第五章ーーその声はあなたをおそらくへと手招く②ーー
気兼ねなくご令嬢が自分の名前を呼んだことも、かすかな驚きだったが、お礼の意味がわからなかった。
「お礼を言われるようなことをした覚えがないんですが?」
「壇上に獣が現れた時、止めてくれたでしょう」
「ええと、魔法使いだって人が何かしたのは知ってますけど……あとは、イーグルが色々としてたのも」
「わたくし達が獣に跳びかかられそうになった時、何ごとか叫んでいたでしょう。あの時なんと言ってらしたの?」
話の内容から察するに、エディリーヌはどうも勘違いをしているらしい。ライアは首をひねった。
「あれは、あの時はその、夢中で叫んだけど、何かした覚えは本当に無いんです。半分夢の中にいたような気分で、とにかく訳がわからなくて怖かった。」
「……そう。そうよね、あの時は貴女も大変だった……おかしなことを言ってごめんなさい。わたくしの思い違いだったみたい」
「いえ、そんな」
エディリーヌは何やら落胆した様子で再び伏し目がちになった。がっかりさせてしまったことは申し訳ないが、一向に身に覚えが無い。
ライアが想像していたよりもずっと、話しやすい相手だったが、やはりどこかずれていると感じた。人とあまり話さないせいだろうか。
(エリカの言ってた追放って、やっぱり本当なのかな)
そのことを考えると他人事とは言え、もやもやとするものがあった。聞けば答えてくれるような気もしたが、さすがにそこまで恐れ知らずでは無かった。
ライアが喉の渇きから、グラスの水を一気に飲み干すと、懐かしい歌が聴こえてきた。
そは偉大なる魔法使い
そは素晴らしき魔法使い……
旅芸人の面々が、すっかり打ち解けあった様子の合唱団の少女達と、歌いあっているところだった。ライアもよく聞く、わらべ歌だ。
そは偉大なる魔法使い
そは素晴らしき魔法使い
荒れた大陸おとずれて
ひとつの箱をつくりたもう
赤き血しおのその箱は
宝隠すはラピスラズリの小箱
王は家宝にせんと民草呼びだし
民草さまよい鍵さがさん
小箱の宝を手にいれんがために
小さな拍手と、笑いあう声が重なりあった。皆ほろ酔いの、良い加減だ。
「流浪祭ならではね。異国の方も知ってらっしゃるとは思わなかったわ」
気を取り直した様子で、エディリーヌが微笑んだ。
「わたし、久しぶりに聞きました」
「わたくしもよ。兄がよく歌ってくれたわ」
「お兄さんがいるんですね」
「いた、が正しいわ。亡くなられてしまったから」
エディリーヌの話を聞きながら、ライアはふいに、最近見た夢のことを思い出した。
夢の中のライアは幼くて、同じベッドで眠るノアはもっと幼くて、家の中にはまだアウルの気配があった。眠らないライアに、エレナが小箱の物語を読み聞かせてくれていた。
『実は小箱の物語には続きがあるの……』
ランプの灯りのもと、エレナの瞳はいたずらっ子のように映えていた。
「そういえば知ってますか?小箱の物語のこと。この話って続きがあるんですよ」
記憶の呼び覚ますままに話しだすと、エディリーヌがライアを見返した。
「流浪の民の旅は終わらないというお話の、その後と言うことかしら?」
「そうそう。わたしも小さい頃にお母さん、母に、寝る前のお話として聞いたことがあるだけなんですけど」
「寝物語だなんて、素敵なお母様ね。わたくしは聞いたことが無いわ、どのようなお話なの?」
こちらへ身を乗り出すエディリーヌの瞳は、夢の中のエレナと同じに輝いていた。
ライアは、相手がまだ自分と同年代の少女だったということに気づいた。エディリーヌは肩書きを挟まなければ、接しずらい所もあるが大変可愛らしい少女だった。
(なんだ、この人は普通の女の子だ……)
ライアは初めて、エディリーヌに笑いかけた。
「小箱に閉じ込められた宝って、お話に出てくる王様以前に、元々の持ち主がいたんですって。小箱の魔法使いはその人から、宝を譲り受けたんだそうです」
幼いころ一度聞いたきりの話だった。 エレナが亡くなって以来、記憶のすみに追いやっていたが、それ以前は書店や図書館などで見かけて、なんとなく確かめるように目を通したものだった。
しかしいずれにも、エレナがライアに聞かせたような記述は無いのだった。
もしかしたらあれはエレナが、ライアを寝かしつけるために、または喜ばせるために作った、一晩限りの寝物語だったのかもしれない。
あるいはあの夜こそ、夢だったのかもしれない。
「でもどの本にも載って無かったし、きっと母の創作だったのかも――」
「見つかった」
突然エディリーヌがライアの手に、自分の手を重ねて呟いた。その手の冷たさに驚いて相手を見れば、エディリーヌは青い目を見開き、怖いくらいの眼差しで、食い入るようにこちらを凝視していた。
エレナと同じ色の彼女の瞳は、冬の湖面のように冷ややかで澄んでいた。それ故美しいのだが、今や得体の知れない深さを伴っていた。先ほどまでの朗らかな表情は、影形も無く、表情がすとんと抜け落ちている。
「お嬢様?」
ライアが呼びかけると、エディリーヌが再び口を開いた。
「「「お前は見つかった」」」
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