124話-朝風呂

 飲みすぎた翌朝、顔を洗おうと洗面所へと向かった俺は何故か一人で泣いているリーチェに遭遇してしまった。


「あっ、ユキ、ごめ、ごめんっ、なんでもない」


 ぐしぐしと腕で涙を拭うリーチェ。

 お風呂に入る所だったのか、石鹸やタオルが入った籠を手にしていた。


「ごめん、すぐ出ていく」

「あっ、ユキ――まって。せっかくだから一緒に入ろっか」



「えっ……」




 いつもなら全力で断るが、泣きはらしたようなリーチェの痛々しい笑顔にそうも言ってられないかなと思い「わかった」と返すとリーチェが手招きをする。


「一緒に川で水浴びとかしてたのに、恥ずかしがられると私まで恥ずかしくなるからさー。はいタオル」




 馬車で移動しているときにはたしかに川で水浴びしてたけれど、あのときはみんな水着のような服着ていたじゃないかと思ったがどうも言い出せない雰囲気だ。

 リーチェが上着に手をかけるので、俺は慌てて後ろを向いて服を脱ぎ腰にタオルを巻く。


 背後から聞こえる衣擦れの音を気にしながら「先に入ってるね」と声をかけてから風呂へと入る。


 このお風呂も豪華な風呂ではないが、全て木材で作られててとても香りが良い。

 給水は排水の仕組みは知らないが、ちゃんと蛇口っぽいところからお湯が出るし流れた水は何処かに行く。




 俺としてはそこにあるものをありがたく使わせてもらうだけなので仕組みはよく知らない。


「背中洗ってあげようか?」


 タオルに石鹸をこすりつけていると背後からリーチェの声がして心臓がドキンと跳ねる。


「あっ……うん、お願い」


 鏡越しに見えるリーチェは頭と身体にタオルを巻いていた。

 頭に巻いたタオルの隙間から二本のうさ耳がぴょこんと飛び出ている。


「はい、じゃぁ洗っちゃうねー」


 声のテンションは今まで通りだなと、背中を擦られながらぼんやりと思う。

 そのまま前まで洗ってこようとするリーチェを止め、今度は俺がリーチェの背中を洗うことになってしまった。


 リーチェからハンドタオルを受け取り、石鹸をつけて泡立てていると椅子にぺたんと座ったリーチェが身体に巻いたタオルを外す。



 真っ白な肌。

 森人族ハイエルフのエイミーはびっくりするほど白い肌だったが、リーチェも負けないぐらいきれいな肌だった。

 なるべく鏡を見ないようにして、リーチェの背中を泡立てたタオルで丁寧に洗っていく。



「リーチェ、さっき……どうしたの? 俺に出来ることなら協力するから、よかったら相談してみて?」


 踏み込み過ぎかなとも思ったが、こうやって一緒にお風呂に入っている時点で踏み込まないという選択肢はなかったので、恐る恐るリーチェに尋ねてみるのだが声をかけたリーチェは反応がない。


 一瞬また泣いているのかと思ったのだが、そうでもなさそうだ。


「んー……ちょっとね。色々と悲しくなっちゃって」

「悲しく……」



「ほら、私だけさ『昔』が無いからさ。エイミーの記憶が無事戻ってすごく嬉しいんだけど、置いていかれたみたいで……そんなこと考えていたらちょっと悲しくなっただけだから」




「そっか……」

「ごめんね心配させちゃって」


 何度かリーチェとはそういう話をしたことがある。

 リーチェの種族はもともと……それなりに昔の話になるが愛玩用に養殖されていたという経緯があったが、リーチェ本人は昔の記憶が無いうえに両親のこともわからない。



「リーチェって、覚えている記憶で一番昔の記憶ってどのあたりなの?」




 記憶がないというのは聞いたことのある話だが、どの辺りから無いのか、どういう経緯で『荒野の星』に入ったのかは聞いたことが無かった。

 昨日からなんだか地雷を踏みまくっているのでこの話題もマズイとは思っていたのだが、それでも避けれないだろうなと思い突っ込んでみる。


「えっと……これ」

「……あ」




 突然リーチェが椅子の上でくるりと俺の方を向き、胸元に当てていたタオルをはらりと落とした。

 透き通るような肌だったが、その胸元には不釣り合いなほど……特殊メイクかと思うほどの大きな傷跡があった。

 

