第4話 先見の種 前編

 先見の種。


 趨勢の赴く先を見通す力。

 プロフェッショナルの最前線で活躍している成功者たちの多くが持っている能力。

 未来を実現させる希望の種。


 しかし、彼らは生まれ持った時からこの種を保有しているわけではない。


 僕の周りにも少なくとも知っている人物が一人。


 胡散臭そうな人ではあるが、大人なんて皆くだらないと思っていた過去の僕を叱ってくれた恩人であり、そして「種」の存在を教えてくれた人生の師である。


 今日はその人の話をしよう。


  ***


 時は日曜日の太陽が空の中央に昇りそうな頃。

 潮の香りを運ぶ海風が自転車を漕いでいる僕_高峰希空たかみねのあに夏の入り口を感じさせる。


 昨日は妹の真那まなと街のショッピングモールに行って、お守り兼荷物持ちのミッションを無事遂行した。途中、クラスの隣人_神子みこ様こと佐久間神子さくまみこ様がお見えになるなどのイレギュラーがあったりも。有意義な休日を過ごさせてもらった。それ故に少し疲労感がある。

 あれ?休日って休むための日だよな…?

 しっかりを睡眠時間は確保したはずなんだけどなあ…。まあ調子の上がらない日もあるか。


 僕の周りを一昔前の古い町並みが緩やかに流れていく。

 建物のほとんどが板き屋根で、たまに白い土蔵がちらほら見かけられる。

 僕が今日ここに足を運んだのにはある人物に会うためである。

 意味もなくほっつき歩いてるわけじゃないからな?ぼっちとかいうなよ?


 家から1時間弱かかってようやく僕は自転車から降り、押して歩いて目的地に到着する。道路の邪魔にならないように自転車を建物に沿って鍵を掛けて停めておく。

 入り口の横には建物の景観を損なわないように控えめな色で『もろみの蔵』と書かれている。

 もろみ。

 というのは醤油やお酒を作るために醸造した液体に入っている、原料が発酵した固形物。

 土蔵がある町並みからも予想はつくかもしれないが、この辺りは何百年間も醤油やお酒を醸造して繁華街に運送している地域だ。


 僕はもろみの蔵の入り口で呼吸を整えて引き戸に右手をかけようとした瞬間、ひとりでに戸が開いた。


「ありがとうございます。それでは失礼しま、ひゃあっ!」

 暖簾の中から出てきた人と接触してしまった。というよりかは、向こうからぶつかってきたって方が正しいか。

 若めの女性と思われるその声に申し訳なさが滲む。

「…!ごめんなさい!」

 フードをかぶっていた小さいその女性は謝罪をするや否や僕が返答する前に立ち去っていった。

 きっと彼女もここでお世話になっている一人だろう。


 出てきたということは空きができたということ。

 狙いすましたかのように僕が訪れる未来を見通している人物だな、まったく。

 本人は「中に入ってきても全然いいのに」と言うが実際のところどうだか。

 想像に耽るのも悪くないが、待っている人物がいるのでさっさと入るか。


 僕がもろみの蔵に入っていく様子を先ほどのフードの女性が電柱の蔭から隠れて観察していた。

「どうしてここにあの人が…?」


  ***


『もろみの蔵』はもともと醤油の醸造蔵を改装して利用された建物である。店内は醤油の樽や桶を利用したテーブルや椅子が設置されている。ここはギャラリーや喫茶がメインで、醤油や味噌・こうじなどの特産品の販売も行っている。

 名物のしょうゆソフトクリームは観光客や地元民共々に愛されている。かく言う僕もよくいただいている。あの甘さとしょっぱさを両立したキャラメルっぽさがやみつきになるんだよなあ。


「やあ、そろそろ顔を出す頃だと思っていたよ」

 低い声ではあるが落ち着きと奥深さのある男の声が投げられる。

「こんにちは、山下さん」


 山下さんはこの街でしょうゆ作りを職としているおじさんだ。最近では『世界のヤマシタ』と言われるほどに海外のしょうゆ好きたちに愛されているほどにしょうゆの全世界シェアを実現させつつある。本人もしょうゆが大好きで、目玉焼きはしょうゆ以外にはありえないというほどだ。ちなみに僕は塩派だ。異論は認めよう。

 また、彼こそが僕に「種」という存在を教えてくれた人物。いつもどこか見透かしたように僕のことをズバズバ当ててくる人物だ。たまに当てられるとムッとするが、彼が子供みたく清々しい笑顔でいるから悪態つく気も起きない。

 長くなったが僕の心をメンテナンスしてくれるカウンセラーに近い存在だ。

 しかも彼は僕以外にも数百人くらいの患者を抱えており、それを無償で行っているという聖人っぷりだ。来世に向けてどんだけ徳を積んでいるとさえ思ってしまう。


 僕は挨拶を返して引き戸を閉めて山下さんに近づく。

 山下さんの見た目は大手実用衣料品で固めた格好。ネイビーの無地ティーシャツに、夏の空にありそうな水色よりのジーパンだ。服に興味がないのかと思われがちだが、たまにブランド品を着ているのを見るので気を遣っている部分はあるのかもしれない。清潔感を大事にしているところがビジネスマンとも取れる。


