第7話

 モールは大学とスポンサーがヴィレッジで生活する若者のために建設されたものだった。本、ファッション、電化製品、生活に必要なものはもちろん、さまざまな娯楽施設が用意されている。地下にあるスケートリンクは年中解放されているし、屋外のフィールドでは有志が集まってアイスホッケーに勤しんでいた。ただ、このヴィレッジも人口減少の影響を受けていない、というわけではなく、最初はアイスホッケーのリーグ戦を開催できるほどだったが、年々その規模は縮小しているという。アカーシャは小さい頃に母に、同じような場所に連れて行ってもらい、クリケットをしたことを話し始めた。今、現在、それができるほど広く、みずみずしい野原はいったいどれほど残っているのだろう、と三人は考えた。

 古風な街をイメージして作られたため、レンガが敷き詰められており、マダーが歩く度にブーツがコツコツと音を鳴らす。足音が聞こえるほど静かだった。臨時休業の看板が並んでいて、店内は真っ暗で、誰かがいそうな気配はない。ところどころ開店している店はあるものの、それらは決まって活気がなかった。


「あ、そっか」とマダーは声をあげる。「明日からブリザードが来るかもしれないから、どこもかしこも閉店しちゃってるんだ」

「今までそんなことがあったか?」

「今までの『吹雪』とは規模も強さも違うらしいよ。ところでミヤコ、吹雪とブリザードっていったい何が違うの?」

「大学の研究生なんだから、それくらい知っておいてくれよ、マダー。極地工学では勉強しないのか?」

「ブリザード階級なら知ってるよ」

「なんだ、じゃあ簡単だ。『吹雪』ってのはあくまでここの方言で、公的な資料や学会では『ブリザード』と呼称するんだ。視程四百メートル以下。風速毎秒十五メートル以上。この状態が三時間以上続いてようやくブリザードとして扱われる。けれど吹雪はもっと曖昧で風が強く、視界が悪ければ、すべて吹雪と呼んでしまう。雪が舞い上がるほど強ければ地吹雪、ブリザードよりも感覚的なんだよ」

「じゃあブリザードかつ地吹雪って状態もあるのね」

「そのとおり。基本的には同じ現象を指す言葉だからな。ただ、吹雪はブリザードよりも規模も強さも弱いものまで吹雪と呼ぶ。だから今まで『吹雪が来る』と話題に上ることはあっても『ブリザードがやってくる』と取りざたされるニュースはそこまで多くない——講釈はそれくらいにして、もう空腹が限界だし、あそこのバーガーショップに入ろう」


 一部店舗は営業しているから、もしかしたら一件くらい飲食店が開いているかもしれない、そんな考えで話しながら歩いていた三人はその目論見どおり、営業中のバーガーチェーンを見つけた。店内に入ると温い空気が首にかかる。注文レジを除いて、店内に人はおらず、なんだかのんびりとした雰囲気が漂っていた。


「申し訳ございません。今日はテイクアウトのみ注文を受け付けてるんです」


 明日に備えて、営業時間と規模を縮小しての販売になるという。三人は目を合わせながら、まぁ、それでもいいか、という話しをしてから、めいめい好きな物を頼んだ。三人の料金はアカーシャがまとめて受け持った。ミヤコはともかく、マダーの分まで受け持つことについて、最初は不服な様子だった彼も、結局は彼女のわがままに折れたのだ。それから三人は暖かな紙袋を持って、宛てもなくモールを歩いた。クローズと書かれた看板が並ぶ通りを抜け、誰もいないスケートリンクへたどり着くと、特に指し示すこともなくリンクの隅の観戦席に三人は並んで座った。


「すごいね。明日には世界が終わっちゃうみたいに静かじゃん」


 マダーはどこか間の抜けたような声でそう呟いた。リンクには二階席があり、さらにその上にはガラス張りの天井がある。そこから光が溢れて、氷上を輝かせていた。ステージが輝く一方で、観客席の方には暗い影が落ちていた。まるで自分たちが主役ではなく、どこか疎外されてしまったような気分になった、もともと、光によってそういったことを意識させようと、造られたものだと、都古は理解していたが。

 都古もアカーシャも、マダーの言葉に対する適当な言葉や気の利いたジョークが思いつかなかった。「ああ」とか「そうだね」のようなパッとしない返事をして、持ち帰ったバーガーを食んだ。ヴィレッジに暮らす人間が、恐らく無意識的に共有されている意識はたしかに「ゆるやかな世界の終わり」というイメージだった。ブリザードによって屋内待機を命じられる度に、人々は世界と社会からの分断を強いられる。少なくとも行動を制限されるということは、ストレスとなって、あまり良い影響をもたらさないことはたしかだ。そのように考えると、そのイメージが共有されるカラクリというものは簡単に説明のつくものだったが、その深刻さについては誰も解消することはできない。


