002話-何かがおかしい

「お待たせ、これしかないけど我慢してね」


 先程の男性が部屋へと戻ってくると、ゆっくり俺の背中へ手を入れて身体を起こしてくれる。

 ズキズキと痛む身体に無理やり力を入れなんとかベッドの上に座ると、立ちくらみのようなものに襲われた。




「はい、ゆっくり飲んでね」


 目の部分に包帯が巻かれているので、指先に触れた『何か』を手のひらで包み込むとコップの取っ手のような形状をしているのがわかった。

 しかし少しザラザラとした手触り……グラスではなく、明らかに木材で出来たカップのようだった。


(もしかして木のコップ?)


 手に触れる木の感触。

 俺は恐る恐る顔を近づけると、葡萄の様な甘い香りが鼻孔をくすぐる。


「い、いただきます」


 俺が恐る恐る口をつけコップを傾けて一口飲むと、ワインを水で薄めたような味が口の中へと広がっていく。

 想像以上に薄い味だったのだが、しっかりとワイン風味と渋みが口内へ染み渡り、ゆっくりと嚥下していく。


(病み上がりにワインなんて、でも美味しいし、温い……)


 カラカラに乾いた喉には少し重いが、ありがたく頂くことにして一口もう一口とカップを口へと運んでいく。



「お待たせしましたー」

「おっ、ほんとに起きたんだ、もう死んじゃうかと思ったよ」


 カップの重さ的にそろそろ飲み終わるかな? と思っていたところで先ほどの女性の声と、もう一人別の元気そうな女性の声がした。


「アイナ、悪いんだけど、あの時の事をこの子に詳しく話してあげてくれる?」

「はーい」


「あと、君、記憶が混乱しているみたいだけど、質問は最後にまとめて受け付けるよ。まずはアイナの話を聞いてね」


「わっ、わかりました――けほっ、けほっ」


 先程は聞き間違いかと思っていたのだが、どうやら本当にアイナというのが今来た女の子の名前らしい。


 それにしても、自分の声が自分じゃないような感じが治らない。

 痛みは感じないためそのうち治ると思うのだが、まるで何かが引っかかっているような感じがして妙に高い声が出てしまう。




「えっと、あの日って、エイスティンから出発して三日ぐらいだっけ?」

「四日目の夜だね」


 アイナさんとやらがが話し始めるのだが、いきなり判らない。


(エイスティンってなんだ? 話の流れから街の名前か?)




「あーそっか、あの日はひどい雨で、ワームどもが湧くかもって、私が先行して警戒してたのよね」


「あのときは雨の中、ありがとうねアイナ」

「もっと褒めてくれても良いのよ?」


(ワーム……? ダメだ判らなさすぎる……)


 聞いたことのない単語の羅列が耳に入ってくるのだが、理解しようとしても街の名前と生き物の名前なのだろうかという感想しか出てこない。




「土砂降りのローシア街道を走ってたらさ、暗闇の中でワムーの集団がいたんで全部輪切りにしたんだよ。そしたらあんたが倒れてたんだ」


「え…………っと、すいません全然分からなかいのですが、結局どういう……」


 先程「一通り全部聞いてからまとめて質問して」と言われ黙って話を聞いていたのだが、そもそも何一つ言っていることが理解できなかった。




「アイナ……それじゃあきっと、わからないよ」

「えー、だって私こういう説明苦手なんだもん」


「えっと……ね? ワムーっていうのは、こう、地面から出てくる大きなミミズみたいな魔獣なんだけど、その集団にキミが襲われていたようなんです」

「ミミズ? でかいミミズに襲われる? 魔獣?」



「そうそう、腹とか半分食われてて足も無くなっていたからもう死体かなって思ったんだけど、息が合ったから背負って帰ってきたの」

「腹が……食われてて……? 足も……?」



 慌てて腹をさすってみると多少の痛みはあるだけで、足も両足ある。

 この人達は何を言っているのだろうかと頭がますます混乱する一方だった。



「一応、ワームの腹から君の足が見つかったから拾ってきてくっつけたんだけど、問題なさそうだよね?」


 ベットがギシっと軋んで、誰かが俺の足にポンポンと触るのがわかった。




「足って……そんな簡単にくっつくんでしたっけ」


(これがドッキリじゃないなら夢! たまに見る恐ろしくリアリティのある夢!)




「アイリスがちょちょいと直してくれたよ」

「アイナ……アイリスあのとき回復魔法の連続で丸一日寝込んだんだよ……」

(いま……回復……魔法……って言ったのか?)


