第五章ーーその声はあなたをおそらくへと手招く③ーー

 今度は複数の男と女の声が、同時に入り混じった声だった。彼女の唇の動きに合わせてざらざらと響き、ライアの背筋を不快な怖気おぞけが走った。

 複数の声は言った。


「「「お前の父も、すでに見つかった」」」


(父?)

「父がどうしたって言うんです、誰に見つかったの」


 ライアはなんとか言い返した。


「「「お前達をずっと、探していた者達」」」


 今度は別の意味で全身が総毛だった。


(これは何――誰?)


 今ライアの目の前にいるのは、少なくともエディリーヌではなかった。見た目はエディリーヌそのものだが、何者かが彼女の内側から己の代わりに、彼女を喋らせていた。


「「「困難が多くあるだろう。お前にはその道を選ぶことができる。継ぐことができる。けれど、好んで困難な道を辿る必要は無い。他の道にすべきだろう。お前が何を選ぼうとも、もはや針は止まらない」」」


 淡々と喋り続けながら、彼女の眼差しはまどろむ様な、彼方に向けるものになっていった。上体がゆうらゆうらと揺れ始め、小さな子供が眠気を堪える様だった。


「お嬢様、エディリーヌ、エディ!ねぇ、道とは何のこと?――困難を避けることはできないの?」


 気絶しそうな様子にライアは慌てた。なるべく丁寧に話すことも忘れて、彼女の肩を揺さぶる。質問したことの内容にライア自身驚いていると、彼女は閉じかけていた目蓋をゆっくりと押し上げた。


「「「――ラズワルドの法術書をお持ちなさい」」」


(法術書?)


「「「あれは――そのために残されたもの――もう、すぐ、側にある――どちらか一方の――きっと、助けになるだろう――」」」


 とぎれとぎれに答えると、今度こそ彼女の目蓋は閉じられた。

 繰糸が断たれた人形のように、彼女はがくりと脱力した。両肩を掴んでいたライアは支えきれず、共にテーブルにくず折れる形となった。

 落下したグラスが砕け散った音を聞いたが、それどころではない。意識を失いぐったりとしたエディリーヌを前に、ライアは慌てて声を張り上げた。


「誰か、誰か来て!」



 かちりとまた、壁掛け時計の針が時を刻んだ。

 広間から案内された別室ですることもなく、ライアは椅子に腰かけてひたすらその時計を眺めていた。異変に気づいてエディリーヌを運び出した使用人の誰かから、ここで待つようにと指示されたのだ。それからもう随分経っていた。

 初めこそ、エディリーヌが倒れたことの説明を求められるのだろうと身構えていたものの、未だに誰かが現れる気配は無かった。ぽつんと放置されたが、時間だけはあったのでテラスでの出来事ばかりを反芻していた。

(お嬢様はどうなったんだろう……あれは、なんだったんだろう)

 何度目になるかわからない疑問の答えは出てこなかった。目の当たりにした現象は、聞いた声は、未知なるものであり、ライアの知識の及ぶ所では無かった。きっと全ては、エディリーヌの意識が戻れば解決することだろうが、彼女が今、どうしているのかもわからない。


(パーティはもうとっくに終わったろうし、エリカ達はきっともう、帰っちゃったよね……)


 エリカ達のことを考えると、心細さが一気に増すようだった。

 使用人達の対応は素早かったので、エディリーヌが倒れたことや、その場にライアが居合わせていたことに気づいた者は、少ないに違いない。ライアが今こうして、右も左もわからない状況で一人でいることを知る人はいない。


(法術書……)


 頭に名称も付いていたはずだが、それを思い出すより先に、二度と開かないのではと予感していた扉が叩かれた。


「はい」


 弾かれたように立ち上がると、扉の向こうから背の高い細身の女性が現れた。


「大変お待たせいたしました」


 そう言ってライアに一瞥をくれた女性は、実に固い表情の人物だった。

 エリカは以前エディリーヌを能面と例えたが、それはこの人にこそ似合っていた。恐ろしいほど背筋がまっすぐで、そよと吹く風など物ともしない。シーナとも似通ったある種の頑固さが一目でわかった。


「当家の家政婦を務めております、メレディス・ブレナンと申します。お嬢様がお目覚めになられました。貴女をお呼びです。ご案内致しますので、どうぞこちらへ」


 丁寧だが、有無を言わさぬ口調だった。ライアは逆らわず返事をし、メレディスの後ろを黙ってついていった。

 長い廊下をしばらく歩いたのち、複雑な木目の扉の前に来た。メレディスが扉をノックすると、中から涼やかな声から返ってきた。


「お嬢様、お連れ致しました。入ってもよろしいですか」

「どうぞ」


 室内では、エディリーヌが天蓋のある大きく真っ白なベッドに寝かされていた。彼女はまた装いが変わっていた。たっぷりとした髪はみつあみに編まれて左肩から下ろされ、オリーブ色のドレスから一転、薄い灰色の寝間着を身にまとっていた。

 背に柔らかそうなクッションを挟みこみ、上半身を起こしている様は病人のようだったが、顔色は悪くなかった。 そして部屋ではもう一人、ベッド横のソファに腰掛けていた。


「よっライア」

「イーグル」


 見知った顔を見て、ライアは心底ほっとした。エディリーヌが倒れてからこれまで、ずっと緊張していたのだ。イーグルはもう、道化の衣装を着ていなかったが、顔にはまだ星の化粧が残っていた。


「……別室でお待ち頂くよう、お伝えしたはずですが?」


 メレディスがキッと、イーグルを睨んだのがわかった。


「いちいち呼びに行くのも面倒かと思って。メレディスさんが部屋から出たから、エディが起きたのはわかったし。先に待ってようかなぁと」

「そういうものではありません。殿方がみだりに、淑女の寝室に入るなと言っているのです。大体なんですかその顔は」


 メレディスの非難など聞こえていなかったように、イーグルは素早くソファから立ち上がった。


「気にしない気にしない。慣れない所でメレディスさんに監視されてちゃ、緊張して話せることも話せないって。なぁ?メレディスさんおっかないよな?」


 同意を求められて、ライアは視線を泳がせた。直感的に、メレディスは苦手な相手だとは思ったが。


「良いのよメレディス。わたくしが居てもらうように頼んだの」


 エディリーヌがそう言ったが、メレディスは黙っていなかった。


「お嬢様もいけませんよ。噂がたったらどうします。醜聞好きな、若い使用人達全ての口を塞ぐなんて、できはしないんですよ」

「噂がたったって、本当のことはオレ達がわかっているんだから平気だって。メレディスさんは頭が固すぎるよ」

「固くて結構!貴方のおつむが柔らかすぎるんです」


 語尾を強めて言い捨てると、メレディスはエディリーヌに一礼した。


「御用があればお呼び下さい。私は外におりますので」

「ありがとうメレディス」


 お固い家政婦が立ち去った後、イーグルはこっそりとライアに耳打ちした。


「あれでエディにはかなり甘いんだぜ。オレがこうしているのも、あの人のおかげだし。信用できる人だよ」


 それはイーグルに対しても甘いからに違いなかった。小言をつけ加えてはいたが、信頼している故、ある程度目をつぶっていると見受けられる。

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