ある大学生・1

 大学っていうのは色々な学部の人が集まってて、高校までとは比べ物にならないくらいいろんな人がいる。


 加えてうちの大学は、大抵の人なら名前を聞いたことのあるくらい有名だから、最低限、あの厳しい倍率の中合格をもぎ取れる程度の頭は持ってる人ばかり。

 だからちょっとくらい勉強が出来ても、それだけで「素敵!」なんて思われない。小学生じゃあるまいしね。ついでに言うと、顔が良いってだけでももてない。いくら顔が良くても、講義にまともに出ないで遊んでばっかりで、追試ばっかり受けてるようじゃあダメダメだ。

 もちろんそういうタイプが好きって人もいるだろうし、たまの遊び相手としては最高って言う人もいるだろうけど、私としては付き合う相手ってなるとそれはちょっとって思うのよね。


 じゃあどんな人がもてるのかって言ったら、まあ、勉強が出来るだけじゃなくて頭が良くて将来性が感じられて、性格が良くてついでに顔もよければ文句なし、じゃない?


 最終的には自分の価値観と合うかどうかとかも加わるんだろうけど、とりあえずは人目を引く顔で将来性が見込めるレベルで頭も良い上に性格もいいってなればもてるわよね。女子は皆狩人なのですよ。


 とはいえ、学生数が多い大学では、どっかの漫画なんかであるようなファンクラブなんてものは存在しない。そもそも集団で集まってきゃーきゃー騒ぐような子はいない。モテる人だって、講義の合間とか食堂できゃいきゃいといろんな女の子に話しかけられてる程度だ。学外でどうなのかは知らないけど。



 そんなふうに人種の坩堝ならぬ人材の坩堝なうちの大学でもてているうちの一人が、浅野達也くんだ。



 サークルとかには入ってないんだけど、その知的に整った顔立ちと穏やかな物腰、そして実際頭が良いって要素が揃っているから、まずは同じ学部の人たちにもてた。それから同じ学年の人たちにも注目されるようになって、最近じゃ後輩から噂を聞いたらしい二年以上の人たちも浅野くんのことを知っているくらい。


 ちなみに私は同じ学部だから、入学当初からなんてかっこいい人がいるんだろうって思ってた。とても同学年には見えないんだよね。でも現役合格らしいから同い年。この差は何なんだろう。


 そんな浅野くんは人当たりはいいけど、誰とも特別親しいって感じではない。誰とでもそつなく接して、でも壁の内側には入りこませない、みたいな。あんまり交友関係が知られてないんだよね。


 サークルに入ってないから、講義の時以外は大学にいないし、近所でも見かけないし。友達がいないってわけではないんだけど、やっぱり浅い付き合いに見える。休日に会ったりもしてないみたいだし。


 そしてうちの大学って隣の県との県境あたりに建ってるから、隣県出身の浅野くんは実家から通えない距離ではない。それでもなぜか一人暮らしをしてる。しかも大学近くに住んでるならまだしも、少し距離のある県境ギリギリに住んでるんだって。そしてバイトは隣県。何か事情がありそうだけど、そこまではまだ教えてもらえていない。


 と、まあなんで私が浅野くんについて割と知っているのかと言えば、浅野くん本人から聞いたからだ。

 あんまり女子と親しくしてない浅野くんだけど、なぜか私とはそれなりに会話をしてくれるんだ。昼も時間が合えば、食堂に誘ったら一緒に行ってくれるし。正直、私より可愛い子なんてそこらじゅうにいるのに、その子たちより私を優先してくれてるって感じる。


 自惚れかな?でも、友人も多分脈ありだって言ってくれてるし、もしかしたらそういうことなのかも?なんて、期待しつつ毎日を楽しく過ごしているのです。




 何やら最近浅野くんの様子が変わったような気がする。


 何処がって言われたらちょっと返事に困ってしまうくらい、何となく、な変化なんだけど。


 例えば講義に行く前、廊下で見かけて声をかけたら、前は笑ってすぐに返事をしてくれたのに、最近は一瞬間があくような気がしたり。

 例えば食堂で頼んだ料理が出てくるのを待っている時、前は話を振ればどんなにしょうも無いことでも答えてくれてたのに、最近は真剣な顔をしているせいで話しかけ辛かったり。


 何か悩みごと?って聞いても別に何でもないよと不思議そうに首を傾げられてしまうから、誤魔化されてるのかホントに悩みがないのかが分からない。心配。でも悩みがないのにしつこく何でも相談してねなんて言うのも鬱陶しがられそう。


「それって、もうすぐクリスマスだからじゃない?」


 しばらく一人で考えた末、どうしたんだろう、と友人に相談するとそんな答えが返ってきた。


 そう言えばそろそろクリスマスだ。街もずいぶん賑やかに飾り付けされていて、特に予定のない私もなんだかうきうきしてくるような雰囲気。―――ええ、特に予定はありませんが何か?


