第15話ご主人様、ぼくを食べないで

 森蘭丸こと森お乱は黒人侍、弥助やすけの家の裏庭にある

五右衛門風呂で体を洗っていた。常に主君のそばに

控えて自分の時間をもてない生活が長かった

お乱は一人きりで満天の星空を見上げながら

解放感を味わっていた。


「ああ、いい湯だな。いつもだったら

 上様の方が一緒に入ろうって

 しつこいのに今日は珍しく先に一人で入って

 こいだなんて、一体どう言う風の吹き回しだろう」

 信長は秀吉に捕らえられたときに

変な薬で中途半端に女体化させられて

しまっていたので裸を見せるのを

ためらっていたのである。

 愛しの小姓が入浴している姿を窓からのぞき見ている

信長のところに弥助が近づいてきて、


「上様、着ているものがだいぶ汚れております

 のでお召し替えを。替えの着物は

 こちらで用意させていただきました」

とささやいた。暗闇の中で輝くお乱の白い肌に

見とれて頭がぼうっとなっていた信長は


「ああ、わかった」

とうわの空で答えると、弥助に手伝わせて

真っ赤な地に白い小花模様のある小袖に袖を通した。


「乱のやつ、遅いな。わしは腹が減って待ちきれんぞ」

とプリプリしながら信長は山盛りの白いご飯とみそ汁、

焼き魚をぺろりと平らげた。


「腹がいっぱいになったら眠くなってきた。

 これから始まる合戦にそなえて一眠りしておくか」

 この独り言をつぶやいた後、信長は

座布団を枕に居眠りを始めた。合戦とは

もちろん房事アレのことである。

 疲れ切っていたせいかすぐに寝息を立て始め、

夢現の中をさまよう信長の耳にお乱の声が聞こえてきた。

長風呂を終えたお乱は主君を起こさないように気を遣って

隣の部屋で目を覚ますのを待っていたのである。


「弥助殿がうらやましいよ。いつの日かおれも

 こんな風に温かい家庭を築くことができたらいいな。

 だけどあのひとはおれにとって絶対に

 手の届かない高嶺の花なんだ」

などと恋の悩みを打ち明ける内容に

びっくり仰天した信長の頭は一気に覚醒した。


「何!? お乱にまさかの結婚願望!?

 わしとのことは一体何だったんじゃ!

 おなごにのぼせてわしから離れていこうとする

 とは許せん! その女が誰なのか絶対に突き止めてみせる!

 高嶺の花と言うからには身分の高い姫に違いない」


 寝たふりを続けていた信長の枕元に

お乱が戻ってきた。信長は急に起き上がって

愛しの小姓に抱き着くと熱っぽい口調でこうささやいた。


「お乱! わしを捨てないでくれよ!」

 女物の小袖に身を包んだ主君にもみくちゃにされた

お乱はやわらかい乳房の感触にどぎまぎしながら、


「何をおっしゃいますか。ご主人様は私にとって、

 神様のような存在でございます」

と震える声で答えた。


「ハハハ! 神様か! その割には長風呂をして

 わしを待たせおって。冗談はさておき、

 おまえがいなければ、わしは

 今度の災難を切り抜けられなかっただろう。

 おまえの献身的な奉公ぶりには

 どう報いていいかわからないほどだ。

 そこでわしが復権したあかつきには

 茶々を嫁にやろうかと思うがどうかね?

