4
エイネが笛を破壊したと同時に、町の人々の洗脳は完全に解けていた。
「あれ、俺たちは一体なにを?」
誰もが自分のしていたことに覚えがなく、また何故外を徘徊していたのかもわからない。
「パパ! ママ!」
戸惑う彼らの中に親を見つけると、子供たちは一目散に駆け寄った。
安堵から、子供たちの目から涙が溢れている。
「怖かった! 怖かったよぉ!」
「お前、急にどうした。ああもう、泣くな。一体なにがあったていうんだ」
それぞれの親子が再会し、事態は収束へと向かっていく。
地下でも、同様に再会が果たされていた。
「ソラ! ソラ!」
エイネは傷ついたソラを抱き起こす。
「よかった。無事みたい」
息はある。ただ意識を失っているだけのようだ。
胸をなで下ろし、エイネはソラを抱えて地上へと向かおうとする。
その際、男の方に目をやった。まだ意識を失ったままだ。
地上では洗脳が解けているはず。その中には町を警護する兵士もいるだろう。彼らに引き渡せば、すべて解決となり、また平穏な日々が戻ってくる。
エイネは念のため、男を拘束しようと考えた。
「ごめん、ちょっとここにいて」
ソラを壁に寄りかけるように寝かせる。
拘束する道具がないため、エイネはナイフを使って服の裾を太い紐のように破いた。
これを二つ作ると、男の手足に縛り付ける。
「よし、っと」
事を終え、再びソラの元に歩み寄った。
「エイネ……?」
すると意識を取り戻したソラの目が開いた。
エイネはすぐさまソラを起こし、その体を抱きしめた。
「まったく無茶して。でも……ふふ、かっこいいわよソラ」
「く、苦しいよエイネ」
まだ力が入らないのか、声が弱々しい。疲れも溜まっているのだろう。そう思い、エイネは再びソラを抱えて地上へと歩を進めた。
道中、エイネは光が漏れている部屋が気になり、扉を開けてみた。
「――っ!? ソラ、見ないで」
咄嗟に、自分の体でソラの視界を隠す。
エイネの眼前に広がったのは、惨たらしい光景だった。
部屋中に血が飛び散っていた。
四肢をもがれた少女の頭がある。椅子に縛られた血だらけの少年の膝に置かれている。
他にも地面には色々な人間の部位が散らばっていた。まるで与えられたおもちゃを散らかしたように、無造作に置かれている。
こんな光景、まだ幼いソラに見せられるはずもなかった。
「エイネ……どうしたの? なにがあるの?」
ソラは気になり、体の隙間からエイネの視線の先を見ようとする。が、エイネがすぐに扉を閉めたために見ることは出来なかった。
「ううん、なんでもないわ。気にしないで」
一歩遅ければソラもああなっていたのかもしれない。一抹の恐怖心が、エイネの中で渦巻く。
この時、エイネは気がついていなかった。椅子に縛られた少年にはまだ息があり、目をギラつかせていたことを。
地下から出ると、一人の少女が立っていた。トゥネリだ。
「ソラ! 大丈夫!?」
トゥネリは抱えられているソラを見て、すぐに駆け寄った。
「大丈夫よ。ちょっと疲れてぐったりしてるだけ」
「よかったぁ。よかったよぅ」
堪らず涙を溢すトゥネリ。
それを見てエイネは微笑んだ。
「あなたは、ソラのお友だち?」
「えっ?」
唐突な問いに戸惑うトゥネリ。どう答えていいものかと悩み、答えた。
「あの、えっと……その……友だちになれたらいいなって」
「そっか、うん。じゃあ、これからソラのことよろしくね」
トゥネリは小首を傾げる。どこか含みがあるような、そんな気がしたから。
ふと、トゥネリは地下の方に顔を向けた。
「あの、パパは……?」
「ん? パパ?」
初めはトゥネリの問いがわからなかった。
その視線の先と、意味に気がつくと、エイネは笑った。
「大丈夫。下でちょっと寝てもらってるわ」
トゥネリはその答えに安心した様子を見せた。
(そう、この子はあの男の……)
エイネはトゥネリの顔を見た。頰伝いに、涙の跡がくっきりと残っている。
