第7話捧げたものは

 薬を盛られて意識を失った小姓らとともに

奴隷商人の船底に鎖でつながれた信長は


「ちくしょう! まむしの子は蝮だ、

 ぶっ殺してやる! 帰蝶きちょう(濃姫の本名らしい)の奴、磔にしてやるからな!」

などと元妻である濃姫を呪っていた。彼女は

蝮のあだ名をもつ美濃の国の支配者、故斉藤利三の

娘である。声を限りに叫んでいると、さっきの赤毛が現れ


「黙れ! 夜中にギャーギャーわめくな! 

 奴隷の分際でうるさいぞ!」

と口汚く罵りながら靴を履いている足で信長の顔を踏みつけた。


「おれを誰だと思っている! 第六天の魔王であるおれが

 天下統一の使命を果たせるようにすぐに解放しろ!」

となおも叫び続ける信長を赤毛はさげすむような眼で

にらみつけるとこう言い放った。


「馬鹿め! もうあんたは二度と表舞台に出られないよ!

 これはもう決定済みの事なのだ。自分の立場を

 分からせるために少し痛めつけてやるか」

 残酷な奴隷商人から殴る蹴るの暴行をさんざん加えられたあげく

失神した信長の意識の奥にまたあの悪魔が姿を現した。


「一体どういうことだ!? なぜおれがこのような

 目に合わねばならない!」

と食って掛かった信長に悪魔は


「だから初めに言ったでしょ? 

 脱出以外、私は手助けしないって。

 あの状況から生還できただけでも

 奇跡的なのに贅沢言わないでいただきたいですね。

 そんなことよりあんたが恋人(男)におばかりか、お

 までも捧げてしまっていたとはねえ」

とからかうような調子で言いながらクスクス笑った。


「わしが何をしようと勝手ではないか! 無礼ものめ!

