第5話 先見の種 後編

*このお話は前回の続きです。


  ***


「山下さん、ありがとうございます。頭にあった違和感がなくなってスッキリしました」

 お祓いの砂を掴んでいた手から離してお礼を言う。

「それはよかった。希空のあくんは周囲の悪意に受け付けてしまいやすい体だからね」

「以前おっしゃっていた『気孔』のお話しですか?」

「そうだ」


『気孔』の話に入る前に。


 どうやら高峰希空という人間は縁起のよろしくないものだとか他人の負のオーラ・ネガティブだとか、世間一般でよくないとみなされているものを人よりも自分の中に吸収しやすい性質を持っているらしい。

 その悪ものたちの取り入れ口を『気孔』という。

 中学生かあるいは勤勉な小学生の人ならば理科の授業の時間に『気孔』という言葉を聞いたことがあるはずだ。聞いたことがないやつはいますぐ教科書出して復習しとけ。

 わざわざここで説明するのもおかしな話だが親切心でわからない人のために説明しておこう。

 気孔とは、葉の表面に存在する小さな穴のことで孔辺細胞で囲まれた隙間のことをいう。実際に顕微鏡で確認してみると口の形をしているから覚えやすいよな。

 僕が中学生のテストで気孔と書くべきところを気口と書いてしまったのは内緒。

 その気孔は気体や水蒸気のやりとりをすると。


 それで「なんでここで『気孔』について述べたんだお前」と答えを催促したいあなたの気持ちはわかる。もちろん今から答えよう。


 山下さんが言う。

『気孔』は植物のみならず、生き物全般、それどころか生命力を有さない机みたいなオブジェクトにさえも存在する、と。

 実態が存在するなら気孔は存在する、と。


 生物に関しては、少なからず感情に影響されてしまいやすいと言う理由で納得はできる。無機物に関してもポルターガイストや何かしら宿った人形をイメージすれば良いがそれらはあくまで人為的に作られたものだからだと理解できる。

 ここで意地悪問題の製作者バリにひねくれているのがこの僕。

 じゃあ、自然界に存在するものたちは?となる。

 当然山下さんに質問してみたら、自然界のものでさえも存在すると。

 これ以上は僕の見えない世界のお話しなって、神とか霊とかが登場しそうで脳味噌がオーバーフローしてしまいそう。


 だから『気孔』は誰もが持っているものなんだと暫定的措置。

 自分の中にない解答は自分の中から出てこない。

 よく神子みこ様が勉強を教えてくださっているときに僕に与えられるお言葉。


「よし。今日は『気孔』について少し掘り下げさせてもらうとしようか」

 僕がもろみの蔵にくるたびに山下さんは見えない世界のお話をしてくれる。

 その疑問が出てしまっていた。

「毎度のことながらなんですが…」

「どうした?」

 率直に聞き返す山下さん。

「僕みたいな人生経験の浅い若造のメンタルケアを行って、さらにはこんなお話をしてくれるのはなんでですか?」

 それも何百人も相手に、と続きが聞こえるように僕は質問する。

 山下さんは常人よりも垂れた耳をいじって、フッとスカしたように笑う。

「そりゃあ、未来のある若者が明るく元気に夢や希望を勝ち取っていく姿がみたいから…だな」

 未来を信じて、ではなく、間違いなく確定した将来を噛み締めるかのようであり、すでに実現したものとして喜びつつもある。

 ここでも一つ学ばせてもらった気がした。

 成功者って言うのは成功する前にすでに成功したことを子供みたいにはしゃいでいるってことなんだろうな。


「そして僕が大きくなってもろみの蔵にお金を落としにこい、ということですね」

 僕も山下さんの魂胆を見透かしたくなる。やられっぱなしは癪だからな。

「いやあ、僕は何も言っていないんだけどね?」

 恥ずかしそうに頭をかく山下さん。

「ただ僕から恩を受け取ったと人たちが勝手に成長して僕に支援してくれているだけさ。ほい」

 山下さんは手元のタブレットを操作してメモ帳の箇条書きの欄を僕に見せてくる。

「これがもろみの蔵のバックですか…えげつな…」

 タブレットには流通・化学製品・食品関連、その他多くの業種にわたる、僕でも知っている会社の名が連ねられていた。

「言い方。言い方。もろみの蔵のスポンサー様方だよ」

 世界を相手にしていると聞いていたがまさかこれほどとは…。

 やっぱりすごいなこのおっさん。

 他者からの信頼も厚く、図らずとも人を成長させる方向に持っていく。

 大人の代表として僕も信頼している。

「いつか必ずここに還元しにきますよ」

 受けた恩は形にして返したいと思うのが人間の性。

 もらってばかりで返さないと言うのも情けないしな。

「僕が生きているうちに返しにきてくれるところが見れるといいかな。まあ、僕は醤油がこの世からなくならければなんでもいいんだけどね」

 ひしひしと伝わってくる醤油大好き山下さん。

「質問に対する答えはそう言う感じで。じゃあ『気孔』について話そうか。まず…」


 突然言葉を遮る張りのある叫び声が鼓膜を震わせる。

「トモさ〜〜〜ん!!!と、のあくんだっけえ〜〜〜???何か飲まな〜〜〜い?」

 もろみの蔵中に響き渡っていたため、声の主がどこにいるのか判別できなかったが、山下さんの視線の先が厨房に向いていたため僕も一緒に見ると、お洒落な三角巾をした女性がこちらにブンブン手を振っている。