 少しばかり憮然とした私だったけど、友人はそんな私の表情を気にした風も無く、だから、と指揮者のように指を振った。


「告白の準備してるとか」


「えええ!?」


 誰に!?と思わず叫んだ私に友人は呆れたように溜息を吐いて、そりゃあんたでしょうよと言って来た。友人曰く、私以外に浅野くんが親しくしている子なんて見たことないし、誰がどう見ても私は特別扱いされているんだとか。そんなこと言われると、う、自惚れてしまいそうになるんだけど…!


「クリスマス前に告白して、当日はデートってとこ?ベタだけどいいわよね~」


 そう言ってにやにや笑う友人を、顔を真っ赤にしながら睨んでみる。迫力がないのは百も承知です。ただちょっと、照れを誤魔化したいだけで。


 いやいやいや、冷静になれ、私。まだ告白されるって決まったわけじゃないし。これはただの友人の予想なだけで、浅野くん本人から聞いたわけじゃないんだから、期待しちゃダメなんだってば。だいたい、最近の浅野くんは上の空であんまり私の相手してくれてないし、もしかしたら誰も知らないだけで好きな人がいるのかもしれないし!


 ぶつぶつと自分に言い聞かせるように呟く私を、友人は楽しげに眺めているだけでそれ以上煽ったりはしてこなかったけど、それでも前言撤回することも無く、告白するなら今週中だろうし、楽しみだね~なんて……いや、これ煽ってるわ。やめて!




 なあんて。友人の手前否定してみたけど、やっぱり私自身ちょっと期待しちゃうわけで。


 クリスマス前の一週間、そわそわと落ち着きのない日々を過ごしてしまいましたとも。

 どんなふうに告白されるんだろ、なんて答えたらいいかな、いや、断るつもりはないけど!なんて期待いっぱいでしたとも。

 声をかけられやすいように講義中わざと一人でいてみたり、それでいて自分から声を掛けるのがなんだか恥ずかしくなって食堂に誘う時変にどもったりしましたとも。まともに浅野くんの顔が見れなかったですとも。

 先走ってデートに着ていく服まで考えちゃったくらい浮かれていましたとも!


 だけど結局、クリスマス直前の休日になってもお誘いはなく。


 やっぱり自意識過剰だったんだよ、そんなふうには思われてないんだよ、なんて友人相手に愚痴っちゃったけど、クリスマス当日まで分かんないよ、なんて苦し紛れの慰めを受けて、そうかなあなんて微かな期待を捨てられず。


 仕上げなきゃならないレポートがあるからと大学に向かった友人を追いかける気にもならず、何となくぶらぶらしたくなって、何となく以前浅野くんがよく行くと言っていた隣県のショッピングモールまで足を伸ばしてしまったのが運の尽き。

 いや、この言い方は間違ってるかな。えーっと、……まあとにかく、そこで決定的な場面を目にしてしまったわけ。


 クリスマスカラーに染まった街を、見たことないくらい楽しそうな笑顔で歩く浅野くんと、それに応えるように控えめながらも嬉しそうに顔を綻ばせる綺麗な女の子。誰がどう見ても、お似合いのカップルです。


 道の真ん中だというのに立ち止まった私を、迷惑そうにたくさんの人たちが避けていくけど、そんなことにも気付かないくらい私はその二人に目が釘付けになっていた。


 浅野くんはいつも通りかっこいい。シンプルながらもセンスを感じさせる装いだ。そしてその隣を歩く女の子も、まるで最初から二人で歩く時のために誂えたかのような服で身を包んでいる。いや、まるで、じゃないのかな。きっと、浅野くんと出掛ける時のために選んだ服なんだろう。私が勝手に想像していたデート時の服なんかとは、全然違う。


 ………やっぱり、私は特別なんかじゃなかったんだ。どういう理由があったのかは知らないけど、浅野くんは別に私のことを特別だなんて見てなかった。だって、私はあんなふうに愛情に溢れた目を向けられたことなんてない。さりげなくすれ違う人とぶつからないように庇ってもらったことなんてない。―――手を繋いだことだって、ない。


