雪の都に華が咲く

八万岬 海

01-Introduction

001話-事故にでもあったのだろうか

 毎日繰り返される代わり映えのない日々。


 その中でも朝の気だるさは日に日に増えている気がする。

 少ない睡眠時間を過ごすためだけに家に帰りベッドに潜り、スマホのアラームで飛び起きる毎日。


 社会人になって十年と少し。

 芸能事務所『スノーライト』に新卒で入社してから俺の朝はずっとそれの繰り返しだった。




 だが、今日に限ってはいつも以上に頭が重い。

 起きて水を飲んで、シャワーを浴びて目を覚まそうと頭の痛みに耐えながら考える。




 今担当しているアイドルグループは、ついに今日初舞台を迎える。

 小さな箱だが、それでも彼女たちにとっては記念すべき一日なのだ。

 俺も体調を万全にしてこの日を迎えるべく、昨日は直ぐに家に帰って眠ったのだが……。




(う……今何時……)

 

 だが、このダルさは夜中に悪夢で起こされた時や、熱を出してしまった時のダルさではない感じがする。





 ――このダルさは、休みの日に昼前まで寝てしまったときのようなダルさだった。


(やばっ……寝過ごしてる!)


 アラームに気づかなかったと飛び起きようとすると、全身に激しい筋肉痛のような痛みが走り思わずうめき声を上げてしまう。


「ぐあっ……いてぇ……」


 激しい運動をした記憶はないのに、身体を動かそうとするだけであり得ない痛みが足の先から背筋に走る。

 しかも、寝過ぎていたせいか目を開けようとしても感覚がない。





(うぅ……え? なんだこれ)


 頭の辺りに違和感を感じ、痛む腕を我慢して顔に触れる。




(……ハンカチ……じゃないよな……包帯か?)


 俺はこの時になって初めて、頭の上半分ぐらいに何か布のような物が巻かれていることに気づいた。

 ペチペチと触ってみると、鼻から上つまり目の部分を完全に覆うように包帯が巻かれていた。





「あ、もしかして気がついた?」


 その時、誰も居ないはずの俺の部屋に女の子の声が聞こえビクッと身体を硬直させてしまう。


「だっ、誰だ……!」


 今は彼女もおらずワンルームで一人暮らし。

 それなのに突然聞こえた第三者の……しかも女の子の声。

 突然の出来事に心臓がバクバクと音を立てるのが自分でも聞こえてくるようだった。




「ほら、動いちゃダメだって。大丈夫? 痛いところはない?」


 その声の主はまだ幼い少女といった声色で、遠くから俺の枕元へと近づきベッドのそばに座ったような気配がした。




(もしかして俺、昨日飲みすぎて……連れ込んで……いやいや、まさかそんな)


 まだ覚醒しきっていない頭で色々と可能性を考えてみるが、昨日は一杯だけ飲んでまっすぐ家に帰ってきた……はずだ。

 だがいくら記憶を辿っても、居酒屋を出た後のことを思い出せなかった。

 家に帰った記憶がない……無いというより、頭にモヤがかかったような感じでうまく思い出せない。





「君は……誰だ?」

「えー……それ聞いちゃう? それ聞きたいのはこっちなんだけどな」


「えっ……っと?」




 俺としては「俺の部屋に居るお前は誰だ?」という意味で聞いたのに、思いもよらぬ返事が帰ってきた。


「ま、まさかとは思うけど、ここって俺の家じゃないのか」

「そうよ? あなたが倒れていたのを私たちが見つけたの。もう十日も寝たきりだったんだから」



「…………はぁっ?」


 女の子はゆっくりとした口調で説明してくれるのだが、その内容が青天の霹靂すぎて脳が理解できなかった。

 何度も何度も言われた言葉を頭の中で反芻する。



「えっ、まって、十日……寝たきり……? ここ、病院ですか? ――っ!!  やべぇ! 仕事! イベントどうなったんだ!」


「うわっ、ほ、ほら、まって、まだ寝ててよ、危ないから!」




 慌てて身体を起こそうとすると再び全身に痛みが走り、ベッドへ倒れ込んでしまう。

 俺は女性に言われるがまま、混乱する頭をかかえ大人しく横になった。






(十日も寝たきりとか冗談だろ……イベントどうなった? 部長とかが代わりに回してくれたのか……?)


 硬いベッドに寝転んだまま、包帯が巻かれた頭を抑えて何とか思い出そうとゆっくり記憶を辿っていく。




(えっと八月六日……に、台本ができて、あいつらに届け……て……それから)


 俺が新しく担当することになったアイドルグループ『reaDys』の初ライブを控えて、ここ最近各所との調整調整で寝る時間も取れない日々だった。


 思い出せる直近の記憶を思い返す。

 レコード店側と最後のすり合わせを終わらせて直ぐに家へと帰えろうとして……居酒屋で一杯のんで、店を出た。


 そこまでは思い出せる。

 全員に『明日はがんばろう!』とメッセージを送ったのもはっきりと覚えていた。


 



(それから家に……家に帰った……のか思い出せない……。で、起きたらこのベッド……病院というか診療所?)


 帰っている途中や、家で寝ている間、もしかして翌日通勤中かもしれないが、事故で記憶が混乱しているのかもしれない。


 けれど今はこの包帯を外してもらわないと一人では何もできない。

 そんな中、声を出せて近くに看護師さんが居てくれたのはは幸いだった。




(少なくとも声と耳は大丈夫だ。やっぱり事故とかで記憶が飛んだのか?)


