第五章――その声はあなたをおそらくへと手招く⑤――

「ラズワルドの法術書を、持つようにって。もう、すぐ側にあるって、そう言われました。困難を避けることはできないのかって聞いたら、それが助けになるだろうって」

「ラズワルド?」


 イーグルはぴんとこないようだったが、エディリーヌのほうは違った。


「ラズワルドに、法術書と言われると、すぐに思い当たるのはグレン・ラズワルドかしら。百年近く前の、魔法使いよ」

「有名な人なんですか?」

「それなりには」


 エディリーヌは考えこむ顔つきになった。


「非凡な才覚をお持ちだったそうよ。ただ、グレン・ラズワルドの研究は、王族からすれば危険な思想に近かったの。あまりよろしくない意味で、その名を知られているわ」

「じゃあ法術書って言うのはつまり研究書か」


 イーグルがソファの縁に行儀悪く肘をついてぼやいた。


「ますますわかんないな、そんな物が何の助けになるんだか」

(……国から危ないとされた人の研究書なんて、持っているだけで災いになりそう)


 ライアは身震いした。しかしラズワルドなる魔法使いは、調べ物と言う点ではアウルと共通するものがあるかもしれなかった。


「その研究って、ラピスラズリの小箱についてではありませんか?それならなんとなく、わかるような気がするんですけど」


 ライアは期待をこめてエディリーヌを見やったが、彼女は再び首を振った。


「それは無いと思うわ。彼は種族や、血を調べていたの」

「血?」

「グレン・ラズワルドは王族と四神の間に交わされる、血の盟約について解き明かそうとしていたの。正しくは血統かしら。わたくしも詳しくはわからないわ。何せ彼は研究のほとんどを後世に残さなかったから」


 五つ確認されているうちの、四つの大陸にはそれぞれを代表する主国があり、それら主国の王族が四神と盟約を結ぶことによって、調和が保たれている。

 主国に近ければ近いほど、魔族のはびこりは少なく、人々の生活は発展し、精霊の加護や恵みが多くある。逆に離れれば離れるほどそれらは淡く、綻びやすくなり、そういった場所で生きるならば、精霊や四神の力を宿した護符が手放せなくなる。魔族が四神や精霊を苦手とするためだ。

 魔族は、作物を荒らす鼠や害虫を躍起になって追い払うのと同じように、人間を見ればたちまち襲いかかってくる。遭遇はなるべく避け、やむを得ぬ場合には討伐の依頼を国か隊商キャラバンなど申請すべきだが、生業とする彼らとて容易いことではない。

 魔族は四神の加護を受けつけない、暗黒より生まれ出る恐るべき隣人だ。

 このアルシェルク大陸の主国は、リヴァノーラの隣国アルゼン。座する四神は風の女神だ。

 だがしかし、今やアルゼンは失われている。十年前の討伐戦に敗れ、風の女神はいずこかへと隠れてしまった。国内にはもはや、人の住める場所はないらしい。


「盟約は王族のみに明かされ、脈々と受け継がれる神秘の御業よ。グレン・ラズワルドは、だから、危険視されたのだと思うわ。研究が残っていないのは、処分されてしまったからという所もあるのでしょう。……すぐに思いついたのが彼なだけで、関連は無いのかもしれないわ。結びつけるのは早計だったわね」

「ライアはなんで、ラピスラズリの小箱と繋がると思ったんだよ。おとぎ話について何か言われたのか?」


 イーグルに指摘されて、ライアはしまったと思った。ラピスラズリの小箱について語るならばアウルとは切り離せない。そしてエレナならともかく、アウルの事を話題にする時は、慎重にせねばならなかった。

 昔、ロブに連れられた酒場で同じ年頃の子にうっかり話した時、ひどく馬鹿にされたのだ。それ以来、その子からは会うたびに長かった髪を強く引っ張られ、その子の友達まで加わっていじめられた。

 一度耐えかねて、相手がまいったと言うまで叩き返して以来、小突かれることはなくなったが、未だに顔を見合わせるたびそれとわかる聞えよがしな嫌味を浴びせてくる。

 この一件から、親が流浪の民であることは、あまり言いふらさない方が良い事らしいとライアは学んだのだった。


(……イーグルもお嬢様も、きっと馬鹿にしたりはしない)


 たとえからかってきたとしてもイーグルは粘着質ではないし、エディリーヌは平民であるライアに対して、ずっと親切で丁寧だった。今も、予言とやらが降りたライアを気遣って対策を考えてくれている。

 ライアは息を吸い込んだ。


「わたしの父は流浪の民なんです。わたしやノアが生まれる前からずっとそうで、多分、今も。その父のことについて言われたから」


 イーグルが怪訝そうに首をひねった。


「多分って、曖昧だな」

「だってもうずっと会ってないから。わたしがまだ小さかった時に家を出ていったきりだし。流浪の民が帰らないって、そういうことでしょう。最近帰るかもって手紙が来たけど……だからひょっとしたらって」


 この場にノアが居れば、もっと順序立てた話ができたかもしれない。うまく説明できないことがもどかしかった。


「お父様が探してらしたのは、ラピスラズリの小箱ではないのかも」

「どういう意味だよ?」

「いいえ、ごめんなさい。これはただの思いつき……お父様が予言に関わっている気がしたのよ。お逢いすべきなのだと思ったの」

「でもいつ帰るか知れませんよ。手紙だって、二月も前の物だったし」


 回りくどい相手の言い方にライアはやきもきした。


「再会したって良い事なんかない。ずっと居なかったんですよ、それだけでも困るのに、予言とも無関係じゃないとしたら、悪い予感しかない。こうなると、わたしの困難って、父の事を指しているのかも」

「実の娘にそこまで言われるって、どんな親父さんだよ。子供の頃に出ていったなら、ほとんど知らない相手だろ」

「ノアの言い草よりマシ。イーグルにはわからない」

「そうかぁ?オレだって片親だぜ」


 正確には片親どころか、ほとんど他人に育ててもらったようなものだ。しかしそんなことで張り合っても得るものなど無いので、教える気はなかった。

 エディリーヌが困った様子で言った。


「お逢いできればわかる気がするのよ……ひとつ、こうだと言えるのは、お父様はご家族のために、流浪の民になられたのではないかしら」

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