 薄汚い頭巾で顔を隠している野郎がえらそうなことを言うな!」


 この発言に腹を立てた悪魔は


「何をバカなことを! あまりに長く生きすぎたせいで

 顔なんてとっくの昔に朽ちてなくなってしまいましたよ」

と言うなり、頭をおおっていた布をめくり上げたが、

顔があるはずの場所には赤々とした

炎が燃えていた。その異様な姿を目にした信長は

長年戦場を駆け回り、残虐行為を

繰り返してきたにもかかわらず一瞬凍り付いた。

だがすぐに冷静になって、


「ところであの時お乱がおれを愛していないなどと言ったのは、

 お前があれの心を操ってむりやり言わせたからだろう?」

と尋ねた。すると悪魔はケラケラと笑って


「馬鹿馬鹿しい。どこからそういう発想が生まれてくるのか

 興味深いものがありますなあ」

と言いながら煙のように消えてしまったのだった。



 信長を気絶させた後で赤毛は首を傾げながら

死んだように眠り込んでいるお乱の体を

いじくりまわした。美しい少年は性転換目的で

怪しい薬をかけられたものの

乳房が巨大化したことをのぞいて体に

変化が起きなかった。


「乳だけはでかくなったけど男のままだなあ。

 どうして女体化薬が効かなかったんだろう?」

とブツブツつぶやいていると、栗毛の小男が現れて


「ああ、それはその子が童貞じゃないからさ」

と種明かしをした。赤毛は


「チェッ! ついてねえなあ。相手が誰だか

 わかったらとっちめてやりたいぜ。

 おれの嫁にしてもいいかと思ったのに」

と毒づいて大いに悔しがった。

 男たちの思惑も知らず、お乱はこんこんと眠り続け、

城仕えしていたころの夢を見ていた。


 お乱が小姓になって一年ほどたつと、主君に使いを頼まれる

事が多くなった。絶大な信頼を寄せられていた彼は

家臣に褒美として金品を届けるなど

重要な役目ばかり任されるようになった。

 その帰り道、お乱は自分と同年代と思われる少年が

ならず者に取り囲まれながらも長刀を振るって

勇敢に戦っている場面に偶然出くわした。周囲には

少年の従者と思しき侍が何人か倒れており、

彼らの乗ってきた馬は逃げ出してしまっていた。

妖艶な色香を放つ少年が薄汚い男たちから


「小僧、さっさと降参しておれたちの慰み者になれ!」

などと下卑た言葉をかけられているのを

見ていられなくなったお乱は迷わず


「あそこに行って助太刀してこよう」

と決めたのだった。


「余計なことに関わり合うのはおやめください」

という従者の忠告もきかずにお乱は

馬を急き立てて突入すると、ならず者を

目にもとまらぬ早業で全員切り倒した。


「ありがとう、このご恩は一生忘れません。

 私の名は明石玉之丞あかしたまのじょう、あなたは?」

という声が声変わり前の少年などではなく、

少女のものだということにお乱は気づかない

ふりをした。


「おれの名前は森お乱、織田家に仕える侍です」


「おや、私の父も織田家の禄を受ける身、

 あなた様と出会えて喜ばしい限りです」

 初めこそこんな堅苦しいやりとりを交わしたものの、

少女と馬に二人乗りして安全な場所まで送り届けるうちに

二人はすっかり意気投合してしまった。

 楽しいひと時はあっという間に終わりを告げ、

少女の家の者が迎えに来た。


「ひめ……じゃなかった、若君様! どちらに行って

 おられたのですか! 勝手に城から抜け出すのは

 おやめください!」 


「供の者と遠乗りに出かけたらつい羽目を外して

 しまってね。心配かけてすまなかった。

 こちらの麗しい殿方のおかげでこうして

 帰ってくることができたのだ」

と言いながら男装の麗人はお乱を命の恩人であると

紹介した。家来はお乱の姿を見て顔を赤らめながら

お礼を述べ、是非とも城にきてもてなしたいと勧めた。

だがお乱は城に戻らなければならないと言って断った。

 その後、城に帰る道すがら、並足で馬を進めながら

お乱は物思いにふけっていた。


「あのおなごはみるからに身分が高いようだ。

 偽名を名乗っていたようだが本当はお玉という

 のであろうか?」

 心は千々に乱れたまま主君の前に参上したお乱を

信長はいきなり押し倒して


「遅いぞ! わしが嫌いになって逃げたのかと思ったぞ!」

と耳元でささやいた。お乱は自分を抱いている腕が

あの娘のものだったらとぼんやりと空想しながら

されるがままになっていた。



 それから数か月の後、明智光秀あけちみつひでの三女、玉と

細川藤孝ほそかわふじたかの嫡男、忠興ただおきとの縁組が

信長によって命じられた。光秀が玉を連れて謁見えっけんに来た時、

主君の後ろに控えていたお乱は思わず声をあげそうになった。


「あっ、あの時の美しい方は明智殿の姫様だったのか……!

 向こうは気づいておられるのだろうか?」

 玉は慎ましやかに顔を伏せており、

その表情からは何の感情も読み取れなかった。

長い髪を肩に垂らして人形のように着飾った姿を

見ていたお乱は自分の記憶に自信がもてなくなった。


「あの時とはまるで別人のようだ。もしや人違いか?」

など考えていたお乱だったが、

信長と光秀が話に夢中になっているすきに

玉が口元に笑みを浮かべてこちらを見つめて

いることに気づいてはっとした。

 数日後、主君の命令で使いに出されたお乱が

馬に乗って街道をひた走っていると、

またしてもあの麗人に出くわした。


「あなたは近いうちに人の妻になる身、おれは上様の愛人もちもの

 しょせんは結ばれないさだめです。

 あの日のことは忘れてください」

と言い捨てて走り去ろうとしたお乱のあとを

変装した玉は馬を巧みに操って追いかけた。


「離れてください! おれと一緒にいる

 ところを見られたら大変だ!

 婚礼前に不名誉な噂が立ったりしたら

 あなたのためにもならない!」

と悲痛な声で哀願するお乱の唇に

一瞬柔らかいものがふれた。お乱が真っ赤になって

呆然としているうちに玉は風のように

走り去った。


「待って! おれと一緒に逃げましょう!」

という言葉がのどまででかかったが

それはついに声になることはなかった。

 その後、予定通り忠興と玉の婚礼が勝竜寺城で挙げられた。


「あのように美しい方ならさぞ大切にされるだろう。

 父を亡くし、小姓として新参者で二歳も年下の

 おれなどには釣り合わないさ」

 お乱は鏡に向かってそう言い聞かせ心の奥底に

思いを封じ込めたのだった。


 

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