 何も思い出せないのは、この頭の包帯を考えると合点がいく。

 先ほど、看護師の女性が「体を拭く物とってくるね」と部屋を出て行ったので、戻ってきたら色々と聞くしかない。


(でも看護師にしては幼い……子供みたいな声だった。研修生か?)




 そんなことを考えながら、何も見えず身体もろくに動かせないまま俺は先程の少女が戻ってくるのを待つことにした。


(……なんだか妙に鳥の鳴き声が聞こえる……な……これは犬の遠吠えか?)


 目を開けられないため、周囲の物音に耳を傾けるぐらいしか出来ない。

 だが時間は夜中なのか、聞こえてくるのは虫の鳴き声や犬の遠吠えぐらいだった。

 すこし遠くから話し声も聞こえる気がするのだが、声が小さすぎて話の内容までは聞き取れなかった。





――コンコン


 不意に扉がノックされキィと木が軋む音とともに吹き込んできた風が前髪を撫でていく。

 漂ってくる空気は病院のものとはまるで違う、木を燃やした匂いや肉を焼いたような匂いでャンプ場のテントから出たときと同じような不思議な匂いだった。




「お待たせ」

「起きたんだね、大丈夫かい?」

「――っ」


 先程の看護師が戻ってきたのかと思っていたのだが、不意にもうひとり男の声が聞こえた。

 一緒に入室してきたのであろう年配の落ち着いた男性の声。

 おそらく俺が気がついたので先生を呼んできてきてくれたのだろう。




「は、はい、大丈夫……だと思います。あの先生、俺どうなったんですか?」

「せんせい……? 違う違う、僕は先生じゃないよ」

「えっ?」


 じゃぁ誰だよお前と思ったのだが、それより大事な……確認して置かなければならないことがある。


 それは俺の体調なんかよりも大事な――初ステージを前日に控えていた担当アイドルたちのことだ。

 アイドルとしてデビューして三ヶ月しか建っていない若いチームだが、全員でやっと掴んだライブなのだ。




「お、俺のスマホ渡してもらえませんかっ!? もしくは俺の代わりに事務所へ連絡してもらえないでしょうかっ!!」


 そう、なによりも会社に連絡しなければならない。

 最近会っていない俺の親から会社に連絡をしてくれていたのならセーフだが、まさか十日も無断欠勤をしているとなれば確実にヤバイ事になっている。


(なんだってこんなタイミングで……こんな……事故だなんて)





「あの……スマホ? ……というのは何か……大事なものですか?」

「………………えっ?」


 俺が必死に会社の電話番号を半分ぐらい思い出したところで、耳を疑うような事を看護師に聞き返された。

 スマホが通じない人が未だに日本に居るとしたら、とんでもない田舎の人か俗世と切り離されたようなところに住んでいる人じゃないだろうか。


「要はケータイ……電話です! 直ぐに連絡しなくてはならなくて――」




 話をしている二人がいる方向はなんとなくつかめたので、そちらへと顔を向け電話を貸してくれとお願いする。


「……電話……? 座長、知ってます?」

「いや……聞いたことは……ないな、なんだろう? ねえ、君、もし必要な物なら誰かを街まで買いに行かせるから、もう少し詳しく説明してもらえるかな?」


「………………」


 俺はこの時どういう顔をしていたのだろうか。



 何かの撮影でドッキリを仕掛けられてるのだろうかと一瞬考えてしまったのだが、この全身の痛みが違うと証明している……気がする。

 少しフザケた部長はたまにバカなことを言い出すこともあるが、こんな手の込んだドッキリを仕掛けるとは思わない。




「す、すいません……俺、いったいどうなってるんですか? 色々と説明を聞かせてもらえれば……助かるんですが」


 混乱する一方の頭を落ち着かせるために、俺は大きく深呼吸をして二人に尋ねる。



 

「…………んー、やっぱりまだちょっと混乱しているみたいだね、仕方ないね、長いこと眠っていたんだし。君を見つけたときの状況しか話せないけどいいかな?」


(――見つけた?)


 不思議な物言いだったが、今は現状把握のほうが先だと思い、コクンと頷く。




「エイミー、 ちょっとアイナを呼んできてくれないか?」


(エイミー? アイナ? え? 外国人?)


「はーい、あ、でも、アイナどこだろう……」

「多分、リーチェと洗い物に行ってると思うよ」

「わかりましたー!」





「さて、君を見つけてくれた子を連れて来るまで少し横になっているといい。何か飲むかい?」


 部屋に残った男性が俺の肩を優しくポンと叩くと、ふわりとラベンダーのような良い香りが鼻に届いた。

 相変わらず何一つ状況が理解できないままだが、なんとか落ち着かせようともう一度深呼吸をする。


「確かに喉がカラカラで……さっきから声もおかしいですし……げほっ、お願いできますか?」


 確かに先程から声に違和感があってまるで自分の声ではないような感じがする。

 痛くはないし首元も腫れている感じはしないので熱が出ているわけではなさそうだ。




 男性の気配が遠ざかる感じがして、再び扉の開閉音が聞こえると近くに人の気配が無くなる。

 ベッドに一人残された俺は、まずは現状の確認をして、れからどうするか考えようと考えようと悶々とする心を無理やり落ち着かせるのだった。

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