内心、怒りがこみ上げていた。自分の子供がいながら、あんな所業に走った男に対して。
だがそれを表には出さなかった。目の前の少女に良くないと考え、隠した。
「さ、行きましょ?」
エイネはソラを片手で抱くと、空いた手を少女に伸ばした。その顔は笑っている。
「あ、えっと……はい」
差し出された手に、トゥネリは少し躊躇う。顔と手を何度か見る。そして同じように笑って手を握った。
外に出たと同時に、警護の兵と思われる男二人が駆け寄ってきた。
手には槍が握られていた。切っ先には微かな血の跡が見える。
「君たち! 大丈夫かね!」
「子供たちから話しは聞いたよ。ここの主人が人攫いを行ったと」
どうやら彼らの洗脳も、完全に解けているようであった。
「その男なら、向こうの地下室に――」
エイネは安心すると、男の居場所を教えるため地下室の方に目をやった。
目を見開いた。何かがいる、そんな気配を感じる。
エイネは咄嗟に抱えていたソラを放り投げる。次に手を握っていたトゥネリと、警護兵の二人を突き飛ばした。
振り向いた直後、強い衝撃がエイネを襲った。
「がっ、はっ……!?」
何に襲われたのか認識する間もなく、エイネの体が宙を舞う。
口から大量の血を巻き散らして、そのまま地面に叩きつけられた。
「ひ、ひぃ! な、なんだこいつ!」
兵士が悲鳴を上げたのを聞き、エイネは地面に伏したまま顔を動かした。
視界の中に、得体の知れない何かがいた。
顔は人の女性のものだ。髪が幾つも触手のように蠢いている点を除けば。その先には巨大な蛇の頭や、獅子の頭や、狼の頭など、肉食動物の頭がついている。
上半身も人間のものだが、皮膚が血のように赤く染まり、紫色の血管が浮き出ている。
下半身にはイカやタコのような触手が、背には六本のか細い人間の手が生えていた。
「なによ、あれ」
口に残った血を吐き捨て、立ち上がる。
痛みから骨の何本かが折れているのを把握しながら、エイネは正体不明の何かを睨む。
「ひ、ひいぃ……」
座り込んだ兵士の片方は完全に怯えていた。
見たこともない化け物に遭遇し、気が動転している様子だ。槍から手を離し、戦意が消失している。
「くそ! 君たちはすぐに逃げるんだ!」
もう一方の兵士は、槍を手に果敢に立ち向かった。
しかし、槍が突き刺さる一歩手前で、数ある触手により阻まれてしまう。
そして逃がさぬよう、背の腕を伸ばし、兵士の体を力強く掴んだ。
「ぐぎっ……や、やめろ……!」
掴む力があまりに強く、バキバキと骨の折れる音が鳴った。
化け物は「クケケケケケ」と嘲笑うかのような声を出す。そして髪の先についた頭で捕食を始めた。
「ぎゃあああああああっ!!」
兵士の悲鳴が町中に響き渡る。
それを聞いた住人たちも、化け物の存在に気がついた。
見るも無惨な光景が、彼らの目に触れた。
四肢を、髪先のそれぞれの頭が食い千切る。男の頭部を、女性の頭部が鋭い歯で噛み砕く。
数多の口から大量の鮮血が、滝のように流れ落ちた。
「ば、化け物だ! な、なんなんだあれは!?」
「に、逃げろ! 逃げろ-!!」
町が阿鼻驚嘆に包まれた。
各々悲鳴を上げて、化け物から遠ざかっていく。
それを気にすることなく、化け物は捕食を文字通り楽しんでいた。
切り離した首から流れる血を、女性の顔が口を開けて飲んでいく。そして大きな口を開け、鋭い歯で残った体を骨ごと咀嚼した。
「あ、ああ……」
仲間を目の前で殺され意気消沈している兵士も、軽々と持ち上げられ同様に捕食されていく。彼はもう抵抗する意思も、悲鳴をあげる気力も失っていた。
「なに? なんで?」
目の前で起こった出来事に、ソラは驚きと恐怖を隠せずにいた。瞳孔が大きく開いている。呼吸もままならない。
思い出す。あの地下室の最奥で、何かを見た気がしたのを。その正体がこれだったのだ。
一体あの男は、トゥネリの父親は何をしていたのだ。そんな疑問が纏わり付く。