 彼は僕が近づくと顎を手で触り、「ふむ…」と考える仕草をする。

「ん?なんだ?昨日何かあったか?まあいい。とにかく座れ」

 言われるままに僕は山下さんの正面に座る。

 僕が入ってくるといつも聞き出してくる。

 しかも今日は「昨日」と指定付きで。いつもであれば「最近何か変わったことは?」と広めなんだけどな。

 山下さんは顎から離した手を自分の体の前で動かしている。彼曰く「こうしていると未来が見えてきやすくなる」らしい。僕も真似してやってみるけれど、5秒先の未来も見える気配がしない。

「誰かはわからないが何かを言われた…そう、核心を突かれる一言を。そうだな?」

 初めてこれをやられたときは「マジかよ、このおっさん…!」と驚かされてしまったが。何回もやられるうちに慣れてきた。慣れって怖い。

 だから、僕も「昨日」「核心を突かれた一言」を簡潔に言う。

「そうですね…妹の真那に『お金持ちっていう家庭が明るみに出たとしても堂々としていればいい』と言われてしまいましたね。僕はそれにハッとさせられました」

 起きた出来事はそのまま曲げることなく伝える。ここで嘘を言ったり、情報不足だったりすると言及されてしまうので。面倒はできるだけ避けたいし。横着するのは遠回りになることが多いからな。

「はっはっは、あのモデルみたいな長身の妹さんにかい?素でそういうことが言えるのは流石だねえ!大事にしなよな〜」

 手を叩いて笑う山下さん。

 先ほどまでの神妙な面持ちが綻んで砕けた表情なところに同じ人間らしさを感じる。

「いやあ、一度はあってみたいものだねえ。画像でしか見たことないけどあのレベルのオーラを持った人間はそうはいないからね〜」

 山下さんほどの他人に貢献している人がいうのだからうちの真那は相当すごいのだろう。僕自身も最近は彼女のあり方の上振り具合を尊敬している。

 同じ両親から生まれてきたはずなのに、どこで差が生まれてしまったのか。特に身長を究明したい。

「興味があるなら今度ここに連れてきましょうか」

「いや、いいよ」

 山下さんは僕の提案を断る。

「希空くんは妹さんに僕のことを認知してくれていたっけ?」

「離したことはあるので知っているかと」

「じゃあ後は何もしなくて大丈夫。来るか来ないかは彼女が決めることだ」

 僕はきっと山下さんのこういう割り切っている部分に惹かれている。人の縁というのを私のエゴで決めつけないという考え方に。

「わかりました」

 素直に承諾する僕。


「はい、これ頭に5分間当てて」

 唐突に山下さんの手が伸びてきて、その上に角砂糖を薄くスライスしたような白い物体を10個渡される。

 これらは山下さんがお祓いに用いる道具。

 砂を少量、ティッシュペーパーで包んで透明なセロハンテープで砂がこぼれないように留めて作成することが誰にでもできる。

 こんなもので本当にお祓いできるの?と思うが、体の違和感があるところに一定時間当てるとあら不思議。違和感がごっそり消えるではありませんか!

 僕は幽霊だといった霊的なものを信用しない口だが、半信半疑で体験してみて理解した。

 この世には霊的な事象が存在するのだと。


 今は頭にこの砂を当てろと言われているので、頭に問題がある。

 決して、頭が悪いからとか頭がおかしいからとかいう理由ではないからな。曲解しないでいただきたい。

「昨日と比べて頭が痛い、ちょっと違和感がある、と感じなかったかな?」

「ちょっと頭が重いなと思ってはいましたが、僕はてっきりただの睡眠不足かと」

 昨日体を酷使した節もあるし。

「まあそれもあるだろうが、原因が他にもあるんじゃないか?」

「えーと、砂を持たずに外出したことですかねえ…」

 恐る恐る自分の失態を話す。

「そうだろうと思ったよ。希空くんはいつも砂を持っていかないな。可能な限り持っていって欲しいんだけどね」

 呆れつつある山下さん。

「忘れてしまうんですよね…」

 砂は外出する際に持っておくだけで憑かれないという性質を持っている優れものである。

 その砂の効力を知っているはずなのに、持っていかない僕。救いようが無い。

 見放すことなく僕に付き合ってくれる山下さんに圧倒的感謝!!!

 今度から砂持っていきます!

 って言ってすぐに持っていくのを忘れる。玄関に「砂!持ってけ!!」と圧のある張り紙でも貼ろうか。

「特に君は『爆弾』を抱えているんだからな。そろそろ習慣化してくれ。いつ爆発するか溜まったものじゃない」

「善処します…」

「口先だけじゃないことを証明してくれ。僕は表面的にはなんとか対応することができるが、内面がもう手遅れになってしまっているってことがあるんだからな」

「はい…」

 山下さんは淡々と述べているだけだが、本当に申し訳なくなってしまう僕であった。


 砂を当て終えてから10分後。見事に頭がすっきりした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る