 ただ、都古はそのゆるやかな終末について、理解することはできても、彼自身がそのイメージを持っているわけではなかった。彼の持っているのは、終末に対する無力感と焦燥で、それはけっして「ゆるやか」という穏やかなものではなく、むしろ激しく悲観的なものだった。知れば知るほど暗くなる。賢くなればなるほど、無知だと気づく。アカーシャやマダーの極地工学は未来を作る研究に対して、都古の所属する極地圏研究は、地質と天候についてデータを蒐集し続ける——言ってしまえば過去と相対し続けるものだ。少なくとも都古はそのように感じていた。過去を蒐集し、蓄積すればするほど、現在というものがいかに悲劇であるかを実感していた。増え続ける氷、低下し続ける平均気温、アルベド。

 すべての物体は安定を求める。慣性の法則しかり、元素の安定同位体しかり。地球が凍結するのは、それが地球にとって安定した状態の一つだからだろう。だから、それに逆らおうとするのはつまり——星を一つの巨大な生命体とみなすガイア仮説を採用するならば——地球を相手取って闘おうとするものなのかもしれない。


「あ」

「ミヤコ、どうかした?」

「いや、なんでもない」


 アカーシャが顔をしかめて訊ねるから都古は慌てて否定した。

 地球を相手取って闘う、とまで考えたところで、彼は数日前に訪れた(正確には保護した)先輩の言葉を思い出した。地球を強姦してやろうと思った、と彼は考えていた。おそらく先輩はガイア仮説論者なのかもしれない、それも恐ろしいほどナチュラルな。だとするならば、なんという業だろうか。自分は地球というあまりに巨きな存在に、そこまでの感情を抱けるのだろうか——そう考えると都古はため息をつきたくなった。凡人と天才を分かつのはそこなのだろうか。


「世界は終わっても」都古はしばらく考えて言葉を続けた。「地球は生き続けるよ」


 どういう意味? と二人が訊ねる。都古はなんでもない、ただただ、そう言いたかっただけなんだ、と答えて席を立つ。ガイア仮説を採用するつもりは、都古にはさらさらなかった。ただ、地球という「個」の存在について、胸に引っかかるようなものを覚えた。それは返しがついていて、取ろうとしても取れたものではない。


「そろそろ帰ろう。別に明日、世界が終わるわけではないんだからな」


 ハンバーガーを食べ終えた二人に都古はそう呼びかける。

 ハブに戻ると、日はすでに沈み始めていた。三人は今日の日没が昼の三時ごろになることを承知しているから、特別な驚きはなかったが、その事実はなんだが少しばかりの寂しさを誘った。


「それじゃあ、また、吹雪が明けたら会おうね、二人とも」


 マダーとはそこで別れ、都古とアカーシャは事務所から許可証を受け取ると、車を走らせて一キロほど先にある学生寮へと向かった。雪がほたり、ほたりと降り始めていた。車のワイパーが規則的な楕円軌道を描く。明日に近づけば近づくほど、この雪が猛威を増してブリザードになるとは思えなかった。国道を走っていると、コンテナの積んでいないトランスポーターとすれ違う。おそらくまた誰かがここから別のヴィレッジへと移植しようとしているのだろう。都古が来た時と比較して、この街はしばらく寂しくなってしまった。


「なぁ、お前が大学の契約を終えるのはいつ頃だ?」

「突然だね。少なくとも今年いっぱい。そこから先はまぁ、誰にもわからない話だ。

 あのトランスポーターはたしかにコンテナ移植用だね。もしかしてミヤコは、あれが羨ましいと思ってる?」

「さぁ。よくわからない。正直のところ、俺は迷ってるんだ。

 このヴィレッジから去れば、新しい景色が見えると思っている。ただ、その新しい景色とやらが自分の求めている景色なのかは、わからない。そもそも、このヴィレッジで見る景色とやらも、自分でははっきり見えていないような気がするんだ。どこかピントがボヤけているような。ちょうど吹雪で視界不慮に陥るみたいにな」


 アカーシャは長く沈黙した。そうしてゆっくりと口を開くが、それは「ミヤコの言っていることは、抽象的すぎて難しいや」という、なんとも頼りなく、曖昧な返事だった。それから目的地であるアカーシャの学生寮の到着間近まで、お互いに言葉をかわすことはなかった。きまずい沈黙は車から流れるチルホップミュージックが誤魔化されていた。雰囲気を読んでいるのかもしれないが、都古が聞きたい音楽はこれではないような気がしていた。


「そういえば」とアカーシャが口を開いたのは、もう目的地の建物の影が見えた頃だった。「ミヤコは、シンギュラリティって知ってる?」

「いや……聞いたことはあるが、意味まではわからないな」

「それじゃあノストラダムスの大予言は?」

「大予言……? なんだそれ、聞いたことすらない」


 都古は困惑した表情でそう答えると、アカーシャは同様に「二〇一二年人類滅亡説」というものやポストヒューマン、宇宙からの侵略など、SF染みた用語をずらりと並べた。


「ミヤコ、シンギュラリティは二〇四五年に機械が人間を追い越して、結果的には人間を滅ぼすかもって話だよ。ノストラダムスの大予言、っていうのは一九九九年に地球が滅亡するぞという予言——まぁ、どれも外れちゃってる。今現在、人類滅亡なんてこと、起こってない。だって僕らがいるから」

