第19話置き忘れたもの

「おい権六ごんろく、今すぐ織田家中の者どもを呼び集めてくるのだ!

 いくら姿が変わっていても、このわしが織田信長であると

 家老のおまえの口から聞かされれば、

 疑り深い連中も信じざるをえないだろう、

 従わなければその場で切り捨てるまでのこと。

 諸大名にも書状を送り、わしが生きていたと伝える

 ことを忘れるなよ! 憎きサルがわしから

 奪い取ったものを取り戻して天下人の座に

 返り咲いてみせるぞ!」


「いえいえ、今はまだその時ではありません。

 サルを叩きのめしてやりたいのはこのわしも

 同じ気持ちですが、もっとたくさんの兵を集めて

 鉄砲の訓練を施し力を蓄えてからにしましょう」

 信長の命令を柴田勝家はのらりくらりとかわして

時間稼ぎをしながら、


「この男の排除はずっと前から決まっていたこと。

 わしら家臣団の主だったものが何度も話し合って出した結論だ。

 とはいえ、身の程知らずにも天下人の座を狙った

 光秀が暴走したり、秀吉が抜け駆けして

 光秀を討ったりして計画は台無しになったけどな。

 こんな自称第六天魔王を今更担ぎ出したりしても

 わしの立場が悪くなるだけだ」

などと考えていた。

 勝家が浮かない顔をしていることに気付かない信長は


「ところで信忠のぶただはいつわしを迎えに来るのだ?」

と目をキラキラさせながら今日何度目になるか

わからない問いを発した。あまりのしつこさにイライラした勝家は、


「だーからっ、何度も言ったじゃありませんかっ!

 嫡男の信忠殿は二条城に立てこもり、勇敢に戦って

 討ち死になされましたと!」

と大声で怒鳴りつけてしまった。


「うそだ! 信忠はわしのいいつけに従って都を脱出し、

 どこかに身を隠しているはずだ! 姿を現すのが遅れているのは

 あの松姫(武田信玄の娘)とどこかにしけこんで

 子作りに励んでいるからに違いない! あの二人が

 こそこそと文を送りあって会う約束をしていたことに

 わしは気付かないふりをしてやっていたのだ。

 信忠あいつはそのうちにきっと、敬愛する父である

 このわしのもとに来るはずだ!」

 いい加減、現実を見ろという言葉が勝家の喉からでかかったが、

さかやきがのびてお市そっくりになった信長の顔をみると

ドキリとして何も言えなくなってしまった。


「もういいもん! おらんにやさしくしてもらうもん!」

と言いながら肩を怒らせて去っていく主君の後姿を

見送りながら、勝家は大きなため息をついたのだった。



 信長はうたた寝をしている森おらん森蘭丸もりらんまる)に

忍び寄って行くと、

「お乱、愛しているよぉ」

とささやきながらうなじに吸い付いたりほほずりしたりした。


「なんというきめ細やかな肌だ。南蛮の高価な織物などより

 ずっと心地よい手触り」

などと興奮しながら愛しい小姓に覆いかぶさろうとしたとたん、


「さわるな! うっとうしいんだよ!」

とこれまで聞いたこともないような鋭い声が飛んできたので

信長は耳を疑った。夢から覚めて、目の前にいる主君が

打ちひしがれる様子を見たお乱はあわてて立ち上がると、


「あっ、上様でしたか。醜悪な魔物に追い回される夢を見て

 うなされていたので、ついご無礼を……」

と言い訳したが遅かった。比叡山焼き討ちで名高い

暴君はゆでだこのように真っ赤になりながら、


「おまえ、本当はわしのこと、愛していないって

 言ってたよな! 罰としてコレをかみ切ってやるから覚悟しろ!」

という言葉と裏腹に、恋人(男)の一部を唇で包み込み、

絶妙な舌遣いで愛撫し始めた。

 いくら美少年とはいえ、一介の小姓にすぎない恋人(男)の

足元にひざまずいて喉の奥までモノを

くわえこんでいる兄の様子を部屋の外からのぞき

見ていたお市は真っ蒼になってガタガタ震えていた。

そこに妻を探しに来た勝家が


「我が愛しの妻よ、こんなところで何をしているのだ?」

と声をかけた後、部屋の中を覗き込んで爆笑した。


「なんと情けない! これじゃキンカン親父が

 謀反むほんを起こしたくなる気持ちもわかるな」


 しばらくして、ようやく口淫を中断した信長は

嬉々として脚を広げて横たわった状態でお乱を誘ったが、

あっけなく無視されてしまった。


「どうした? いつものように抱いてくれぬのか?

 もしかしてこっちの体勢の方がお前の好みか?」

 獣のように四つん這いになって自分を待っている

主君の姿をお乱は冷めた目で見ながら


「今でこそこんな風に猫なで声を出して媚びてくるけど、

 そのうちおれの体に飽きたら安土城の女中たちみたいに

 始末する気じゃなかろうか?」

などと考えていた。信長が自分の外出中に無断で

城から出た女中たちを殺した日のことを夢に見ていた

お乱の心の中には主君を疑う気持ちがふつふつと

沸き上がっていたのである。

 次の瞬間、どこからか


「お乱ちゃん、会いたかったわ。わたしと一緒にきてちょうだい」

という女の声が響いてきたので一同はぎょっとして

そちらに目をやった。二階の窓の外で天馬ペガサスに乗った人影が

手招きしていることに気付いた信長は刀を抜こうとしたが、

それより早く、お乱が


「お玉殿!」

と叫んで馬の尻に飛び乗ってしまったので仰天した。


「ちくしょう! 明智の娘に奪われるとは!」

 信長はあわてて外に飛び出すと、馬に乗って後を追おうとしたが、

天馬ペガサスはすでに雲の中に姿を消した後だった。



 森乱を連れ去った女の正体は玉ではなく、以前、

信長一行が船で漂着した無人島の神殿にまつられた女神だった。

長い間誰もいけにえを捧げなかったせいで力を失った

女神は天井の絵の中に封じ込められていたが、人食い獣に食われた

少年たちの魂を手にしたことで復活したのである。


「あなたは女神様? お玉殿ではないの?」

と戸惑う美少年に女神は


「はい、忘れものよ」

と言いながら不動行光ふどうゆきみつを手渡した。主君から

贈られた名刀を見た瞬間、お乱は


「ご主人様のところに戻らなきゃ!」

と叫んで馬から飛び降りようとしたが、女神に口づけされたとたん、

何も考えられなくなってしまったのだった。

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