「さなちゃ〜〜〜ん!コーヒー二人分としょうゆソフト一つでおねがあああい!」

 同じようなハイトーンで返す山下さん。

 こんな高い声出せたんか。と初見時はビビった。

「でよかった?希空くん」

「完璧です」

 僕にしょうゆソフトとコーヒー、自分にコーヒーを頼んでくれた山下さんに承諾を返す。いつも注文しているからもちろん今日もいただく。

「は〜〜〜い!うけたまわりましたあ〜〜〜!!!」

「いつもありがとおおお!さなちゃ〜〜〜ん!」

 山下さんが「さなちゃん」と呼ぶ人は、彼の妻で、この『もろみの蔵』の店主である。僕は「女将さん」と呼ばせてもらっている。理想の夫婦像というのが僕はわからないが、山下夫妻が声を張り合っているのを見ると、まるで小学生の中の良い男女がそのまま大人になって結婚したみたいな感じがして面白くはある。


「いっつも仲がいいですよね。結婚って実際した方がいいのですか?」

 結婚はおろか恋愛すらろくに経験のない僕はソフトクリームを待つまでの間、話を「結婚」というテーマに移す。

「どうなんだろうね?僕は既婚者だから少なくとも恋愛に関してポジティブではあるよね。昔は今の希空くんみたいに恋愛に興味がなかったんだけど、一度恋愛に心を奪われると行先は結婚だったねえ…」

「トモさんって本当恋愛には無頓着だったからね。ここまで持ってくるのにかなり苦労したわよ」

 いつの間にかトレーに注文した品を乗せてきたテーブルの前まできていた女将さんが参加してきた。

「さなちゃんの僕に対するしつこさは異常だからねえ…」

「あら?私って狙った獲物を逃さないのよ?」

「君には敵わないね…」

 女将さんはいつもおっとりとした感じを醸し出してるけど、執着がすごい人だったりする。僕が一度だけここにプライベートで来た時に、客寄せの上手さを見て「なるほどな」と納得してしまう部分が見られた。

「はい、これ」

 女将さんはことっと僕と山下さんの前に品を置く。

「ありがとうございます」

 そう言って一口ソフトクリームを口に含む僕。

 うん。これだ、これ。これがなきゃ学校なんて言ってられねえよ!


「つかぬことをお聞きするんですが、山下さんに息子さんあるいは娘さんっていらっしゃるのですか?」

「本当につかぬことだね。君のそういうズカズカ入ってくるところが本当に好きだよ。答えはいないねえ」「いないよね〜」

 二人は答える。

「私たちってね、お互い子供がいらないってことで意見が一致したんだよね〜」

「ね〜」

 家庭内の事情をさらっと暴露する女将さんに全く動揺することなく相槌を打つ山下さん。

「褒められついでに突っ込んだ内容になるのですが、その考えを教えてもらってもいいですか?今後の自分の人生に参考にしたいので」

「希空くんにも結婚する未来がくると信じて話そうか」

 山下さんを見て女将さんは首肯する。


「生命を宿すということはね、一生面倒を見ないといけない義務と責任が発生するんだよ。僕たちにはその覚悟ができなかったし、何より子供の面倒を見る暇がないくらいにはやりたいことがたくさんあったってことかな。聞く人によっては詭弁かもしれないけどね」

「そんなことはないですよ」

 僕からしてみれば山下さんが成功している理由に「子供がいない」があっても納得はする。成功してなかったら詭弁だとも思うけど。そもそも彼が成功していなかったら僕なんか眼中にはないか。

「うちの両親にも是非とも聞かせてやりたいですね」


 結婚のことについてなんて聞くもんじゃなかったな。

 この時の僕はそう後悔していた。

 僕のことに興味を無くし、妹のことに躍起になっている両親のことが頭にちらついて若干苛立ちを覚える。


 そんな僕の不機嫌を感じ取ったのか、目を細める山下さんが。

「伝えてあげればいいんじゃないの?」

「え?」

 先ほどクリアになったはずの思考が停止する。

「以前よりはご両親と会話するようになったんだろう?」

「そうですが…」

「心のうちに『まだ早い』っていう思いがあるんだよね」

「…」

 言葉が見当たらない。

「言えない気持ちはわからないでもない。しかしいつかは言わなきゃいけない時が来る」

 空間に沈黙が流れる。


 確かに僕と両親の関係は良好とは言えない。

 別に両親が嫌いというわけではないが、過去に対してお互い言及せずに今日まで来ている。

 僕はどこかでその過去が自然消滅して以前のように良いか関係でいれればいいなくらいに思っていたが、自分の甘さを突きつけられたような気がした。

 無論、山下さんが僕をいじめたくて言っているわけではないし、この人は絶対に人を貶めようとしていないことは自明だ。

 分かってはいたが逃げている自分を改めて痛感させられた。


 パンッ!


 何を返せばいいかわからなかった僕を助ける形で、静寂を打ち破るように破裂音が鳴る。

「はいっ!トモさんもそのくらいにして、ね?ソフトクリームも溶けちゃうから早く食べちゃって!」

「あ、はい…」

 そう言って山下さんに何かを耳打ちして厨房にスタスタ戻っていく女将さん。

「すまなかった、君の両親との関係をなじるようなことをしてしまって」

「いえ、山下さんが謝るようなことではないです」

「まあ、時間はきっとかかるだろうが、頑張れよ。僕に手伝えそうなことがあれば連絡してくれれば対応するからな」

「心強いです。これからもお世話になります」


 この後、山下さんは『気孔』の話をしてくれた。

 しかし僕は馬の耳に念仏状態で、頭はずっと「両親」のことで支配されていた。

 話の内容はしっかりノートにメモしておいた。

 その日、もろみの蔵に行った感想は「しょうゆソフトクリーム美味しかった」だった。


 さあて、そろそろテスト勉強始めないとなあ。

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