第9話 睡魔の種 前編

 睡魔の種。


 人間の三大欲求の一つである睡眠欲。

 寝具という言葉があるように人間は一生、布団やベッドの魔力からは逃れられない運命にある。


 時として人間は睡魔に襲われることがある。


 食後の数十分間だったり。

 長時間作業した後の休憩中だったり。

 運動してシャワーを浴びた後だったり。

 様々である。


 この睡魔の種は皆の心に必ず植えつけられ、活動時間が長いほどに植えつきやすい。寝れば種は消失する。


 たまに常時この種をその身に宿している人物が存在するらしい。

 周りにいつも眠たそうにしている人物がいた経験をしたことはあなたもあるかもしれない。

 今日はそんな人物のお話。


  ***


 僕、高峰希空が学校の中で好きな場所がどこかと聞かれると真っ先に「屋上」と答える。

 この高校の屋上は猫の気まぐれさみたいに開閉が確率に基づいて開閉されている。

 今日はどうやら当たりの日のようだ。

 僕は屋上に出て、適当に地べたに腰を下ろして昼食をいただく。

 誰が開けているのかは知らないが、開いているなら入ってもいいと解釈している。


 海の方から吹く風が僕の髪の毛を揺らす。

「今日は風があるな…」

 もう夏に季節が移りかけている中、今日は薄めの曇り空と風もあって、ここ最近で一番涼しく過ごしやすい。

 正直なところ、夏場は気温が高くなる都合上、屋上には来ないつもりだったが、今日は春や秋のような暑さと寒さのちょうど中間くらいの日和で、ここぞとばかりに屋上にやってきてみると見事に開放されていた。ギャンブルで勝った場合と同じくらい気分が良い。実際にギャンブルはしたことがないけど。


 夏季補習は午前で終了。午後の授業はないため、この屋上でゆったりと出来そうだ。時刻はちょうど昼休みの終わりを予告するチャイムの12時50分。

 そろそろグラウンドの方に部活動に青春を捧げる学生らが活気よく出てくる頃だ。


 僕もさっさとお弁当を食べて、軽くお昼寝でもしようか。

 今日のお弁当は自作の鶏肉と卵のそぼろ弁当だ。今日はたまたま早く起きれて弁当を作る時間があった。いつの日か一人暮らしをした時のために料理もそこそこできるようにしておく。うん、今日も上出来だ。


  ***


「さて、約束もあることだし早めに戻って準備するか」

 弁当箱を持って屋上を後にしようと扉に近づいた瞬間に、起き抜けの声と共に扉の右側のスペースから人影が現れた。

「う〜ん、誰か…いるの…?」

 かろうじて判別可能な声量で僕の耳に届く声。

 その人物は被っていたフードから顔を現し、小さなあくびを手で隠す。

 艶のあるアッシュベージュ色のショートヘアが大人っぽさが醸し出している。

 彼女は目を擦って僕を視認する。

「で…誰?同級生じゃないっぽいし…一年生…?」

 質問されたと気がつくまでに三秒ほどラグができるほどに柔らかなボイス。

 先輩であることを認識して、僕はハッとしてかしこまる。

「あっ、はい。一年生の高峰希空です。よく屋上を利用しているのですが、先輩でしたか」

「たかみね…のあ?う〜ん…聞いたことないな…一年生とあんま関わったことないから当たり前か…」

 再び眠りについてしまうんじゃないかと思わせるとろんとした表情で僕の顔をじーっと見る。


「先輩のお名前を聞いてもよろしいですか?」

 名乗ったんだから催促する権利くらいはある。

 いつも神子様相手に尊敬語や謙譲語を使う人間のロールプレイをやっているので、アドリブも可能だ。

「私は…告森つけやなぎこより。『告』げるに『森』で告森つけやなぎ。で…こよりは全部ひらがな…」

 丁寧に漢字まで教えてくれた。告森なんて今まで生きてきた中で聞いたことないな。


「告森先輩はよく屋上を利用されているんですか?」

「そだよ〜。本当は入っちゃダメなんだけどね〜」

 マジか。それは初耳。ここ立ち入り禁止の場所だったのかー。あー、なんか扉にその旨の張り紙あった気がしたなー。

「そうなんですね。知らずにここを利用していました。でも、どうしてここが開放されているのですか」

 立ち入り禁止なのにここに生徒が侵入出来ている時点で矛盾している。

「ここの扉の鍵を私が持っているからだよ〜叔父さんにお願いしたらくれたんだ〜えへへ〜」

 えへへじゃないでしょ、えへへじゃ。全く悪びれる様子もなく爆弾発言ぶっ込んでくるなこの先輩。

 聞いてはいけないことを聞いてしまったらしい。

 つまり、告森先輩の叔父にあたる人がこの学校の教師で、彼女が頼み込んで鍵を私たと…。


 いやいやいや!!!

 冷静に考えなくても明らかダメだろ、叔父さん!

 バレたら懲戒免職レベルの事件だぞこれ!

 完全に公私混同しているやがる…。僕も使わせてもらって入りうから他言するつもりはないけど。なんならこれを脅しの材料として、ここに居座る獲得するまである。それくらい僕は屋上を気に入っているからな。

「では、僕はこれで失礼しますね。また訪れるかもしれません」

 戦略的撤退をしようとしたが先輩に先を越された。

 グイッと僕の服を引っ張って歩みが阻止される。

「…?どうしたんですか先輩?」

「のあ…目の下にくまできてる…。睡眠不足?」

 すでに名前呼び。この人は陽の側の人間か。

「そういえば今日はあまり寝ていませんね」

 今日とは言ったが、補習の内容で難しい箇所にぶつかり理解に難航していたため、自ずと最近は睡眠時間が削られていた。ベッドに入っても解けなかった問題たちが頭をよぎり、考えているうちに深夜1時、2時を回り、遅いと4時に寝ていた。


「はい、こっちきて」

 告森先輩に手首を掴まれて先ほどまで彼女がいたスペースに連れて行かれる。

 そこにはピクニックに使うようなレジャーシートと似つかわしい枕があった。

「ちょいと横になって…?」

 言われるがままにそのシートで仰向けになる僕。

 この後、約束があるんだけど言い出せない。

 そして、彼女も川の字のように僕の隣に並んで寝転がる。

「ほら…今日は風が気持ちいいから…お昼寝に最適…だよ…」

 隣からの悪魔のようなささやきが僕の睡魔を加速させる。

 まぶたがだんだん重力にしたがって閉じていく。


 何か忘れているような気もするけどいいか…。

 今は風にすべてをさらってもらおう…

「すう…」

 僕はやがて意識を手放した。


 起きた瞬間に僕は睡魔の脅威を目の当たりにすることとなった。

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