5 輝きを忘れた星



 age.12903.04.01


 

 春の始まりの季節。それに見合うだけの晴れ渡る空と心地の良い風。

 そんなさわやかな天気の日に、私の心はいつも通りであった。



 私は飽いていた。

 私は膿んでいた。



 生まれた瞬間、私を取り上げた『マルテリア教』によって私は女神様にもっとも愛された存在であると言われ、親から引き離された。聞いた話だと、親は新たに別の子供を授かって満足そうに帰ったそうだ。もっとも、顔も知らない親に一欠けらの感慨もわかないが。

 大神殿の中で育った私は、この世でもっとも満たされた生活を暮らしていたと自信を持って言える。けれど、私の心は一度たりとも満たされたことがないと力を込めて断言する。

 


 何故だろうか?



 理由は分かっている。

 女神様にもっとも愛された存在という看板は、ある意味では間違いでない。人よりも優れた魔力や知性、高すぎる感受性が備わっており、外見ですら人を魅了するのが容易い姿。

 人を使い、民衆に使われるために生まれた存在だと言っても過言ではないだろう。

 そのとどめに、直接的に何が起こっているのかははっきりと知覚はできない。けれど、『世界樹:ユードルラシア』を通じて何となくわかってしまうのだ。この世界に住んでいる人の心が生み出す『闇』が。



 物理的に満たされ、勉学を行う環境も、余人による思惑が絡んだ誘導的な部分は多々あったとしても理想的だと言える。それでも、私は物心ついた時から人の裏側を感じとれるその能力をもっており、『世界樹:ユードルラシア』と薄い繋がりゆえに誰に騙されることも無かった。嘘を嘘、真も嘘であると理解出来ることは幸せであり不幸だ。

 私が誰も信じられなかったのは当然だろう。



 物で満たして見返りを求める。私にすり寄ってくる俗物どもは醜悪の一言に尽きた。



 だが、どれほど私が潰されかかっていたとしても、私一人では何もできない。

 象徴として祀り上げられてきた私は、外で生きる術を何一つと知らない。自分のことですら……私は一人では何も成せない。なまじ知性があるためにそれが正しく理解でき、私はただ与えられるものを受け取り、言われるままに他者に祝福を与えた。それが、本当は呪いだったとしても……。



 人の闇を疎い、その闇に操られながら時折戯れる日々が私の世界。

 いつまでも続く、醜く汚い檻の中でいつか死に絶える未来。



「……えっ?」



 それは、突如として眼の前を染め上げた鮮血の朱色が塗り替えていく。

 白い、純なる白く綺麗に見えるように丁寧に、異常かつ執拗なまでに塗りつぶされていた世界を朱色に染めた。



 普段通りに行われた『木令拝』では、春の始まりの季節に行われるときだけの行事がある。

 その年で10歳。もしくは、事情によって来られなかった15歳までの者を集めて、私によって祝福を施すという儀礼だ。例年通り、数名の者が前に出てきて……強すぎる光が生み出した影の象徴――私はそう感じた――黒き獣が私の前に立つ3人の司祭に喰らいついたを見た。



(殺された3人の司祭……名前は忘れたけれど、あれは多分即死だった)



 その集団の中に最初はいなかった……この世界では存在しないはずの黒い色の髪の少女が突如現れた。恐らくは擬態していたのだろうが、それだけでも唐突過ぎて反応できず、その一瞬がすべてを終わらせるには十分すぎる時間だったようだ。彼女がその右手に顕現させた身丈よりも長い、いびつな形をした朱い剣をただ一度振り、それで事態は終わったのだ。

 私を守っている、本当は私が逃げ出さないようにしている檻の魔術障壁も、その一振りで砕け散っていた。



 そして今、私は『木令拝』において、正面から堂々と紛れ込んでいた不届き者に腕に抱かれている。私を抱えている右手が焼け焦げているようだが、私を守っていた多重障壁を破壊した際の魔術的カウンターで負ったのは見えていた。



(ていうか、明らかに自分よりも背の低い、年下の子にお姫様抱っこされてる!? え、なに? なにが!? でも、なんでだろう……) 

 


 逃げ回る不届き者の腕の中。本来なら抵抗するべきなのに、一切抵抗しようという気が湧いてこない。むしろ、懐かしさに加えて安堵感すら覚えるのはどうしてだろうか? そっと、その人から振り落とされないようにしっかりとしがみつきながら相手をよく視る・・



 黒の髪に褐色の肌。外見から推測できる年齢は12~4歳くらいだろうか? それでも、どこか年齢に釣り合わない肉体の儚さと精神の強さ。そのうえでどこか脆く危ういよう……。



「人を勝手にのぞき込むな。不愉快だ」



「っ……」



 こちらをチラリとも見ず、ぶっきらぼうに告げられた。

 それは初めてだった。

 神殿の中であってすら、私が他人の感情を視えることに気が付いているのはごく少数だった。一目で完璧に見抜き、手段はわからないものの一瞬で対策までされた。

 これでもう、彼女の中を私は視ることができなくなった。



 ただ、その短い間でわかったこともある。

 この人は、人の闇が生み出した存在だ。私とは対極の……『光』の私が産み落とした『影』だ、と。最初に感じた、強すぎる光の影の象徴というイメージが間違いではないと確信した。


 

 ゆえに私は彼女にゆだねてみようと思う。

 どうせ、つまらない日々を送るよりは楽しくなりそうだから。少なくとも、刺激的な日々になるだろう。



 私――女神にもっとも愛された『光女』シュテル・ステーリアの『人』としての生はここから始まる。そんな予感がする。


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