 当然のようにそれらを受け止めている女の子に、醜いと分かっていても嫉妬してしまう。


 ああ、だって。だって。だって、大学では浅野くんと一番近しいのは私で。

 大学では浅野くんのことを一番知っているのは私で。

 大学では浅野くんに一番気にかけてもらっているのは、私なのに。

 なのに、どうして。


 なんて、汚い感情。大学の外での浅野くんについて、知らないと言ったのは私自身。大学以外で関わりを持てていなかった時点で、対象外だって気付かなかった、愚かな私。そのくせ彼の気持ちが自分を向いてるなんて自惚れて。自意識過剰にもほどがある。


 ふっと自嘲が口の端に浮かんだ。最初から相手にされていなかったにもかかわらず、一人で舞い上がって、浮かれて、馬鹿みたい。


 ―――もう、帰ろう。


 そう思って、踵を返すのが、せめてあと一秒早かったなら。

 そうしたら、きっと、



 未練がましく見つめていた私の視線に気付いたのか、もしくは単にこの人出の多い中立ち止まっている迷惑な人間にたまたま目を向けただけかもしれないけど、浅野くんが私を見た。ばっちりと目があってしまった。


 私はそれだけで一層固まって動けなくなってしまったと言うのに、浅野くんは、いま目が合ったことすら私の願望が見せた幻なんじゃないかってくらいあっさりと視線を隣の彼女に戻した。

 何の未練も感じさせない、至って自然な動作。ああもう本当に、私は何とも思われていないんだ。じわりと胸に苦いものが広がっていく。ああもう本当に。


 なんて滑稽な。


 気づけば私は二人の目の前に立っていた。驚いたように目を瞬いて、次いで不思議そうに首を傾げながら浅野くんを見上げる女の子の眼差しは「知り合い?」と尋ねるもの。


 目の前にやってきた私に一瞬だけ顔を顰めた浅野くんはすぐにその表情を消し去って、微笑みながら「大学の同期なんだ」と答えている。大学の同期。ええ確かにその通りだよ。浅野くんにとっては、私なんてただの同期だよね。


 強張った表情筋を動かして笑顔を浮かべ、自己紹介をする。それを受けて、女の子もぺこりと頭を下げて名乗ってくれた。


「御堂和音といいます。達也さんがいつもお世話になっています」


「こら」


 何を言っているんだ、と呆れ顔をしながら頭を小突く仕草も大学では見られないもの。そう言えば、手を握るどころかどこか体の一部分にだって触れたことがなかったな、なんて今更気がついた。握手だって、したことない。ああやっぱり、私は最初からずっと壁の外側にいたんだ。一歩も近寄れてなんていなかった。


 胸が苦しい。それを堪えて笑顔を保つのは、もっと苦しい。だけどどうしてだろう。私は今この場から動きたくないの。頭の冷静な部分は逃げ出したいって叫んでるのにね。


「あはは、可愛いね。ねえ、もしかして浅野くんの彼女さんなの?」


 その問いかけに、御堂さんは首を傾げて、でも御堂さんが何か言う前に浅野くんが大きく頷いた。


「ああ。面倒だから大学では誰にも言ってなかったんだけど、この通り、彼女いるんだ」


 肩を抱き寄せられて困った顔をしている御堂さんは、浅野くんが隠していることを聞かされていなかったのかもしれない。困惑した様子で私と浅野くんとを見比べている。しかしそんな彼女に対するフォローは後回しにして、この際だから君から適当に広めてくれると助かるよ、なんて。


 酷い人だ。


 きっと私の気持ちには気付いていたんだろう。いや、きっとじゃない。絶対だ。気づいていて、放置したんだ。どういうつもりだったのかは知らない。でもきっと、私は利用されただけだったんだ。大学内に特別扱いしている人がいると思わせておくことで、外に他に想う人がいると悟らせないために。


 ああ、もう。


 聞きわけが良い女になんてなりたくない。

 分かったよなんて笑いたくない。


 どうしてって詰め寄りたい。

 期待させないでよって詰りたい。

 どうして隣にいるのが私じゃないのって、醜い嫉妬をぶつけたい。


 だけどきっと、そんなことをしても意味はない。そんなことをしても彼の気持ちが私を向くことはないし、あとで自己嫌悪する羽目になるだけだもの。それならここは感情を抑えて頷くべきだ。分かっているけど、実際行動に移すのは難しかった。


 それでも私は頷いた。任せて、なんて笑って見せた。





 二人を見かけて、すぐに踵を返していたなら。

 せめてあと一秒でも早かったなら。そうしたら、きっと、


「よろしくね。全く見当違いの誤解されたままって、けっこう不愉快なんだよね」


 こんなに残酷な言葉を告げられることも無かっただろうに。

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