 右胸の上の方から左胸の下まで伸びる傷。

 剣で切られたというより、なにかで裂かれたようなギザギザとした傷だった。





「血が止まんなくて身体がだんだんと冷たくなっていくなっていうのが覚えている最初の記憶。目が覚めたら座長とアイナが居たの」


 地だらけで道端に捨てられるように倒れていたリーチェをアイナが助けたというのが最初。

 その前の記憶は全く無く、おそらくその傷をつけられたことが原因で記憶をなくしたのではないかと言う話だった。




「太もものところと、あとこっちは消えてきたけど頭も……この傷を見ながらさっき言ったみたいなことを考えていたらさ。涙が止まんなくなってきて……あはは、まさかユキに見られるなんて思っていなかったけど」


 太ももの付け根、外側から内側にかけて胸元と同じような傷。それに生え際より少し上にも同じような傷がついていた。

 ノコギリのようなもので切られたらこんな傷になるんじゃないかなと、その傷に指を触れてじっくりと観察してしまう。




「ユ、ユキ……そんなにじっくり見られると……その、はずかしい……」


「――っ! ご、ごめんっ」


 椅子の上で少し足を開いていたリーチェが、ゆっくりと足を閉じて胸元をタオルで隠してくるりと前を向く。

 そして桶で肩からお湯を流し終わると「お風呂はいろっか」と手を引かれて湯船へと向かう。


 四人ぐらいは余裕で入れる広さの湯船に入り、手足をぐっと伸ばす。



「はぁ……お風呂気持ちいいね」

「朝風呂は特にね」


「まだみんな寝ていたの?」

「うん。ヴァルなんて天井にひっついて寝てた」


「なにそれ、すごい」

「で、リーチェのその傷、治そうか?」


 すでに古傷になっていても、俺なら多分治せる。

 回復魔法が聞かないと言われていた角の治療もできたし、アイリスやヴァルの言う所の「治す」ではなく「戻す」なので問題なく消せるはずだ。





「いいよ……このままで」

「……」



「この傷が無くなると、私、何も手掛かりが無くなっちゃう……」


 傷が無くなると昔を――自分の過去を探すための手がかりが無くなるということか。


 エイミーとは違い記憶を魔法で封印されているわけでもないので、アイリスの魔技でもリーチェの記憶を治すことはできないだろう。

 ヴァルは今の記憶を吸い出すだけで、殆どの場合は本人が知らないことはわからないと言っていた。


 自分の昔や、両親のことを探すことが出来る唯一の手がかりだから消したくないとリーチェは寂しそうに言う。





「それでも俺が治すよリーチェ。それでリーチェの記憶も俺が手伝うから一緒に探そう。だからさ、俺と……みんなと一緒に前に進まない?」


 俺はリーチェの目を見てはっきりとそう告げる。

 後ろを確認するのも大事だけれど、それで前を見れないのなら意味はない。

 リーチェの場合は両親の思い出も含め記憶を取り戻すということは前に進むこととイコールだと思う。




 傷があっても見つからないものは見つからないし、無いからといって見つからないわけではない。

 すでに古傷になってしまっている傷口を寂しそうな表情をしながら指で触れているリーチェをこれ以上見ているのは辛い。





「……ほんとう? 私のこと途中で捨てたりしない? 置いていかないでくれる? 私もずっとユキと一緒に居てもいいの?」


「捨てる理由も置いていく理由も無いし、一緒にいてもいいよ」


「……言質とったよ?」


「言質……?」




 言質とは何だっけと脳が高速で回転を始める。

 言質。言質。証拠となる言葉。約束の言葉。主に相手から引き出す証拠となる言葉。


 言い方は引っかかったが、別にリーチェのことを仲間から追い出す事は考えられないし、置いていくつもりはないし、ずっと一緒に……ずっと一緒に?




「リーチェさ、昨日ヴァルやアイナたちと一緒に『部屋』で話してたの、あれなに?」

「ふふっ、何だと思う?」


「……ちょっとヴァルの羽根引っこ抜いてくる」


「あっ、まって、冗談、冗談だから」

「あぶなっ」


 立ち上がろうとした俺を引き留めようとリーチェがガバっと抱きついてきて、そのまま二人で湯船に崩れ落ちる。

 むにむにとしたリーチェの身体が密着していると気づくまで数秒の時間を要してしまったのだった。

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