第16話人質

 のちに洗礼を受け、ガラシャと呼ばれるようになる

明智光秀あけちみつひでの娘、玉は興奮のあまり

立ち上がると早口でまくし立て始めた。


「毎晩死んだ父が夢に現れて信長の首が欲しい、

 見つかるまで成仏できないと泣きながら

 訴えてくるの。私をこんな境遇に陥れた父を

 ひどい悪人だと思って恨んだこともあったけど

 それよりも穏やかな父に謀反を起こさせるほど

 苦しめ、追い詰めた信長のことが憎くてたまらない。

 もしあの男の首をここにもってきてくれるなら、

 一生あなたのそばにいて尽くしてあげるわ。

 どうせうちの夫には側室がいるのだから」


 森蘭丸もりらんまること森おらんは涙を流しながら、

黙って玉の足元にひざまずいていたが、


「上様を裏切るなんて……そ、そんな恐ろしい

 ことできません」

とか細い声でつぶやいた。

 それを聞いてカンカンになった玉は


「あなた、なんだかんだ言って私よりあの男の方が

 好きなんでしょ!? もういいからさっさと帰って!」

と言ってお乱を部屋から追い出してしまったのだった。



 眠れないまま目を閉じていた信長は

枕元に忍び寄ってきた人影に気付くと、

タコのように口をとがらせながら、


「お乱、戻ってきてくれたのか! チューしてあげるから

 こっちにおいで」

と猫なで声を出した。ところがそれは例の悪魔で


「おやおや、あいにく私はお乱ではありませんが、

 よろしかったら代わりに……」

などと言いながら覆面をかぶった顔をどんどん近づけてきたので

信長は恐怖の叫びをあげながら飛び起きた。

 

「ハハハ、冗談ですよ。それよりあなたはいつも

 あの子にさっきみたいな態度を取っているのですか?

 あれでは逃げ出したくもなりますねえ」

とからかう悪魔を信長は怒鳴りつけた。


「うるさい! わしがお乱に捨てられたのがそんなに

 おもしろいか! ちくしょう! 明智に追い詰められ、

 寺が炎に包まれたあの日に潔く自害してしまえばよかった!」


「まあまあ。年頃の男の子ですから恋の一つや二つくらい

 するでしょう。将来あの子にそっくりな美しい男の子が

 生まれたらそばに置いて可愛がればよいでは

 ありませんか?」


「バカ野郎! わしを何だと思っているのだ!

 それよりお前、お乱が恋している女が

 誰だか知っているのだろう? 今すぐ教えろ!」


「世の中には知らないほうがいいこともありますよ」

と悪魔は警告したが、気短な信長は


「もったいぶらないで知ってることを早く言え!」

と叫んだ。


「あなたを裏切り、こんな境遇に陥れたのが誰だか

 お忘れではありますまい。その者と最も近しい

 存在のとても美しい……」


「なんだと!? お乱が明智の血をひくおなごを

 好いているというのか!?」

 この問いに返事をしないまま、悪魔は影のように

消えてしまった。誰もいない家の中で信長は

苦悩のあまり、うめき声をもらした。


「最悪だ。こんなときこそ誰かにそばにいてほしいのに。

 弥助やすけは変身を解くにはどうすればいいか

 調べてくるといって家を出ていったきり戻ってこないし、

 女房も水を汲みに行くと言って子供を背負ったまま

 帰ってこないし。ひょっとしてわしに愛想をつかしたので

 置き去りにして逃げたのか?」

 しばらく悶々としている信長の前に市女笠いちめがさをかぶった

若い女がいきなり現れたので信長は刀を向けてこう叫んだ。


「誰だ!? 明智の手の者め、わしを殺しに来たのか!」


「いやですわ。茶々ちゃちゃの顔をお忘れになるなんて。

 でも伯父様がお元気そうで安心しましたわ。

 女人にすがたを変えておられると母に聞いたときは

 驚きましたけど」


「実は猿(秀吉)にむりやり女体化させられたが、

 元に戻れなくて困っているのだ。

 何とかならないか?」

 心が弱っていた信長は姪に自分の弱みをつい打ち明けてしまった。


「それでしたら、解毒剤をおもちしたのでお飲みに

 なってください。しかし羽柴秀吉はしばひでよしにも困りましたね。

 あとで柴田勝家に懲らしめさせてやるつもりです。

 あ、母が勝家に嫁ぐことになったことは

 もうご存知でしたか? 勝家は還暦を超えていて

 母と並ぶとまるで親子みたいだから最初聞いたときは

 びっくりして耳を疑ってしまいました」

 母の再婚を報告しながら茶々は腰に下げた徳利から

無色透明の液体をあふれんばかりに茶碗に注いだ。

信長は面白くないと言いたげな顔つきで


「ああ、大賛成とは口が裂けても言いたくないが、

 わしがこうなってしまった以上、お市も

 身を固めねばならぬな。それにしても

 勝家はあの年まで独身でいたかいがあったものだ」

などと言いながら、何の疑いもなく目の前に差し出された

茶碗に入った液体を飲み干してしまった。

 まもなく、信長は激しいめまいを覚えてその場に倒れた。 


「苦しい、目が回る。手足が動かない」


「ホホホ、無様な格好で。今、荒木村重あらきむらしげとおのうさんが

 きますよ。万福まんぷく兄さんも間に合うといいけど」


浅井万福丸あざいまんぷくまるが生きているだと!? 

 あれはずっと前に猿が串刺しにして殺したはず!」


 その問いに答えたのは濃姫だった。


「バカね。羽柴殿は面倒な捜索の手間を惜しんで

 替え玉を処刑したんですよ。あなたって

 ほんとうにだまされやすいのね」


「どいつもこいつも! おい、茶々! おまえは

 おれに養われて贅沢なくらしをしていたくせによくも

 裏切ったな!」

 信長は鬼のような形相で姪を罵ったが、茶々は負けじと


「あんたなんて父を殺した敵よ! おまけにお祖母ばあさままで

 なぶり殺しにして最悪の鬼畜よ!」

と言い返した。父である浅井長政を殺されたことを

恨みに思っていた茶々は濃姫に信長の暗殺を

もちかけられると一も二もなく承知したのだった。


「直接手を下したのは猿だぞ!」 


「あんたが命令したんでしょうが!」

 伯父と姪が口汚く罵りあっているところに

荒木村重が入ってきた。


「これが信長? においで確認させよう」

 こう言うと、村重は豆粒のように小さな黒馬を

ふところから取り出して信長の臭いをかがせた。

馬はかいだことのある臭いに興奮していなないた。


「ふむ。間違いないようだ。早速拷問の準備を」

と言いながら村重は信長を殴ろうとしてこぶしを

振り上げたが、背後から


「上様を離せ!」

という声が聞こえたので手を止めた。


「これはこれは信長お気に入りのオモチャの森乱君。

 大事な大事なご主人様を殺されたくなければ、裸になって

 四つん這いになりなさい」


「なんだと!?」

 首を絞められうめきながらも信長はお乱に目で合図して

いう事を聞かないようにと訴えたが、

お乱は黙って言うとおりにした。茶々と

濃姫はギラギラした目で少年の裸を見ていた。


「よくもおれの妻子と家来たちを殺してくれたな。

 お返しにおまえの目の前で愛するものを苦しめて、

 じわじわと嬲り殺しにしてやるのだ!」

 武将で今は茶人の村重はやけ火箸をお乱の

後庭に突き刺そうとして振りかざした。

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