第44話 批評家の銅像が立てられたためしはない

「小僧、お前が金持ちになりたいと思うのなら必ず批評家が出てくるだろう。今日はそれに対する対処法を教える。と言っても簡単なことだがな」


 10月の中盤、ススムから進への講義が今日も始まる。




「批評家はお前に対して色んなことを言ってくるだろうが、それは全部無視しろ。

 口だけの批評家に絡まれた際は『偉そうにほざくならテメェでやって見せろボケ!』これで大抵カタが付くし『お前は俺の指導教官か?』でもいいぞ」

「つまりは批評家なんてバッサリ斬り捨てろ、と?」


 進のセリフにススムはうむ。と大きく満足げにうなづく。


「そうだ。口だけの批評家は責任を取らない。自分の発言に責任を持たず、さも偉そうに批評することしか能がないクズだ。奴らは自分の言うとおりに行動した者のケツを拭くことはしない。無責任の極みだ。

 批評家というのは偉そうなのは口だけで知識も知恵も無い。そもそも知識も知恵も教養も無いから批評家なんだろうがな。

 自分の発言に対してはおろか彼らに付き従う者への責任も持たない、いるだけで害悪な存在だ。

 フィンランドの作曲家、ジャン・シベリウスの言葉を借りるなら「批評家の銅像が立てられたためしはない」というのがあるが、まさにその通りだ」


 ススムは批評家が大嫌いなのか、終始不機嫌な表情だ。


「仮に「命中率95%のスナイパー」がいたとしよう。命中率95%だとしても外す確率は5%あり、平均するとおよそ20回に1回は的を外す。

 批評家はそいつに対して的に命中したとしても「今は当たったけど今度は外す」「次こそ外す」と言い続ける。

 そして「20回に1回」の的を外したのを見て「そら見ろ! 俺の言った通り外したじゃないか!」等とふてぶてしい位尊大な態度で批評を叩きつけてくるものだ」


 ススムはとてつもなく気持ち悪い生き物を見ているような、憎悪すら感じ取れる目でそう語る。




「実際、東日本大震災が起きた時には『もう福島には2度と人が住めない』なんていう書き込みまでした。しかもそれに対して「間違ったことを書いて申し訳ありませんでした」と謝罪する批評家などオレは見たことも聞いたことも無い。

「産まれるときに最初に口が出てきた」と言わんばかりの口だけの連中で、無責任極まる最低のクズだ。こんな奴がオレと同じ日本人であることが恥だよ恥」


「自分と同じ日本人としてカウントしたくない」ススムはそこまで言い切って見せた。


「批評家になるためには必要な資格も技能も無ければ特定の会社や団体に就職する必要も無い。ただ単に「私は批評家です」と名乗ればだれでも今すぐになれるものだ。

 探偵や記者と一緒で、極論すれば死刑囚だって獄中にいるままなれる。死刑囚批評家とかいってな。批評家なんてそんなものだ。

 臆病で何の力も無いから自分一人では何もできず、そのくせ自分の事を人並み以上に偉いと思いたい。端的に言えば、人間のクズだ」


 ススムは批評家をクズだと言い切る。余程嫌いらしい。


「あるいは批評家というのは調子に乗ってる奴の出鼻を安全で反撃されない場所から折りたいし、偉そうにいっちょ前の事を言ってる奴にかみつきたいし叩きたいが反撃はされたくない。

 という身も蓋も無い言葉で言えば「努力はしたくないが褒められたい」という

 真のゴミクズのカスで「いてもいなくても地球は回る」程度のホコリよりも軽い存在だ。批評家なんて「何の価値も無いゴミクズのカスで、他人にマウンティングしたいだけのゴリラだ」と言ってしまったら、

 世界中のゴリラ相手に土下座行脚しなくてはいけないくらいに失礼な事だ。批評家の価値なんてそんなもんだ」


 ゴリラに土下座行脚しなくてはならない。とさえ言ってのけた。まるで批評家に親を殺されたかのような態度だ。




「ススムさんは批評家がそんなにも嫌いなんですね。昔、散々言われたからですか?」

「ふーむ、小僧。お前ずいぶんとまぁ鋭い事を言うようになったじゃないか。オレは80年ほど生きたがその中の50年ほどは批評家から散々言われていたな。

 そんな事業失敗するだの、株なんて絶対赤字になるだの、そらオレの言った通りになったじゃないか、だのと散々だったな。

 でも歩みを止めなかったおかげで上手くいったら、オレは昔からお前はうまくいくと思っていたよ。等と手のひら返しをしてきたよ。

 できればその場で2、3発ぶっとばしたかったが縁を切る程度で勘弁してやったさ。オレは寛大かんだいなんでな」

「か、寛大……ですか……」


 進の頭の中では今よりはだいぶ若いススムが批評家をぶった切るシーンが見えたそうだ。




「とにかく、批評家の言う事に耳を傾けても時間の無駄以外の何物でもない。

 そんなことを聞く暇があったら本の1冊でも、いや1ページでも読め。その方がはるかに生産的だ。

 批評家というのは自分が暴言を吐いている自覚は一切ない。「誰に対しても遠慮せずにズバズバ言ってるだけだ」程度にしか思っていないだろう。

 暴言なんてスルーすればいいのに。と言っておきながら、いざ自分がスルーされるのが許せずに暴言を吐き続けるものさ。

 批評家は自分で自分を理性でコントロールできずに感情を振り回しているだけの愚か者だ。そんな奴なんて相手にするな。今日はそれさえ覚えてくれたらいい」


 今日の授業はそれで終わった。




【次回予告】


株においては昔から「休むも相場」という言葉がある。


「何もしない」という判断は、時には「何かをする」事よりも重要なのだという話。


第45話 「何もしないという事」

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