 再びゲームやラノベでしか聞いたことのない単語。

 回復魔法……魔獣……日常生活の中ではまず耳にすることのないものばかりだった。




「そうだった。ねぇ君、後でいいからさ、アイリスにお礼言ってあげてね?」


「え? あ、はい……」

「アイナ、そういうのはもう少し落ち着いてから……ね?」


「うん、分かってるよエイミー」

「ほら二人とも……」


「あ、ごめんごめん、えっと、それでここまで戻ってきて君の治療をしたんだけど、すぐに動かしたらヤバそうだったから君が目覚めるまで全員でこの場所で野宿することにしたんだ」




 男性も色々とフォローするように話してくれるのだが、結局理解できたのは「怪我した俺を見つけて助けてくれた」ぐらいのものだった。

 そもそも、話の前提となるものが既に俺の中の常識とは違うのだと気付いてしまった。




「あの……変なこと聞いても良いですか?」

「なんだい?」


 コップに入ったワインを一口飲んで質問すると、アイナさんではなく座長と呼ばれていた優しい声の男性が返事をしてくれた。

 俺は何度か口を開き、この質問をするべきか、しないべきかしばし悩む。

 

 だがこのままでで話が進まないため、恥ずかしいという気持ちを我慢して質問をぶつけた。




「地球……とか……日本……とか、知ってますか?」


 俺がなんとか絞り出した声は震えていた。

 震えていたが聞かざるを得なかった。


(電話もスマホも知らなかった。逆に俺も知らない単語がこの子の話にはたくさん出てきた……)




 正気とは思えなかったが、一度そう考えてしまうとそうだとしか思えなくなってきたのだった。


「ニホン……? エイミー、アイナ知ってる?」


「えっと……その……聞いたことは」

「それは数字じゃないんだよね?」




 その答えに、うまく考えがまとまらない。

 何を話せば、何を聞けばいいのかわからなかった。


「大丈夫ですか?」

「うわっ、顔真っ青だよ……やっぱりダメだよ、無理しないで寝ていたほうがいいよ?」


 女性二人の心配そうな声が聞こえ、誰かがベッドに腰を下ろしたようで体が少し傾くのを感じた。

 だが、この状態で1人にされると思うと不安で押しつぶされそうだった。





「あぁ、大丈夫ですから話を聞かせてくださ…………い?」

「ひんっ!?」


 慌てて手を伸ばした先になにかの毛皮に手が触れた。

 誰かのマフラーかカバンに付けるアクセサリーだと思い指で弄ってみる。


 手をムニムニと動かすとピクピクと反応する。


(なんだこれ……コリコリしてるのは芯か?)



「ひっ、ひっ、こっ、このっ、いい加減にっ、あっ、だめっ」

「あわっ、あ、あのそれアイナの尻尾だから離してあげてください」


「尻尾っ?」


 慌てて手をパッと離して万歳する。

 まるで痴漢を間違われたときのように心臓がバクバクしているのが自分でもわかった。

 



「むぅー……病み上がりだし、まだ目見えないみたいだから許すけど……こ、今度急に触ったら怒るからね」


 優しそうな、拗ねてるような怒っているようななんとも言えない声色で怒られた。


「ご、ごめんなさい」


 尻尾というありえない単語にツッコミを入れたい気持ちを抑え、おとなしく謝っておく。



「えっとそれで、ニホンだっけ? 何か聞きたいことがあるんだよね? 君……えっと、名前思い出せる?」

「は、はい、ユキ……です」


 フルネームで名乗ろうと思ったが、咄嗟にあだ名を名乗る。

 もしここがそういう世界だとすると苗字持ちだと云々などと読んだこともあり、リスクはなるべく避けようと思った結果だった。




「ユキくん……くん? ちゃん?」

「そ、それはどういう……ごほっ」


 座長と呼ばれている男性が、俺の思っても見なかったところで引っかかる。

 こんなおっさん捕まえて「ちゃん」とはどういう了見だろうか。




「あ、座長、男の子ですよ」

「そっか、それは失礼した」


「えっ……と、すいませんいくつも失礼な質問するかもしれないのですが……よろしいでしょうか?」


 この人たちの常識が俺の知っている常識とかけ離れている可能性も考慮して、なるべく丁寧な営業口調で質問する。




「あのね、君みたいな子がそんな堅っ苦しい喋り方しなくていいのよ。おねーさんたち味方だから安心してよ」


 そう言って、顔に何かが触れてギュッと圧迫された感じがした。

 レモンのような甘酸っぱい香りが鼻腔に届き、すぐに頭を抱きしめられたのだと気付いた。


「むぐっ……」


 顔に柔らかいものが押し付けられ、少し息ができなくなる。

 暖かく柔らかい感触と頭に回された腕の感触で、ちょうど胸が顔の前に押し当てられていると気づく。


「ぷはっ、あっ、あっ、あのっ……」

「アイナ、エイミー、ちょっとアイリスを呼んできてくれるかな?」




 アイリスという単語は先程聞いたなと思い出すと、俺を「回復魔法」で治したと言っていた人の名前だ。

 女性二人が遠くに離れていく気配を感じ、座長と呼ばれていた男性の気配だけが残ったのだった。

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