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「リック、また箒が壊れちゃったんだ。お願い」

そう言って、ひとつ下の弟分は申し訳なさそうに穂の乱れた箒を差し出してきた。

「ハリー、箒にもたれて休憩するなって言ったろ」

「違うよう、昨日はおっきな馬糞が落ちてたんだ。包んで捨てた後も、何度掃いても匂いが酷くって……」

「どうせすぐ他の匂いで分からなくなるさ。それより仕事道具を大事にしろよ……ほら貸して」

ハリーが箒を壊す度に直すのはヘンドリクの役目だ。どれだけ手解きしたってこの弟分はどうも要領を得ないので、仕方なくいつまでも引き受けてやっている。

ハリーは鈍感だが素直なので、言いつけ通り箒から抜けたエニシダの枝を拾って一緒に持って来ていた。一度紐を解いて穂をばらし、エニシダの枝を1本ずつ整えながら束ねていく。

「今日は夏至祭だから、広場でたくさん人手がいるよね。仕事が貰えるかな」

「あの辺りはジル達が押さえてるからやめとけよ。それより西門の宿場通りが良い。祭の夜はいつも繁盛するから、その前に綺麗にしたがるはずだ」

ヘンドリクも今日の稼ぎばはそこでと決めていた。夏至祭の日は掃除夫仲間は皆、街の中心に気を取られて縄張りがおざなりになる。

同世代の内で特に気性の荒いジルとその取り巻き達は、大工たちに取り入って会場となる広場の仕事を回してもらっている。その間は彼ら本来の縄張りである西門一帯が手薄となる事を、ヘンドリクも仲間のひとりから教わった。

「リックは夏至祭に行く? ぼく、まだ行った事ないんだ」

7歳になったハリーは今年から働き始めたばかり。父親は出稼ぎの坑夫で家におらず、母親も工場で働いていたため、3歳下の幼い妹の面倒をみるべく家に籠りきりでいた。しかしその妹は昨年、流行り風邪で死んでしまった。

「行くよ。もしかしたら"春の魔猫"が捕まってるかもしれない」

「春の日に生きて逃げた黒猫のこと?」

ヘンドリクは頷く。司祭は、あの猫は強い魔力をもってして生き延びたのだと言っていた。必ず捕らえて葬らなければ、いずれ街に災いをもたらすかもしれない。けれど夏至祭で猫焼きと処すれば、神がその魔力を大いなる幸福の源と代えてくれるだろう、と。

ヘンドリクも時々、掃除のついでに春の魔猫が潜んでいないかと探している。

「じゃあ一緒に行こうよ。猫焼きの時はみんな大騒ぎするって母さんが言うから、ひとりじゃちょっと心細いんだ。でも、灰は欲しいし……」

そもそも夏至祭に焼いた猫の灰を持っていると、幸せを呼び寄せる言い伝えがある。人々はその灰と、悪魔の化身が焼かれる姿を目当てに集まる。

「よぉ、今年の灰は貴重かも知れないぜ」

頭から下りてきた声に顔を上げる。情報通のトムだ。いつの間にそこにいたのか、こちらもまた箒を手に立っていた。夏至祭の日は西門が穴場だと教えてくれた同業者だ。

「街の猫が随分と減っているらしい。まだ2匹しか捕まえられてないって話だ」

「春の魔猫は?」

「見つかったとは聞こえてこねぇなぁ」

去年も一昨年も、ヘンドリクは夏至祭に灰を拾いに行った。その前夜には必ずオトギリを枕の下に忍ばせて眠った。けれど幸せなど訪れてくれなかった。これが神様の最大限のご加護だって言うのなら、もうそんな奴に祈ったりなんかしない。

春の魔猫の灰なら望みを叶えてくれるかもしれないと思うのに、どうも手強いらしい。

「春の魔猫は昔ヘンドリクのおっかさんが会館に預けたって噂もあるぜ」

「やめろよ」じとりと睨めつけると、トムは口をへの字に曲げて肩を竦めてみせた。

ヘンドリクもその話は知っている。母親に確かめたこともあったが、複雑そうな顔ではぐらかされた。真実がどうであれ、あまりに噂が大きくなれば母親を魔女だと疑う人間が現れるかもしれない。

幼い頃に父親が行方不明となり、以降、母親は働き詰めで育ててくれた。本当に苦しい時にはヘンドリクも物乞いをして、6歳からは掃除夫として働き始めた。

それでも生活が楽になる程の稼ぎはなく、母は今も必死で働いている。無理が祟ってか最近は身体を壊しがちな上、心まで病みそうな状況でなんとか踏みとどまっているように見えた。

せめて、父親が生きて帰ってきてくれれば。5年前、幼いながらも見送った父の背中をぼんやりと覚えている。ただでさえ寂しそうだった母親が、事故の報せを受けて泣き崩れた姿も、鮮明に。

ヘンドリクがもっと大きくなり、母親を養えるだけの収入を手にできるとして、その時まで母親の身体はもってくれるだろうか。そこまでは良くても、父親がいないままでは母の心はいつまでも健やかでないのだろう。

父親が戻り、母親が心から笑える日々を再び手にするには、奇跡を求める他ないように思えた。

「ほら、ハリー。できたよ」

拠れの目立つ紐をぎっちりと締め上げて、ハリーに箒を返す。

「わぁ、ありがとう」

「ヘンドリクは器用だな。今度おれの箒も頼むよ」

「お前のはそろそろ穂が無くなるんじゃないのか。買い替えろよ」

「お陰様で繁盛してるからな。それじゃ、また」

ひらひらと手を上げて、トムは気ままに行ってしまう。ああやって飄々と歩き回り、地獄耳をそばだてているんだろう。

「おれ達も行こう。仕事が取られちまう」

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