「うえっ……げぇ……っ!?」
遂に耐えられず、ソラはその場で吐き出した。
一方トゥネリは青ざめた表情で、声を発せずにただ座り込んでいた。原因は恐怖ではなかった。異形ながらも微かに面影のある女性の顔に見覚えがあったのだ。いや、見覚えがないはずがなかった。
「ママ?」
震える唇でようやく出せた言葉が、その正体を物語っていた。
「ママ? ママ! なんで、どうして、そんな……!?」
そう、女性の顔はまさしくトゥネリの母親のものだった。病に倒れ、死んだはずの。
「くそ……そういうことか」
エイネは思わず毒づく。あの男の目的がようやくわかったと。
あの男は餌を収穫しようとしていたのだ。目の前の化け物、人間が生み出す魔法生物――〝魔物〟の餌を。
魔物もまた、使い魔同様ある術式を組むことによって生み出すことができる。
使い魔とは違い、魔物は魔力のパスを繋ぐことを必要としない。
肉体を魔力で生成するのではなく、実体を持った何かでその肉体を補う。そのためには餌となる何かが必要だった。
また使い魔と違い、彼らには理性がない。ある程度の知性はあれど、本能のままにただ暴れ回るだけだと言われている。それが故に、魔物を生み出すことは世界共通で禁止されているのだ。
だがあの男は事もあろうか、死んだ妻を魔物にすることで蘇らせようとした。勿論、それが成功したのは目の前の存在から証明されている。
そして当然、魔物が人間では制御できないことを知っていたのだ。だから人体を用いて作る魔装具を生みだし、それを制御基盤とすることでこの魔物のコントロールを得ていた。
そして魔物の餌として選んだのが、子供の肉体――特に魔力を生成するための機関だった。子供の魔力は少量であれど、大人よりも濃度が高いと言われている。それを餌として与え続けることで、永遠にも近い命を与えようとしたのだ。
エイネは苦虫を噛むような表情で、思い出す。
魔物を制御していた笛は今しがた、彼女の手によって破壊された。もうあれを制御する術は残されていない。
(こうなったらもう、手段を選んでられないわ)
エイネは太腿に付けたナイフに手を掛ける。
「近づいちゃ駄目!」
エイネは思わず叫んだ。
トゥネリがすがるように、魔物に近づいていたのだ。
「ママ? ママなの? ねえママ、わたしだよ? トゥネリだよ?」
トゥネリは必死に呼びかける。
食事を終えた魔物がトゥネリの方に顔を向けた。
(まずい、このままじゃあの子が!)
ナイフを抜き、魔物に突っ込もうとする。
が次の瞬間エイネは思わず面食らい、その場に立ち尽くしてしまった。
「ママ?」
トゥネリの顔に、笑顔が生まれる。
まさかこの魔物には理性があるのか。そんなエイネの考えは、次の言葉で打ち砕かれた。
「オマエ……ウマソウダナ」
言葉を発して、魔物はトゥネリの頭を掴んで掲げた。
そして女性の口が、裂けるように大きく開く。その大きさは子供一人を丸呑みに出来るほどだ。
「やだ、やめて……わたしだよママ! やめてよ!」
何をしようとしているのか理解して、トゥネリはせがむように泣き叫んだ。
鋭い歯が、トゥネリに近づいていく。
「やだ、やだぁ!」
恐怖と悲しみから涙が溢れる。
しかし魔物は躊躇することなく、口に入れようとしていた。丸呑みにしようとしていた。自分の子供であるはずの彼女を。
「くっ! やめなさ――」
魔物の行動に気を取られたエイネは、遅れた初動を取り戻そうと地を強く蹴ろうとした。
が、何かが足に纏わり付いた。あの魔物を触手だ。
魔物の視線がエイネに向けられる。その瞳は――笑っていた。
「しまっ――!?」
触手によりエイネの体は軽々と持ち上げられ、そのまま背後にあった家屋へと投げ飛ばされた。
「ぐっ……くそ……っ!」
パラパラと木片が落ちる。
すぐに身を起こし、エイネは見た。トゥネリの足がもう、魔物の口の中に入っている。
(ダメ! ここからじゃ間に合わない!)
