第45話 イリス語と黒い石碑

  俺は飛王が好きだ。


 いつでも、どんな時も真っすぐで、明るくて、強くて。

 いつもみんなの中心になって、まとめて率いてくれる。


 そんな飛王の隣にいることは、双子の俺にとっては当たり前のことだった。

 飛王の隣にいられることが誇りだったし、自慢の兄だった。


 でも、それが一生続くことに、一片の息苦しさも感じなかったかと問われれば、直ぐに首を縦に振れない自分がいる。

 

 俺は本当は一人になりたかったのだろうか。

 いや、そんなことは思っていない。

 今も、飛王の元に帰りたいし、飛王をそばで支えたいと思っている。


 でも、今この彼方の地に居て、優しい人々に囲まれて、ほっとしている自分もいる。

 このまま使命なんて忘れてしまって、みんなと穏やかに暮らしていきたい……そんな誘惑に負けそうになる。

 俺はやっぱり情けない奴だな……


「おーい」


「飛翔!」

「あ! すまない。ハダル」


 笑顔を含んだ声で何度も呼びかけられて、ようやく飛翔は我に返った。


 今はイリス語の勉強中。ハダルはとても教え方が上手な先生で、飛翔はアッと言う間にイリス語を習得した。


 と言うよりも、あることに気づいたと言う方が正しい。


 発音と文法が、エストレア語に似ていたのである。

 

 聖杜せいととは遠く離れた海上の島、イリス島。

 そんなところでエストレア語が普通に使われているとは、どう言う事なのかと驚く。


 だが、全てがエストレア語と言うわけでは無い。

 あの花のようなエストレア文字は一切使われていない。

 使われている文字は、キリエラ文字。もともとはキリトの文字なので、今のキルディア文字と近い。だからハダルが、キルディア語とイリス語は似ていると言っていたのだと納得した。


 キリト語は、リフィアに教わっていたので、だいたいわかる。

 後は、エストレア語の音を、どのキリエラ文字に変換させれば良いかを突き止めれば、イリス語は完成する。


 それにしても、なぜ秘したはずのエストレア語が、こんなところで使われているのか?


 ドルトムントにイリス島の歴史を聞いてみたが、あまり多くの文献は無かった。


 考え方としては二通りだ。

 イリス島には、聖杜と同じ言葉を使う民が、古から住んでいたのかもしれない。

 でも、できればもう一つの考え方であって欲しい。

 千年前の災害の前に、聖杜の民がイリス島まで逃れていたと言う可能性。


 飛翔の頭にハダルの言葉が蘇る。

 イリス島は香りと医療の島……流花るかだ!


 流花がイリス島へ渡っていたかもしれない!


 想像は希望的観測に変わり、やがて確信に繋がった。


 イリス島へ行かなければ! なるべく早い時点で。


 

 そんなことを考えながら次の日も、指貫ディターレを仕上げるためにドルトムントの作業場へ行った。


 今日はドルトムントは、発掘の資金提供をしてくれている地方省ディーファンシァンの役員のところへ報告に行っている。この役人からの資金援助に漕ぎつけられたのも、ハダルの手腕のお陰だった。

 フィオナの言う通り、ハダル様様なのであった。



 作業場の真ん中には、ドルトムントが熱心に磨いていた石碑が鎮座している。


 懐かしいエストレア文字。


 飛翔は近づくと、指でなぞりながら文字を読む。


 この石碑は恐らく井戸の淵をかたどっていた石たち。

 『聖杜の民の誓』が彫りあげられている。

 聖杜の民の、思いの深さを感じて胸が熱くなった。



 ふと、黒く覆われた石碑が目に入った。

 白い大理石で作られた石碑しか知らなかった飛翔は、訝し気な顔で近づいた。


 泥汚れでもなく、砂の塊でもない。

 一面に、細かな粒子のような感じでへばり付いている黒い汚れ。

 苔? のような感じだな。


 ドルトムントがまだ作業中のその石碑にもエストレア文字が刻まれていた。


 あんな砂漠に埋もれていたのに、こんな色になっているなんて。

 聖杜の碑文は神殿にある物だけのはず。だから苔に覆われる可能性はほぼない。

 

 この石碑は一体どこにあったのだろうと思って眺めていた飛翔は、驚きの目になる。


 第三章……


 なんだ? これは?


 碑文は第二章までしかなかったはず


 第三章が存在したのか?

 一体どこに?


 心臓が早鐘のように鳴り響く。



 これは神が言っていた、失われた意味が書かれた物なのだろうか?


 苔むした部分をなぞりながら、必死で文字を追う。


 黒い石碑はそれなりの大きさを有していて、『第三章』全ての文字がちょうどすっぽり納まっていた。



第三章 

 宇宙の神は、やがて人々が成長し、宇宙の民であることよりも

 自分が神となることを望むようになると分かっていた

 宇宙の神の存在がいらなくなった時、扉もその役割を終える

 だから、扉を閉じる方法も授けた

 それは鍵を壊すための剣、星砕剣ロアル・エスパーダと呼ばれた




 扉を閉じる方法だと?


 扉の鍵とはなんだ?

 そんなものがどこにあるのだろう?


 そして何より衝撃的だった一文。


 星砕剣ロアル・エスパーダは鍵を壊すための剣!



 独占を欲する敵から守る盾の剣では無かったのか?


 飛翔の頭に不安が押し寄せる。


 飛王は大丈夫だったのだろうか?


 これでは飛王は何の力も持っていない状態で、神親王シェンチンワンと対峙することになったはず。

 神親王シェンチンワンの圧倒的な武力の前で、飛王は一体どうやって戦ったのだろうか?


 どうやって『泉』を守ったのか?


 守れなかったから、飛王もろとも砂漠と化してしまったのか……


 それでも、心の中で叫ぶ。

 飛王! 無事でいてくれ!


 飛翔は焦りで居てもたってもいられない気持ちになった。


 一日も早く発掘現場へ行かなくては。

 手がかりが欲しい。

 第三章があると言うことは、第一章、第二章も別の内容が書かれているはずだ!


 早く謎を解かなければ!


 そして、一日も早く飛王の元へ帰らなければ!

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