第五章ーーその声はあなたをおそらくへと手招く①ーー

 テラス席と言う、館から外を眺められる場所には、真っ白な椅子とテーブルのセットがあった。ライアは導かれるままそこに座り、体の火照りを冷ましていた。

 暗い庭の向こう、館の柵のその更に向こうから、ひんやりと心地よい風に乗って、町の喧騒がかすかに聞こえてくる。


「どうぞ」

「あ、ありがとうございます……」


 ほとんど〝ありがとうございましゅ〟と、舌っ足らずな発音だったことを恥じ入りながら、ライアは差し出されたグラスを受け取った。

 エディリーヌは水差しをテーブルに置き、対面する形でもう一つの椅子に腰かけた。何か話題をふるべきだろうか。しかしライアにはお嬢様を満足させられるような話題など持ち合わせが無いし、エリカの忠告も気になる。向こうから声をかけてきたことも、こうして対面していることも嘘のような出来事だった。

 ライアは相手を直視できずにグラスを口元に運んだ。それと同時にエディリーヌが、なにやらおずおずと、遠慮がちに訊ねてきた。


「――その、お料理はお気に召されて?」

「!」


 ライアは口に含んだ水が変な所に入り、ごほごほと盛大にむせ返った。苦しみの最中(さなか)で細い、たおやかな指先がライアの背を撫でるのを感じる。これがシーナならば、もっと激しく、叩くようにさすられているところだ。

 ひとしきり咳きこんでから上体を起こすと、エディリーヌが心配そうに覗きこんできた。


「大丈夫?」

「だ、大丈夫、です」

「悪酔いしたのではなくて?誰か呼びましょうか」

「ほんっとうに、大丈夫です。むせただけですから」


 これ以上の恥の上塗りはやめてほしい。ライアは必死で、今にも使用人を呼びだしそうなエディリーヌを止めた。確認したいこともあった。


「あの、もしかして、わたしのこと見ていたんですか?」


 うぬぼれ屋の言い草だと、ライアは我ながらに思った。問われたエディリーヌは陶器のような頬をうっすら赤く染め、手を這わせた。


「ええ、その、気持ちの良い食べっぷりだったもので、つい、ほれぼれしてしまって」

「い、いつから……」

「ほとんど最初から、召し上がられていたわよね?」

「……」

「同年代の女の子で、テーブルの前からほとんど動かない方を見たのはその、初めてで……グラスの交換も早かったし、ひょっとしたら、お酒と気づいていないのではないかしらと思って……」

「……ご、ごめんなさい」

「何故謝るの?」


 つまり、最初から見られていたのだ。あまつ、介抱じみた事までさせてしまった。ライアは穴があれば入りたかった。

 なんならこのテラスから飛び出して、自ら穴を掘って入りたかった。広大な庭だ。森も広がっているし、深い穴の一つや二つ、掘り放題だろう。しかしここは彼女の館で、庭も森も彼女のものだ。これ以上迷惑はかけられない。

 若い娘が……と再びシーナの小言が聞こえてくるような気がした。

 恥ずかしいやら申し訳ないやらで俯きだすライアへ追い打ちをかけるように、エディリーヌは促がしてきた。


「デザートはもう召し上がられたかしら?林檎のパイが先ほど焼けたばかりだったのよ」

「いえ、あのぉ、お構いなく……」

「林檎はお嫌い?」

「好きです。好きですけどお構いなく……」

「そんなに遠慮なさらないで」

(食いしん坊だと思われてる……絶対、思われてる)


 エディリーヌの気遣いが逆に居たたまれなかった。エディリーヌはライアの名前すら知らないだろうし、今後きっと関わることなど無いだろうが、だからこそ余計な印象を残したくはなかった。

 俯くライアとは対照的に、エディリーヌは朗らかだった。


「あぁ、でも、パイは大皿ごと持っていかれたのだったわ……ごめんなさいね、次が焼けたらこちらにも運ばせるわ」

 はたと、おどけながら現れた、道化姿のイーグルが、ライアの頭をかすめた。

「あの、お嬢様はイーグルとはどういう関係なんですか?」



 エディリーヌがきょとんとした顔をこちらに向けていた。ライアはしまったと思ったが、今さら遅い。唐突で、あまりに不躾な質問だ。ノアのことなど指摘できない。酒のせいで、舌の根が緩んでいるのだと思い込みたい。

