第20話邪神、いと美し

 柴田勝家しばたかついえは自らが後見する織田信孝おだのぶたか(信長の三男で母親は側室の坂氏)を

信長と対面させたが結果はさんざんなものだった。


「この間はよくもわしを殺そうときたな!

 信忠のぶただ(信長の長男)じゃなくて

 おまえが死ねばよかったのに!」


「なんだと、ダメおやじめ! そもそもあんたが

 油断しすぎたからこんなことになったんだろうが!

 手練てだれ馬廻衆うままわりしゅうを町家に分宿させて小姓と女中しか

 手元に残さないなんてどう考えても自殺行為じゃないか!

 あんたのせいでおれたち織田家の人間はみんなサルに

 踏み付けにされて苦労してるんだよ!」


「やい、親に向かってその態度は何だ!

 キンカンの娘婿になっていたとはいえ、

 津田信澄つだのぶずみ(信長の甥で夫人はあのガラシャの妹)まで殺しやがって!

 あれの方がよほどおまえより見所があったわ!」

 激高した信長は脇差を抜いて向かっていったが、

女体化薬の副作用で体力が落ちていたせいか

いともたやすく組み伏せられ、

武器を取りあげられてしまった。


「信忠や信雄(二人とも母親は側室の生駒氏)ばかり

 えこひいきしやがって許さないぞ。

 おれの方が信雄より先に生まれたのに

 母親の序列が低いからってあいつが二男で

 おれが三男だなんておかしいじゃないか!

 今こそ長年の恨みを晴らす時が来た、覚悟!」

 織田家の不遇な三男が父親の首めがけて

刀を振り下ろそうとした瞬間、


「おやめください! ご自分のお父上になんてことを!」

と悲痛な叫び声をあげながら、隣室から駆けつけてきた

勝家が止めに入った。老いた家老はこの二人に

親子水入らずの時間を過ごしてほしいと

願って席を外していたのだがそれが

結果的に裏目に出たのである。


「邪魔するな、権六ごんろく! 長年こいつに虐げられた

 気持ちがおまえにはわからないだろう!」

と叫んで信孝はますます興奮してしまった。

ところがいつの間にか部屋に入ってきたお市が


「そなたの気持ちはわからなくもありませんが、

 どうか兄上を許してやってください。兄上は恋人(男)に

 逃げられて気が立っているのです」

と声をかけたとたん、信孝は

背筋をピンと伸ばし、頬を赤らめて


「はいっ、わかりました!」

と答え、凶器を遠くに投げ捨てたので

勝家は目を丸くし、顎が外れる寸前であった。

信孝と勝家がそろって立ち去った後で、


「わしは断じておらんに逃げられたのではない!

 お乱は魔性の女に無理やり連れ去られたのであって

 自らの意志でわしのもとを去ったわけではないのだ!」

などと叫んで信長はお市に詰め寄ったが、

この美しい妹は何も答えず、哀れむような目つきで

落ちぶれた天下人を見つめるだけだった。

 そこに例のカエルがよたよたした

足取りで近づいてきたので


「おいガマ公、わしをお乱のところに連れていけ」

と信長は命じた。しかしカエルはペチャンコの

お腹を指さして首を横に振った。


「畜生の分際でわしの命令がきけないのか!?」

といきり立つ信長をお市が


「お腹を空かせているのにこき使うなんてかわいそうじゃない。

 あの変態サル親父のところから逃がしてくれたり

 荒木村重を遠くに追い払ってくれた恩人

 なんだから大事にしてあげなくちゃ」

とたしなめると、カエルはこくこくとうなずいた。


「そうだった。うまいものを食わせてやる約束を

 まだ果たしていなかった。腹いっぱいになったら

 すぐに出かけるのだぞ」


 しばらくして、カエルの前に尾頭おかしら付きの鯛や

山盛りの白飯、具だくさんの味噌汁が載ったお膳が

運ばれてきた。この生体魔道具はごちそうを

ぺろりと平らげると、目を閉じてコテンと寝転がってしまった。

イライラした信長は


「おい、起きろ! 鼻提灯なんて出しやがって、

 話が違うじゃないか!?」

と怒鳴りつけたが、むくりと起き上がったカエルが

獲物を狙う毒蛇のように真っ赤な口をカッと開けて

威嚇してきたのでひるんでしまった。


「あいつ、カエルのくせしてどうして

 あんなにでかい牙が生えているんだ?