「つまり、何が言いたいんだ?」

「僕が思うに、人類ってのは時折自己破滅的な願望を持つんだよ。著名な学者はじめ、多くの人間が、そんな荒唐無稽なことについて真面目な顔をして議論してきた。地球の全球凍結も、同じような問題なんじゃないかなって思うんだ」

「何言ってるんだ、アカーシャ。全球凍結は差し迫っている現実だろう。少なくとも、あやふやな仮定から来る不安や、根拠のない予言じゃない」


 アカーシャは苦笑いを浮かべているようだが、運転中の都古には彼の表情はよく見えなかった。話の途中で車は寮の駐車場へと到着してしまった。アカーシャは何かを話そうとしたが、その過程は時間によって遮られてしまったようだ。


「僕らはもう少しゆっくりで、楽観的でもいいんじゃないかな、思うんだよ」


 アカーシャは急ぐようにそう結論づけた。もうあと十分、話す時間があれば、彼の意見は変わったかもしれないが、残念なことに都古には、あまり納得できなかった。

 お互いに不完全燃焼のまま、車のトランクから部屋の中へと機材を運び込む。アカーシャの部屋は家具と本で賑やかしかった。しかし、決して散らかっているというわけではなく、整理が行き届いていて、まるでテーブルの上に並んだ食事のような彩りだった。いつ来ても都古はこの部屋に対して感心を覚えていた。


「なんか気になるものがあったら持って帰ってもいいよ。ミヤコの部屋って病室みたいに殺風景だからさ。もうちょっとインテリアを置いた方がいいと思うんだよ」

「……そうか?」


 彼は聞き返しながら、ふと自分の部屋を思い返してみた。四人で食事することができる大きいテーブルにパソコン。入っている数はそこまで多くはないが本棚もある。寂しい、と考えたことはなかった。けれど、そのことを伝えても、アカーシャは呆れた顔をした。


「これでも持って帰りなよ。手伝ってもらったお礼で」

「一応……俺はお前の先輩ってことになるんだぞ」


 つまらない面子のことよりも、自分の部屋について気にした方がいい、とアカーシャは無理やり、セラミック質の象の置物を無理やり渡してきた。なんでよりによってこんなものを、と思わず言い返そうとしたが、好意を無下にするのは気が引けた。ただ、自分の部屋が殺風景だと言われて、彼は彼の部屋に現れる亡霊のことをふと思い出した。部屋は自分を映す鏡だと、人はよく話をする。テレビではしばしば有名人の自宅を公開することがある。それが多くの人に求められているのは、その人間の内面に少しでも——そして間接的に——触れることができるからではないだろうか。だとすれば、自分の心は、あの部屋のようなのだろうか。殺風景と亡霊。これが自分の心の形だろうか? 都古は思わず思案する。

 いつまでもアカーシャの部屋でぼうっとしているわけにはいかなかった。雪は少しづつ勢いを強め、日は目に見えるスピードで暮れてゆく。


「そろそろ俺も戻らないと。お前の言う通り、この象はもらっていくよ」

「象の像だよ」

「…………ブリザードが去ったらまた会おうな」


 都古は微苦笑して、アカーシャの部屋から立ち去ると、車に乗り込んだ。

 キーを回すと景気の悪い音が車内に響き渡る。助手席には象の置物が座っていて、丸い目玉はフロントガラスの外の景色を眺めていた。その様子を見て都古は頭を掻くと、あの小高い丘の上にある自分の家を目指して車を走らせた。雪は先ほどよりも勢いをはるかに増しており、視界はすこしずつ悪くなってゆく。対向車線にすれ違う車もなく、孤独な国道に燃費の悪いエンジン音を響く。自分に煩わしさを感じさせていた車内音楽はとっくのとうに止められている。視界の右遠くには「拳の痕」と呼ばれる山脈が並んでいた。


 過去にどのような戦いがあって、巨人がその拳を振るったのか、都古には到底わからないが、もしそれほどの力が自分にあれば、地球の凍結からもドゴンと地鳴りするほどの大きなパワーで解決してしまえるだろうか。もし、しまえたら、どれほど楽だろうかと、ふと、そんな妄想をした。けれどもいくら妄想が膨らんだところで、現実はしぼんでシワシワになった風船のようだ。膨らみすぎた虚構と、「自分」という現実のギャップに目眩を起こしてしまいそうだった。巨人になった妄想をするなんて、自分らしくない、どうかしている。と、都古は自分に言い聞かせる。きっと、ブリザードが近づいて気が立っているからに違いない。そうでなければ、こんな妄想をするはずがない。気分転換に、あのコンビニエンスストアにでも寄ってから帰ろう。それくらいの時間的余裕はあるはずだ。本格的に吹雪くのはきっと夜中になってからだ。彼はそんなことを考えながら、ハンドルを切りコンビニエンスストアの横に車を駐めた。

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