第08話 密接

 私の母の実家が海に近い古都の街にあり、私に土地勘があるという話をエリナにした時に、一度行ってみたいと言い出したので一緒にドライブすることになったんです。

 古都の街に出かけた日は初夏の土曜日で、本当に気持ちの良いドライブ日和でした。まだ夏になりきっていない、うすい色合いの青空とひらべったい雲。それでもこれから素敵な夏になっていくことを予感させるハッピーな青空でした。

 こんなドライブ日和の空の下、エリナと海デートできるなんて嬉しくて夢のようでした。エリナのことを想うと暗い悋気の感情でいっぱいになるだけじゃなくて、エリナとのお出かけを素直に喜ぶ明るい気持ちが自分の心にあることに気付いたことも、ちょっと嬉しく感じていました。

 私は実家から古くて小さいけれど、大事に使われていたきれいな車を譲り受けて持っていたので、私のマンションの駐車場で待ち合わせをして、そこから一緒に乗り込んで海に向かいました。その日のエリナは白い薄手のブラウスにベージュのコットンパンツ、つばの小さい麦わら帽子をかぶっていました。

 そんなエリナの姿を見て、やっぱり可愛い、と改めて思いました。出発してすぐコンビニに寄って飲み物とお菓子を買い込み、混雑した市街地を抜けて高速道路に入り、海を目指して車を走らせました。

 車中でのエリナとのおしゃべりは本当に楽しい時間でした。仕事のこと、仕事仲間の噂話、エリナの今の彼のこと、エリナが今まで高校、短大とどんなふうに過ごしてきたか。

 そんな話を聞いてエリナに関する知識がひとつひとつ増えていくたびに、過去の一緒に過ごせなかった時間を取り戻していくような感覚を味わい、心が満たされていくのを感じました。

 高校時代の最初の彼は先輩で、どうしようもないやきもちやきの心の狭い男だったとか、二番目の彼は同級生で、自分の部屋に遊びに来るようにしつこく誘って来たとか、過去のことなのに今聞いても嫉妬してしまうような話もたくさん聞かされ、楽しい一方で心をものすごくかき乱されて悋気する複雑な心境でした。

 エリナが生まれてから今までの時間を全て共有したい。出来ることなら独り占めしたい、そんな無理な願望に強くとらわれました。

 海に着くと海岸沿いのハンバーガーショップで軽く昼食を取り、その駐車場に車を置いて可愛いローカル線の電車に乗って古都の中心街まで行き、歴史のある街並みを散策しました。

 もともとこの地域はそのようなパークアンドライドを推奨している観光地でした。

散策している途中、人ごみの中ですれ違う男の子たちが必ず振り向いてエリナにみとれていました。本当にこの子は誰が見ても可愛いんだなぁと思いました。普通、同性だったら一緒に歩いている子が可愛くて人目を引いていたら、自分が引き立て役みたいで嫌な思いをすると思います。

 でも何故か私はエリナが人目を引いていることを自慢に思う気持ちが強かったと思います。どう、こんな可愛い子が私をこんなに慕ってくれているのよ、っていう誇らしい気持ちでした。

 可愛い小物やお土産を見て無邪気に喜ぶエリナを見て、あらためて独り占めしたい、ましてや男のがさつな手なんかで触らせたくないと強く思いました。

 そして古都の散策を終えて海沿いの駐車場に戻り、帰る時間になりました。私がハンバーガーショップのトイレから出てきたとき、エリナは駐車場の端っこの壁のようになっている堤防のコンクリートの上に腰かけて、海に沈もうとしている夕日を眺めていました。

 夕日のオレンジがエリナの全身にあたっていて、そこだけ現実ではない、CGの画像のような美しさでした。特に夕日が当たっているエリナの横顔は、そのままずっと見ていたい、そのまま固定して自分だけのものにしたいという愛おしいものでした。

 そのとき私の中に抑えきれない恐ろしい衝動が生まれました。

このままエリナを後ろから突き飛ばしてしまえば、もう誰の手にも渡すことは無い。こんな苦しい悋気から解放される。

 エリナが腰かけている堤防の壁の向こう側は、下の砂浜までコンクリートの防波堤の壁が続き、砂浜の地面までかなりの高さがありました。

腰かけている堤防のコンクリートの壁も、駐車場側の地面に立ってちょうど胸くらいまであり、危ないから乗らないようにと注意書きの看板が立てかけてあるくらいの高さでした。良くそんな危ないところに登って腰かけているなぁと、エリナのお転婆ぶりに驚いたほどです。

 いきなり突き落せば確実に自分だけのエリナにできる。そう思うとその恐ろしい衝動は私の体の中いっぱいにあっという間に膨らみ、それ以外のことは考えられなくなり、そうすることが正しいことだと錯覚するようになっていました。

 その後の世間体、たとえば私が殺人者になって一生がめちゃくちゃになってしまったり、自分の家族に迷惑がかかってしまうなど、現実の雑多なことは、もうどうでも良いと思ってしまいました。

 私は無意識にふらふらと、駐車場を横切ってエリナに近づいていきました。  

エリナのところに近づくまで、ものすごい時間がかかった感覚がありました。実際はほんの数分だったと思います。私は全身が震え、呼吸が苦しくなり、それでも一歩一歩エリナに近づきました。

 エリナとの距離が五メートルくらいのところまで近づいたでしょうか。エリナが私の気配に気づき、ゆっくりとこちらを向きました。今でもその動作をスローモーションのように記憶しています。

 とっても夕日がきれいですね、沈んじゃうのがもったいないです。というようなことを言ってエリナは笑っていたと思います。私は無表情で、でも強い決心を抱えてエリナの後ろに立ちました。そう、きれいだね。でもエリナの方がきれいだよ。永遠に。

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