第12話 発汗の種

 汗。


 人間が進化の過程で獲得した機能。

 運動量が増えるごとに上昇する体温を下げるために「発汗」という仕組みがある。


 その汗たちは脳が出す量を調整するために意識的にコントロールできず、衣服に吸収されて体に張り付くジメジメ感が不快だと感じた人間は少なくないはず。


 今日は汗に悩める者のお話をしよう。


  ***


 夏季の補習も全て終え、本格的な夏休みの初日。

 朝日が眩しく僕_高峰希空たかみねのあは息を切らしていた。


「ぜぇっ…!はぁっ…!」

「大丈夫、お兄ちゃん?」

 先を行っていた妹_真那まながペースを落として並走してくる。

 朝早くから真那に叩き起こされて、彼女の日課のジョギングという名のランニングに付き合わされて満身創痍の身だ。

「はっ…!ああっ…!だいじょ!…ぶだっ!」

「あ、ダメそう」

 そんなこと言われても真那みたいな体力お化けと比べたら、遥かに貧弱な僕が大丈夫なハズがなかろう。ここのところ運動していなかった僕が悪いんだけどさ。

「少し休憩する?」

 身を案じてくれる最高の妹。

 死にそうな僕はありがたい提案を受け入れる。

「お願いっ…しまっ…す!」

「よ〜し!じゃあ、この公園の池の周りあと一周ねっ!」

「えっ…ちょ…」

 鬼コーチですか!?

 一周1キロメートルもあるんですけど!?

「負けた方がジュースおごりで!」

「すでに負けを確信したが?」

「はいそこ。やる前から諦めない!」

 童話の『ウサギとかめ』で油断してくれるウサギならまだしも、相手は兄に対して「容赦」という概念が存在していないであろう真那だからな。必敗敗北大喝采だ。


「じゃあいくよ。よーい、ドン!」

 言葉と爽やかなミントの香りを置き去りにして行ってしまった。

 今日も今日とて妹に振り回される兄よ。ここで日頃の鬱憤を晴らせるなら兄冥利かもな。

 僕は僕のペースで妹に追いつくとしよう。


 たった15分しか走っていないのにすでに乳酸の溜まった重い脚を一歩ずつ前へ進める。

「はあっ…きっつぅ…」

 夏休みは毎日ジョギングして体力つけよう。健全な肉体を作りたいもの。

 ようやく半周に差し掛かろうとしたところで異変が汗でぼやけていた視界にはっきりと映る。

 木陰の地べたに倒れ込んでいる女性を発見してしまった。

 その女性は水溜りにうずくまっている。


 ん?水溜り?

 昨日の夜は雨は降った?それなら他にも水溜りができているよな…。

 え?じゃあ汗?いやいや、そんなやつおる?


 ひ、ひとまず生存確認しよう。

「だ、大丈夫ですか…?」

 彼女の腕がぴくっと反応する。

「み、水………」

「水分不足ですね!ちょっと待っててください!」

 この公園は僕の散歩コースだからマップは頭の中。すぐに現在位置と最寄りの自動販売機を走り出しながら参照する。

 さっきよりもなぜか速く走れている気がする。きっと目的があれば早く走れるという原理みたいなものだろう。アドレナリンが分泌されているかもしれないしな。


 ドリンクを2本分購入して、彼女がいた場所に戻る。よし、変化なし。よしではないか。

「ほい、スポーツドリンク」

 彼女の首にピトッと冷たいペットボトルを当てると飛び上がって。

「はっ!ここはどこ?私は誰?」

 記憶喪失のテンプレートでボケることができるくらいには暑さで頭がいかれてハイなようだな。

「大丈夫か?僕は神様だ。はい、飲み物」

「ありがとう!神様!」

 彼女は本当に僕が神であるかのように崇め奉ってきて、受け取ったスポーツドリンクをゴキュッ、ゴキュと喉音を気持ちよさそうに鳴らす。

「ぷはぁ!生き返った!」

「それはよかった」

 ピンクを基調としたスポーツウェアに身を包んであぐらで座り込むところにボーイッシュさを感じる。女性のかっこよさって男性のそれと違って一段と爽やかさがある。腕を頭上で伸ばしているところに不覚にもかっこいいと思ってしまった。


 彼女のそばにある水溜りと今も肌から吹き出る汗を僕が観察する。

 えっと…、という様子で彼女は頬に指を当てる。

「やっぱり…異常だよね、この汗」

 半信半疑だったけどやっぱり汗か。すごい量だな。

「人間、こんなに汗がかけるくらいに代謝が良いと驚かされたよ。悪いことじゃないが心配になるな」

 彼女がしおれるところを見て、触れちゃいけないところをつついてしまったかと少し焦る。

「気にしていることだったらすまない」

 話したのは彼女だけど、皮肉っぽくなってしまったからな。気に障っていなくてもここは謝罪一択が正解だ。

「いや、いいの。いつかは解決しないといけない課題だから…」

 課題。

 大量の汗をどうにかして抑えたい。

 彼女とは関わった時間が少ないが、事情に深入りしているみたいだからな…。ここでさようならと後に引くのはダサすぎるよな。甘い見積もりだけどなるようになるさ。


「君が良ければ話してくれないか?何の事情も知らない僕だけど。一応は神様だし。関係者よりは話しやすいってこともあるだろうし」

 女性に言い寄る口説き文句としては自己採点で100点中2点だなこれ。経験不足から言えるボキャブラリーの無さが垣間見えるし、暗に「助けましたよ」アピールしているから大幅減点だな。

 選択権は彼女にある。僕はただ彼女に水分を与えただけで、見返りを求めるほど小さい人間ではない。しかし、彼女が汗のことを言い出したのは無意識に解決したいと思っていたからだと僕は判断した。

 だから申し出の手を差し伸べた。これを取るのかそれとも払い除けるのかは彼女次第。後者ならそれで関係は終わり。いつも通りの日常が続くだけ。前者ならどうなるだろうか、検討もつかない。


「う〜〜ん……」

 彼女は見ず知らずの人間に話していいものかと悩む。


 果たして彼女の答えは。

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