今あの少女を助けられる者はもういない。そうエイネが思ったとき、唯一動いた者がいた。
「トゥネリを……離せ……」
ソラだ。ソラが立ち上がり、腕を前に突き出していたのだ。先程まで吐いていたためか、呼吸は整っていない。
「ダメよ、ソラ! 逃げて!」
エイネは叫んだ。しかしその声が今のソラに届くことはない。
ソラは怒りに震えていた。
あの男は、娘であるトゥネリをも餌にしようとした。姿が変わってしまった母親も、理性を失っているとはいえ自分の娘を躊躇いもなく捕食しようとしている。
本当の父親とも母親とも過ごしたことのないソラにとって、それは許しがたい現実だった。
「トゥネリを……離せえええええ!!」
ソラの手から、炎の球が放たれた。魔法だ。
炎の魔法は魔物に直撃すると、爆発を生んだ。
「グギャアアアアアアァーッ!?」
爆発の衝撃で魔物は拘束を解き、トゥネリの体が宙高く舞う。
しかし、トゥネリの体が地面に叩きつけられることはなかった。落ちる手前でソラが彼女を受け止めていた。
一連の場面を見て、エイネは場違いだと分かっていても思わずにはいられなかった。かっこいい――と。
「ソラ……わたし……わたしはどうしたら……!」
泣きじゃくるトゥネリに対し、ソラは何も言うことができない。彼女の苦しみと悲しみを慰めるだけの言葉が、思い浮かばない。
「なんで……なんでトゥネリを泣かせるの?」
ただこれだけは、はっきりと言えた。
「なんでそうやって平気で、自分の子供を悲しませることができるんだ!」
この叫びが相手に届くはずがないとわかっていても、相手が反省を示せる存在ではないとわかっていても、叫ばずにはいられなかった。
本当の親ではない誰かに育てられたからこそ、本当の親ではない誰かに愛されているからこそ、その叫びはソラにとって大事なことだった。
「グギャアアアアアアアア!!」
魔物は気にも留めず、食事の邪魔をされたことに怒りを露わにした。
すべての触手を伸ばしてソラに襲いかかる。
「悪いけど、その意見には同感しかないのよね」
しかし届くことは無かった。
一閃。一本のナイフの、たった一閃で、エイネはすべての触手を薙ぎ払った。
「ソラ、その子を連れて逃げなさい」
「エイネ! でも!」
「こういう時くらい言うこと聞きなさいよバカ。その子のこと、守りたいと思ったんでしょ?」
言われ、ソラはトゥネリの方を見る。
泣いている。顔を手で覆い、限界を超えた悲しみと恐怖で声も出せず静かに泣いている。
どれだけ彼女の心は傷ついているのであろう。どれだけの悲痛な思いが、彼女の心の中を巡り回っているのであろう。
ソラにはわからない。それでも彼女を、放っておけるはずがなかった。
「ごめん。すぐ戻るから!」
ソラはトゥネリを抱えて走り出した。
その背中を見送り、エイネは呟く。
「だから戻ってくるなっての」
エイネは少し笑っていた。
「さてと」
魔物の方に向き直る。見たところ再生能力があるのか、エイネが切り落とした傷口は新たな触手に生え替わり、元に戻っていた。
「トゥネリちゃん、ていうのね……あの子」
エイネはナイフを構える。
呼吸を整えながら、目の前の魔物を見据える。
「悪いけどこれはもう、あなたの知るお母さんじゃないわ」
元は娘を愛する母親だったものを見据える。母親の代わりに一人の少年を育ててきた少女が、鋭い眼光を向けた。
「だから私が……こいつを止めてみせる」
かつて母親だった魔物と、図らずも母親となった使い魔の戦いが――始まった。
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