)

 

 なんて考えている内に、処置が終わる。


「あくまでも素人治療だからな、もし悪化する様だったら諦めて途中で交代させてもらえ」


 「良いな?」と言いながら俺はアイツに視線を向けた。

 そして思わず、フリーズする。



 ――アイツは、泣いていた。

 しかしその理由に思い当たる所は無い。


(俺、何かした?! そんなに治療が痛かったのか?)


 テーピングは患部を固定する為の物だ。

 緩くしていては意味が無い。


 そう思って少し力を入れつつテーピングを巻いたのだが。


(それか? それがいけなかったのか?!)


 どうしよう。

 混乱する頭でそう考える。



 えぇーっと、取り敢えず。


「な、なんだ、その……」


 頭をフル回転させて出した答えは、非常に単純なものだった。



 俺は小さくコホンっと咳払いをした。

 そしてたった一言、こう零す。


「頑張れ」


 立ち上がり、アイツの横をすり抜けた。

 すれ違い様に、俯いていた頭にポンッと軽く手を乗せる。


(今の俺に出来る事といったら、せいぜい応援する事くらいしか無い)


 だからせめて、コイツの足がこれ以上痛む事が無い様に。

 本人の満足できるパフォーマンスを試合で発揮できる様に。


 そんな祈りを掌に乗せて、アイツの頭の上から注入してやる。


「ほら、泣いてないで行ってこい」


 もうすぐ決勝戦が始まる時間だ。

 そういつまでも此処でゆっくりしている訳にはいかないだろう。



 行くのはアイツで、戦うのもアイツだ。

 俺は言葉でしか助けてやれない。


 でもお前の頑張る姿をしっかり見ていてやるから。

 だから頑張ってこい。



 それらの言葉は、そのどれもが声にはならなかったけれど。


「……別に、泣いてないもん」


 グスッと鼻を鳴らしながら、アイツはそう答えてくれた。


 素直じゃない。

 が、いつもの調子が少し戻ってきたようだ。


「はいはい、分かりましたよ」


 投げやり気味にそんな言葉を返しながら、俺は人知れず口角を緩めた。


(よかった。少しは気持ちを前向きにさせてやれた様だ)


 そう思いながら、俺は一足先にその場を立ち去った。


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