第05話 天真
こんなことがありました。
エリナが急に、レイコさん、クラゲって見たことあります?と聞いてきました。
クラゲって海の中をふわふわ浮いていて透き通ってるやつ?と言うと、そうです。私、あんまり見た記憶が無いんですよね。ね、今度、水族館に一緒に見に行きましょうよって大きな瞳をきらきらさせて私を見つめてきました。
子どもっぽいなぁ、と答えつつ苦笑いを浮かべました。でも心の中では、そんな可愛い瞳で見つめられたらおかしくなっちゃうよ。しかもエリナと水族館デート?超行きたい!楽しみ!と叫んでいました。
水族館に行く日取りも決め、私は持っていくお弁当の中身を熟考しました。はずせないのはエリナの大好物の、うずらのゆで卵とポークビッツを楊枝で交互に刺したやつ。しかもポークビッツはゆでたんじゃなく、軽く焼いたやつ。メインはロール型のサンドイッチ。ハムとしゃきっとしたレタスを挟んだものと、シンプルにバターとチーズだけのもの。あとは、エリナの変わっている大好物、ぺヤングのソース焼きそば。これだけあれば一週間は暮らせるって言っていたっけ。でもカップ焼きそばって作ってお弁当に入れておくとどうなっちゃうんだろう?
私はエリナとの水族館デートを成功させるべく、熟考したお弁当を何度も試作しました。うん、ポークビッツは本当にちょっと焼くだけで十分。サンドイッチのチーズは安いプロセスチーズが割と美味しい。ぺヤングのソース焼きそばは作ってお弁当に入れたものを、後で食べても美味しい。
私は納得がいくまで何度も何度もお弁当を試作し、見栄えを含めて完璧な出来に仕上げました。
ところが。
レイコさん、やっぱり水族館なんて子供っぽ過ぎるよね。どっかショッピングにでも行きませんか?
エリナは、水族館に行くと約束した日が近くなったある日、あっさりとそう言ってのけました。
そうだね、ショッピングも良いね、夏物の服も欲しくなってきたところだし・・・
私は水族館デートの予定をドタキャンされた動揺と怒りを隠すために努めて冷静を装い、エリナに答えました。
あれだけ熟考し、お弁当の試作を繰り返した私は何だったんでしょうか?はっきり言ってこんな小娘に振り回されて浮かれた大馬鹿です。でもこの悪気なく人を思いっきり振り回すのがエリナなんだと、思い知りました。
しかしこんなことは序の口で、私の気をもませる出来事は次から次へと起きていきました。
仕事でお付き合いのあった部署から、懇親会があるからって誘われているの。仕事でも少しお世話になったから是非参加してって。
屈託なく嬉しそうに笑って意見を求めてきたので、じゃあ行ってくればいいじゃない?今後の仕事の付き合いもあるし。と私はアドバイスをしました。
でも心の中では、そんな集まりには行って欲しくない。私以外の人たちと楽しい時間なんか過ごして欲しくない。私の知らないところで私の知らない時間を過ごして欲しくない、と思っていたのです。
でもそんなことは言えません。そんなことを言ったらエリナは私を普通じゃないと思って引いてしまうだろう。
でも後でその集まりの内容がどうだったかを聞いたときは、愕然としてしまいました。
何が何でも行かせなければ良かった。どんな理不尽な理由でも良いから引き止めれば良かった。心からそう思ったのです。
エリナがその集まりに行ったとき、待ち合わせの場所にいたのはエリナをその集まりに誘った男一人だけだったというのです。
エリナが他のメンバーは?と聞くと、今日は僕たちだけだよ、としれっと言われたというのです。
そうです。エリナはグループの集まりだと思って行ったら、だまされて二人っきりのデートに付き合わされたと言うのです。
その話を聞いて私は卒倒しそうになりました。私の大事なエリナをだまして、しかも二人っきりの時間を過ごしたなんて・・・
私は、はらわたが煮えくり返る気持ちでした。その話を聞いた直後に、その男がいる部署に乗り込んで行って、その男を刺し殺したい衝動でいっぱいになりました。私の大事なエリナをだますなんて!
しかも食事をした後、この後行きたいところがあるんだと言われたそうです。さすがにエリナも、今日は早く帰らなければいけないので、とか何とか言って逃げてきたそうですが。
これからはもうちょっと気を付けようっと。と言ってぺろっと舌を出して屈託なく笑うエリナに、そうだね、と言って苦笑いする表情を浮かべた私ですが、心の中では何でそんなに無防備なんだ、おまえは!と言ってロープでぐるぐる巻きにしてどこにもいけないように柱にしばりつけてしまいたいくらいでした。
そんな私の内心に構わず、さらにこんな話をエリナは続けました。
私ってスキがあるのかなぁ。会社に入ってすぐ、工場実習があるじゃないですか。そのときのことなんですけど・・・
私は嫌な予感がしました。私たちが勤めている会社は、新入社員の研修の一環として、入社して最初の三カ月は工場に実習に行くことになっていました。工場は、若い男の多い職場です。そこに男女構わず一人ずつ放り込まれるので、工場の現場の男の子たちにとっては女の子の実習生が来たらそれは大騒ぎで、ましてやエリナのような可愛い女の子が来たりしたらそれはもうお祭り騒ぎです。
私が実習で行ったときですら実習中は飲み会やら何やら誘われることが多く、うんざりでした。最初は新人だし、職場の誘いを無下に断るのも良くないしと思って付き合っていましたが、そのうち面倒くさくなって五回誘われて一回行くくらいの付き合いにして、研修が終わった時は心底ほっとしたものです。
エリナのことだから、実習中にもいろいろと聞いたら悋気する出来事があったに違いない。そんな話、聞きたくない、知りたくない・・・
そんな私の気持ちを当然察することもなく、エリナは淡々と話を続けました。
仕事の帰り、職場の先輩が家まで車で送ってくれるって言うので、乗せてもらったんです。小さい軽自動車でした。普通に会話していて、信号で止まった時に、
急にチューされたんです!
私、驚いて、やめて!って突き放したんです。そうしたら先輩は運転席にどさっと戻った後、さらっとごめんねって言いました。その後家まで普通に送ってもらって、その後は特にその先輩とは何も無かったんですけど、あの時突き放していなかったらどうなっていたのかなぁ?
私はその話を聞いて凍りつきました。それスキだらけじゃん・・・。
何やってんだよ、警察に訴えてもいいくらいだよ。突き放さなかったらどうなっていたのかなぁ?じゃないよ。下手したらそのままホテルに連れ込まれてるよおまえは。そもそも簡単に男の車に乗るなよ。あぁやっぱり聞くんじゃなかった。
そんな昔の話に、私の心の中が悋気でいっぱいにされたことに腹立たしくて、くやしくて声も出ませんでした。
あれ、レイコさん、動揺してますね?潔癖なレイコさんにはちょっと刺激の強い話
でしたか?エリナはコロコロ笑いながらそう言いました。
私、この娘といるときっといつか心が壊れる・・・、そう確信しました。
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