 薄気味悪いな」


「もう遅いから兄さんも寝たほうがいいわよ。

 今夜はこの部屋に床の用意をするよう

 女中に言っておくわ」

 そういうと、お市は勝家の待つ寝所に去っていった。


「お乱……どこに行ってしまったのだ。おまえが

 腕枕してくれないと寝れないのに。おまえも

 今頃わしから遠く離れて寂しくなっているはずだ」

などとブツブツ言いながら天下人になりそこねた男は

一晩中寝返りばかり打っていた。



 信長が一人寝の床で悶々としている頃、

森おらん森蘭丸もりらんまる)はガラシャそっくりな女神と天馬ペガサス

二人乗りして星空を飛び回り、夢見心地になって浮かれていた。


「坊や、ちょっとここで休憩するわね。

 お馬さんの羽がボロボロになっちゃった」

 人気のない山奥に降りるとすぐに

女神は天馬ペガサスを木につないだ。


「さあ、わたしの渇きを満たして。長い間あの絵の中に

 閉じ込められたせいでずっとご無沙汰していたの」

などと顔に似合わず下世話なことを

言いながら女神がお乱の衣服を脱がせようとした瞬間、


「こらっ! それはわしが先に見つけた獲物だ!

 おまえごときが軽々しく手を触れるな!」

という鋭い声が背後から飛んできたので

ぎくりとして動きを止めた。振り返って声の主である

覆面の男の姿をみとめた女神は

憎悪に顔をゆがませながらも穏やかな調子で


「あら兄さん、何万年ぶりかしら? せっかく妹が解放された

 んだから祝いとして譲ってくれたっていいじゃないの」

と答えたが、覆面は返事の代わりに丸まった蛇を投げつけた。

怒り狂った女神が翼を広げた鳥の形をした髪飾りを

投げつけると、それはたちまち猛禽類に変じて

蛇をくわえて飛び去った。覆面は涼しい顔で


「相変わらず淫乱だな。おまえが遊び飽きたオモチャの

 末路がどうなるかその子に教えてやるのが

 親切というものだろう」

と言うやいなや、大蛇に姿を変えて

女神に襲い掛かったが、こちらも負けじと

巨大なみにくい鳥に姿を変えて応戦した。

百年の恋もいっぺんにさめてしまったお乱に


「気づかれないうちに上様のもとに戻るから

 乗せてくれ」

と話しかけられた天馬ペガサスは体を低くして

自分の背に乗るよう促した。

飛んでいるときは気付かなかったが、

首輪がきつすぎて皮膚に食い込み血が出ているのを

みて馬があわれになったお乱が


「かわいそうに。外してやる」

と言って不動行光の刃先で

軽く触れたとたん、首輪は粉々になって砕け散った。

そのとたん、天馬ペガサスが弟の森坊丸の姿に

なったのでお乱は驚きの叫びをもらした。


「坊丸! どうしてこんな姿に!?」


「あの女の仕業だよ!」


「どういうことだ!?」


「あいつの食事はいけにえとして捧げられた

 人間の魂だが、見た目が好みのいけにえのことを

 すぐには殺さず、毎晩寝床でもてあそぶのだ。

 しかしその男にあきがくると動物に姿を変えて

 死ぬまでこき使うのだ。そんなことを繰り返した

 あげく、邪神として忌み嫌われ、

 誰にも顧みられなくなっていたが、手下の猛獣を

 操っておれたちの仲間を食い殺させることで

 生き返ってしまったのだ」


「そんな化け物に捕まったら大変だ、早く逃げよう」

 兄弟は手を取り合って一目散に山の斜面を駆け下りた。


 

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