 ざっと血の気が引くライアに、エディリーヌは小首を傾げながら無邪気に言った。


「貴女も彼のことが好きだったの?」

「えっ!」


 とんでもない切り返しに、ライアはちぎれそうな程激しく首を振った。


「まさか!ありえないです!」

「そう?シャリス嬢に遠慮しているのではなくて?」

「シャリス……エリカですか?それを抜きにしたってないですよ!良く知らないし……なんて言うか弟がいたらこんな感じかなぁとは」

「もう優秀な弟さんが一人、いらっしゃるじゃない」


 ライアは驚いた。


「ノアを知ってるんですか?」

「ノア・フィージィでしょう?有名ですもの」

「お嬢様ほどじゃないです」

「まあ」


 エディリーヌがころころと声を出して笑った。手放しで笑う彼女は、近寄りがたく汚れない白百合から一転、ほころぶカミツレの花を思わせる純朴さだった。

 ひとしきり笑ってから、エディリーヌは居ずまいを正した。


「あいさつがまだだったわね。有名ならばご存知かもしれないけれど、エディリーヌ・メアリアン・ローズよ。どうぞよろしく。同じ学校に通う同級生なんですもの、畏(かしこ)まるのはよしましょう」


 どうせもう、恥ずかしい所は見られているのだ。せっかく向こうから歩み寄ってくれているのだし、遠慮するのももったいないと言う気がしてきた。ライアもエディリーヌに習い、正式に名乗ることにした。


「ライア・エレナ・フィージィです。今日はご招待ありがとうございます、壇上で歌われているのが、とても素敵でした。お料理もすごくおいしかったです」

「どうもありがとう。エレナと言うのは貴女ご自身のもの?それともご家族の方のお名前かしら?」

「母です。ノアは、弟は父から」

「そうなのね。わたくしは、おばあさまから頂いたの。エディリーヌと名付けてくれたのも、その方よ」


 エディリーヌは視線を手元のグラスに戻し、その淵をつつうっとなぞるようにした。彼女の整った細い指先に合わせて、グラスがきぃんと鳴り、水が震えて細かな波紋が生まれた。


「最初の質問だけれど、イーグルとは良い友人よ。――そう言ったら、貴女は信じてくれる?」


 少々探るような口調だった。ライアが頷くと、心なしか、ほっとしたように見えた。

 ひょっとしたら、イーグルが特定の女の子と個人的に親しくなったと知った女の子達は、その相手がエディリーヌだとわかると、遠ざかるようになったのかもしれない。それだけではなく、直談判もあったのではないだろうか。

 相手が相手なのでやっかみも控えめだったのだろうが、気の強い女の子ならばありえることだった。


「良かった。少し事情があって……あまり人と話さないようにしているの。彼はそれを知っているから、気にかけて側に居てくれようとしているみたいね。だから女の子達が考えているような間柄ではないのよ」


 ノアへの接し方を見ていると、納得できることだった。

 イーグルはどうも、集団の中で孤立気味の人間を見ると、わざわざ好んで構いにいく所があるようだ。社交的とは言い難いノアには良い薬だと思うが、ご令嬢相手でもそうなのは無礼とも恐れ知らずとも言えた。


(あぁ護衛なんだっけ)


 エリカの見立てに、間違いはないようだ。


「わたくしは彼に感謝しているの、きっと向こうは忘れてしまっていることだろうけど……それを伝えたくて合唱団の子達にお願いして、一曲歌わせてもらったのよ」

「だから壇上にいたんですね」

「こんなことは今日だけよ。今日だけの特別」

「えっと、でも歌うことがどうして感謝を伝えることに繋がるんですか?」


 エディリーヌは少々驚いた様子でさっと目を伏せた。

 これには逆にライアが焦ってしまった。


「すみません、聞きすぎました」

「いいえ、隠すようなことでは無いわ……今日わたくしが歌ったのは、彼の生まれ故郷ではありふれた子供たちの遊び歌よ。少し調子を変えて聖歌のようにしてみたのよ。……懐かしんで、少しでも慰めになればいいと思って」

「王都の子もそうやって遊ぶものなんですね」


 ライアも、エレナやシーナから、手で作った形を何かに見立てて歌う遊びを習ったことがある。夕暮れの中、ノアとお互いに頭の上で両手を組み、映る影法師を巨人の目玉に見立てて遊んだりもした。

 エディリーヌはほんの一瞬不思議そうにライアを見返したが、すぐに元の微笑みを浮かべて言った。


「確かに貴女は違うみたい。イーグルを嫌いでは無いけれど、恋焦がれている訳でもない。わたくしと同じ」

「明るくて、楽しい人だとは思います。あと、ノアの口の悪さにめげない、貴重な人だとも。きちんと話したのは、今日が初めてでしたけど」


 くすくす笑いながら、エディリーヌは髪を撫でた。


「そうだわ、ライア。貴女にはお礼も言いたかったの」

 

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