第23話兄弟は他人の始まり

 邪神の脅威が去ってほっとしたのもつかの間、

信長は自分の身の振り方について頭を悩ませていた。


「お市がよりを戻そうなどと言いながら

 夜這いをかけてきたせいで権六ごんろく(柴田勝家の通称)とも

 仲違いしてしまったし、わしはこれから

 どこに行けばいいのだ。すでに

 諸国の大名にわしの元にはせ参じ

 秀吉サルを討つのに協力するようすすめる書状を

 送ったものの、誰一人応じないとは

 思ってもみなかった。天下布武の花押だって

 ちゃんと押したというのに」

 

 勝家に保護されていた時、将来の不安に耐えられなくなった信長は

「わしが再び表舞台に姿を現すのは女体化薬の効き目が切れ、

 顔が元通りになってからにしようと考えていたが

 このまま中途半端な状態でぐずぐずしていては、

 わしが富と権力を失ったことに気付いたお乱の

 心変わりを招くに違いない。なあに、謁見えっけんの時は

 誰も彼も床に額をすりつけてわしの顔を真正面から

 まじまじと見る者などいないのだし、

 声が変わったことを指摘されたときは

 火傷による負傷のせいだと言いくるめばいいのだ」

と自分に言い聞かせながら自筆の書状をせっせと

したため、例のカエルに届けさせたのだった。


 森蘭丸もりらんまること森おらんは主君の相談に

どうこたえようか少しの間迷っていたが、


「では金山にいる兄上(森長可もりながよし)と母上の元に

 参りましょう。上様がご無事であるということを

 知れば二人とも温かく迎えてくれるはずです」

と提案した。


「それはいい考えだ! 鬼武蔵おにむさし(長可のあだ名)に命じて

 秀吉サルを討たせよう! そなたの実家は頼りになるからな」

 信長は恋人(男)の提案に一も二もなく賛成した。


「実は上様の無事を知らせる書状を兄上のもとに

 カエルに何度も届けさせたのに何の音さたもない。

 いかさま師による偽造だと疑われているのだろうか。

 字を見れば実の弟が書いたものだと

 すぐにわかりそうなものなのに。

 まあ死んだはずの弟から手紙がいきなり来たら

 警戒されても仕方がないか。もともと

 あまり仲が良くなかった兄上に頼るのは

 気が進まないが父上亡き後、我々兄弟を

 引き立てて下さった上様の力になってくれる

 はずだと信じたい」

 一抹の不安は残っていたものの、お乱は

主君である信長を守るためには実家の

協力を仰ぐしかないと心に決め、


「おーい、ガマ公よ、一っ飛びで空間を超える

 君の不思議な力でおれたちを

 金山まで連れて行ってくれ」

と叫んだ。しかし例のカエルの姿はどこにも

見当たらなかった。森兄弟と弥助は

星明かりを頼りに周辺を探し回ったが、

徒労に終わった。

 気の短い信長は


「どこに隠れているんだ!? わしに背いて

 逃げ出すとは度胸のある獣だな。見つけたら

 煮え湯の入った鍋に放り込んでやる」

と怒り狂っていたが


「あれは危険を冒して邪神を追い払ってくれたのですから

 あまり悪く言わないほうが良いでしょう」

とお乱にたしなめられると弥助の方に向き直って


「それもそうだな。おい弥助、その不思議な獣を貸せ」

と命じた。弥助が天馬ペガサスを譲って

陸路で金山に向かうことに同意するやいなや、

信長とお乱は素早く幻獣にまたがったが、

なぜか坊丸はぐずぐずしていた。


「どうした? 乗らないのか?」

と兄に問われた森坊丸は兄にどことなく

似てはいるもののいまいちパッとしない

顔にいたずらっぽい笑みを浮かべながら


「おれも弥助と一緒に行くよ。

 三人乗りなんかしたらお馬さんが

 かわいそうだしね。上様も兄さんと

 二人きりの方が楽しいだろうし」

と申し出た。

 落胆のあまり死にそうな顔になっている兄に

おかまいなく坊丸は弥助と共に去っていった。

 こうして恋人(男)たちを乗せた天馬ペガサス

金山目指して飛び立った。道中ずっと

背後にいる主君が一言も言葉を発しないので

心配になったお乱は


「上様、ご気分でも悪いのですか?」

と言いながら振り向いた。そのとたん主君が

ラッパのように口をとがらせながら

顔を近づけてきたので美しい小姓は悲鳴を上げた。


「こらっ、逃げるな! 憎らしい女怪の呪いで

 わしはタコになりかけているのだ」


「タコは男同士でチューなんてしませんよっ!

 それに日が昇ってもう明るくなっているのに

 誰かに見られたら恥ずかしいじゃありませんか!」

 美しい少年は身をよじって逃れようとしたが、

自称タコは獲物の頭に生えたうさ耳を

つかんで無理やり自分の方に向き直らせた。

タコの吸引攻撃から逃れるすべはないと覚悟した

お乱は歯を食いしばって下を向いた。すると

生まれ育った金山の景色が目に飛び込んできたので

お乱ははしゃいだ声で


「やったー! ついに帰ってきたぞ!」

と叫んだのだった。



 お乱の母である常向尼は死んだはずの息子と再会し、

これまでのいきさつを語られると、

「お乱! 会いたかったわ! でも長可ながよしが帰ってこない

 うちに上様を連れて早く逃げてちょうだい!」

と叫んだのでお乱は驚いた。親子水入らずの時間を

過ごせるように気を遣って信長は隣の部屋で

休んでいた。


「どうしてです? 上様を守るためには兄上の力を借りなければ」


「実は長可は……」

と尼姿になっても美しい母が言いかけたとき、

隣の部屋から主君の悲鳴が聞こえたので

お乱が大急ぎで駆け付けると、長可が

信長を組み伏せて配下の者に縛り上げさせている

ところだった。


「兄さん、なんということを! 上様から受けた

 ご恩を忘れたというのか!? いくら血を分けた

 兄でも許さない!」

 鬼武蔵は血相を変えて飛びかかってきた弟を

一瞬のうちに殴り倒した。


「よお、久しぶりだな! そんな怖い顔してどうした?

 おれは主君のために働いて義務を果たしているだけだぞ。

 この死にぞこないを連れて行ったら羽柴殿はさぞかし

 お喜びになるだろうな」

 この長可の言葉を聞いたお乱は

目の前が真っ暗になるのを感じた。

怒りに我を忘れた信長は目の前に

そびえたつ大男を罵った。


「鬼武蔵、おまえは秀吉サルの犬になり果てたというのか!?

 まったく見下げ果てた男だな!」


「落ちぶれ果てた身で何をえらそうに。主君を変えるのは

 戦国の世のさだめではないか。羽柴殿は、

 信長あんたが完全に女になってねやで自分に仕える

 ならば命を奪わないとのご意向だ。天下人の側室の地位が

 与えられるのをありがたく思いな」

と言い放った後で長可は部屋中を震わすほどの

大声で高笑いした。それから痛みで起き上がることも

できずにいる弟に向かって


「お前も早いとこ羽柴殿に乗り換えるんだな。

 そうすればおれの所領を少し分けて

 やらんでもない」

と諭したが、お乱は


「いやだ! おれは上様についていく!」

と言ってきっぱりと断った。


「ふん! バカな奴だ! 信長そいつの言いなりになって

 頭にうさ耳までつけるなんて武家に生まれた

 男として恥ずかしくないのか!?

 しばらく牢屋で頭を冷やすがいい!」


 こうして主従は城の地下牢に閉じ込められることになった。


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