 あれはおまえのことを憎からず思っているようじゃが。

 茶々がいやなら初でも江でもいいぞ」

と嘘八百を並べて信長はお乱の反応をうかがった。

 母のお市に似て器量よしだが子供っぽくて

わがままな性格の茶々はお乱の好みではなかったし、

幼い妹姫らのことを異性として見たことなどなかった。

もちろん彼女たちの方も伯父の愛人など眼中にはなかった。

 お乱の表情から浅井三姉妹に興味がないと

知った信長は内心ほっとしながらも

お乱より七つ年上である自分の娘の名を

あげてみることにした。


「ところで五徳がおまえのことを機転が利くとほめておったぞ。

 おまえはあの娘をどう思う? 未亡人というのは

 初婚の娘にはない魅力があってなかなかいいものだぞ」

 松平信康まつだいらのぶやす切腹後、未亡人となって父のもとに戻った五徳は

信長の機嫌をとろうとしてお気に入りの小姓である

お乱のことをほめたことがあった。気位の高い姫君が

父親の愛人(男)であり、自分より七つも年下の少年に

恋愛感情など抱くことなどありそうもなかったが

利発で見目麗しいお乱の姿を見るたびに

松平信康との不幸な結婚生活に傷ついていた

姫君の心はほんの少し癒されていたのであった。


「私ごときが高貴な姫様について批評めいたことを口にするのは

 恐れ多いですがおきれいでしとやかな方だと思います」

と当たり障りのない答えを言ってごまかした

お乱だったが、本音は


「いやだ! あの人怖すぎる! 浮気しようがしまいが

 機嫌を損ねたら父親に告げ口されて切腹させられる!」

というものだった。その表情をじっと見ていた信長は


「五徳でもないか。ではまさかお市か? いや

 いくら何でも年上すぎるな。それにその女が

 安土城にいるとも限らない。よし、

 脅かして白状させてやる!」

と決意しかけたが、不穏な空気を察知した弥助の妻が

お膳を運んできたのでお乱は命拾いをした。

 信長は意地悪い表情を顔に浮かべながら、


「真っ裸になってわしの膝の上で食べるのだ」

とお乱に命じた。


「ええっ! 恥ずかしいからいやでございます」


「神様の言うことを聞けないってのか?」

 信長は真っ赤になって逃げだそうとしたお乱を

羽交い締めにして着物をはぎ取ると、

無理やり膝の上に座らせた。


「今からわしはおまえを食べてやるからな」

 こうささやくと、信長はお乱の耳たぶを

甘がみした。お乱は箸で乳首をつままれながら、

絶望の表情を浮かべていた。障子のあなから

主従のいちゃつく様子をのぞき見していた

亀子は興奮しながら


「やだ! ご飯を口移しでたべさせてる!

 キャー! また首筋をなめてる!」

と騒いだが、弥助は不機嫌な調子で


「いちいち実況中継しなくていいよ」

と言って寝てしまった。

 さんざんいやらしいことをされて

ぐったりしたお乱の下腹部を信長は箸でつまんで


「あっ、こんなところにタケノコが生えている」

と言うやいなや、ぺろりと舌でなめたので

お乱は真っ赤になって悲鳴を上げた。


「おい、誰か好きなおなごがおるだろう。

 正直に教えないとここをかみ切って食べてしまうぞ!」

 これが単なる脅し文句でない証拠に

軽く歯をあてられたお乱は目に涙を浮かべながら、


「そんな……あんまりです!」

とつぶやいた。その直後、今まで静かに寝ていた

茶太郎が突然激しく泣き出したので信長は

ぎくりとして動きを止めた。そのすきにお乱は

素早く服を着ると、部屋の隅に隠れていたカエルを捕まえて


「あのひとがいるところに連れていけ!」

と命令した。


「待て! わしを裏切る気か!?」

と叫んで引き留めようとする主君には目もくれず、

お乱はカエルとともに煙のように姿を消してしまった。



 父、明智光秀が謀反を起こしたせいで

夫に離縁され、味土野みどのの地に幽閉されていた

玉はうつうつとした日々を送っていたが、

いきなり目の前に死んだはずのお乱が現れたので仰天した。


「あなた、生きていたの!? まさか幽霊じゃないでしょうね?」


 お乱は真っ赤になって玉の足元にひざまずくと

「いきなり入ってきてすみません。でもどうしても会いたくて。

 あの恐ろしいことが起きた日、上様はぼくら小姓とともに

 命からがら脱出して今はある場所に身を隠しておられます。

 あんな事件があった後でもあなたに対するぼくの気持ちは

 変わりません。あなたのように美しい方がお父上の罪

 を背負わされて閉じ込められるなんてあんまりだ。

 ぼくと一緒にここから逃げましょう」

と自分の気持ちを打ち明けた。


 玉は美しい顔に皮肉な微笑を浮かべて年下の美少年を

見下ろしながらこう言った。

「何もかももう遅すぎるわ。どうして結婚前に本心を

 打ち明けてくれなかったの。離縁されたとはいえ、

 私は子供たちの母なのよ。でもどうしてもというなら

 一つ条件があるわ」


「はい! 何でしょう?」

と真剣な眼差しで女神のような人妻を見つめながらお乱は

次に出てくる言葉を待っていたが、玉は低い声でこう言い放った。


「信長を殺してちょうだい!」

 愛する女性からの恐ろしい命令にお乱は

真っ蒼になってがたがたと体を震わせたのだった。

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