ジユー・リュー・キユー

「龍神さん、龍神さん」

「何でぇ、嬢ちゃん」

「龍神さんは、ここから出たいとは思わないのですか? ここは、あなたのように大きな体の生き物には不自由でしょう? もっと広い外の世界に出たいとは、思わないのですか?」


 本を読み切った後の、束の間の脱力時間。ふと気になって、私はそんなことを、水槽の龍に問いかけた。見れば、彼は不思議そうな顔をして、こちらを見つめている。


「思わんねぇ」


 少しの沈黙の後、彼が答えた。


「昔はそんなことを考えたこともあったような気がするが、今はどうでもいいな」

「何故です? 外の方が、ここより自由でしょう? 日がな一日同じ場所にいるなんて、つまらなくないですか?」

「……ふむ。じゃあ訊くが、嬢ちゃんにとって、外は楽しい場所かい?」


 唐突の問いかけに、私は窮して黙り込んだ。龍神さんは、深海のように静かな目でこちらを見つめている。私の事情を知っていながら、なんて意地悪なんだろう。


「……いいえ」


 恨めしく思いながら首を振ると、龍は、ほうっとため息をついて、静かに答えた。


「俺もだ」


 龍は呟くと、目を、遠く薄い青の水中にやった。その様子に、今、彼が過去を見ているのだと、何故か分かった。


「俺も、外は好きじゃない。外で生きるのは疲れることだ。だから、生きるってのは、ただそれだけで、とても頑張らないと出来ないことなんだよ」


 鬼の目が、過去から、静かにこちらを向いた。人外の底知れぬ偉大さを持つ瞳が、アクリルガラスの向こうから私を見据える。


「なぁ、嬢ちゃん。自由ってなんだと思う?」


 それは、いつもと立場が真逆の問答。試すでもない、ただ私の意見を聞くとでもいうように放られたそれは、しかし、私をひどく緊張させた。


「自由、ですか………」


 声が震える。分からない。本当に分からないのだ。私には何も分からない。何も知らない。自分の意見を語るなんて、恐ろしいことが出来るほど、私は賢い人間でもなければ、価値ある人間でもない。

 かといって、分かりませんと言うことも出来ない。それを認めてもらえるほどの、人間ではない。

 だから、私は、黙るしか出来ない。


「嬢ちゃん」


 不意に、龍神さんが口を開いた。鰐のような彼の口からは、いつも、私の欲しい言葉が飛び出す。


「言ってみな。嬢ちゃんの意見は、他の奴にはともかく、俺には価値がある」


 価値がある。


 こちらの葛藤を見透かしたかのような応援に背中を押され、私は唇を噛むと、頼りない声で話し始めた。


「……自由とは、やりたいことをやれる権利だと、思います。辛かったら辛いと言える権利、楽しかったら楽しいと言える権利。それが、多分、自由ではないでしょうか?」


 ガクガクと震える足を押さえつけながら、必死に答えきって、私は目の前の龍を見た。


 彼は、微笑んでいた。


「いいじゃねぇか。嬢ちゃんはやれば出来る子だな」

「お、おだてないで下さい」

「まぁまぁ。さて、じゃあ次は俺の番だな。とはいえ、言いたいことは、もうあらかた嬢ちゃんが言っちまったんだが」


 楽しげにそうぼやくと、龍神さんは、いつものように、静かに話し始めた。


「自由ってのは、選択できるってことだ。嬢ちゃんの言ったように、やりたいこと、言いたいことを選びとれる権利が自由であり、それを侵すことは何者にも許されない。たとえ神だろうと、親だろうとな。──嬢ちゃん、俺がここにいるのも、その自由に則って、俺が選んだからなんだぜ? だから、外にいないことで選べなかったこと、享受できなかった自由は、俺にとってどうでもいいんだよ」

「そうなんですか……。でも、どうして龍神さんはここにいることを選んだんです? 先ほど仰ったように、外の世界が好きではないからですか? それなら、自分の家か何かに引きこもっていればいいのに。だって、そうすれば、いつでも、外に出るって選択肢を選べるんですよ? ここでは、外に出るのも一苦労です」

「そうだなぁ……それはな──」


 吐息のような声で泡を吐き出すと、太古の時から生きる龍は、私を見て、優しく笑った。

 鬼の目がふわりと揺れて、柔らかな気配を帯びる。


「毎日せっせと会いに来てくれる、小さな友人と話すのが、楽しいからだな」

「……からかわないで下さい」

「本気だぜ? 龍は嘘をつかないからな」

「……もう」


 ため息をついて目を逸らすと、龍神さんは面白がって、顔が赤いぜ顔が、なんて言って体をくねくねさせる。

 鬱陶しかったので、アクリルガラスを思いきり叩くと、彼は楽しげに笑った。

 私は、もう、ともう一度呟いた。

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