第四章――町のはずれの館にて④――

「なんだ、普通に元気そうじゃないか」


 ライアがまわりを眺めながら、何杯目かのおかわりを口に運んでる途中、そう呟いてグラスを取る人物とばっちり目があった。

 長くて黒々としたざんばらの前髪の隙間から、猛禽を思わせる鋭い金色の瞳がライアを捕えていた。清しい顔立ちは、この辺では見ない異国の人のものだ。

 髪色と同じく真っ黒な、羽のようなローブに身を包むその人物は、ライアより頭ひとつぶんは背が高かった。鳥のくちばしのような被り物をずらして頭に載せており、ジャラジャラと連なった色石の飾りが重そうだった。旅芸人か道化の一人と思われた。

 その人物はライアを一瞥するとにやりと、口の端を持ち上げた。


「それだけぱくつければ充分だな」


 皮肉られたとライアが気づいたのは、口の中のタルトを飲みこんだ後だった。意味に気づいて顔を真っ赤にした時には、もう相手はその場から立ち去っていた。

 相手が奇妙な装いだったのでつい見つめてしまったが、話しかけられたとは思っていなかった。

 色とりどりの衣装の中で、真っ黒なその人はすぐ見分けがついたが、わざわざ言い返しに向かうのもどうかと思えて、足が動かなかった。相手はひとり言のつもりだったかもしれないし、思い返せば実際、ライアは良く食べていた。

 若い娘が話に花も咲かせずに、はしたなく食べてばかりいるから……と小言を溢すシーナが容易に想像できた。

 すぐさま言い返すことができなかった自分を、憎らしく思いながら大人しくグラスに口をつけると、黄色と赤が半々の道化の衣装に身を包んだイーグルが、林檎のパイの乗った大皿をずいと、ライアに差し出してきた。


「そろそろ甘いものはいかがですか?お嬢さん」

「イーグル、なんて格好してるの!」


 ライアは思わず飲み物を吹き出しそうになった。彼の両目のまわりには星の化粧が描かれ、赤いボール状の付け鼻と共に、ひょうきんさを醸し出している。だぼっとしたつなぎの衣装も、頭からはえた二股の被り物も、彼に良く似合っていた。

 イーグルがまわりを笑わせるつもりでその格好をしているのがよくわかり、結局、我慢できずに笑い出してしまった。

 ひとしきり笑うと、イーグルが指をたててしーっと言った。


「エディの雇った道化師達に、紛れ込ませてもらったんだ。だから内緒な」


 エディと言うのが、エディリーヌのことを示しているとライアは気づいた。愛称をこうも気軽に使うあたり、護衛業にあってもイーグルはイーグルだった。


「エリカはあっちよ。ばれたらまずいの?」

「もうとっくにあいさつしたよ。ただ、ちょっとな。どう?違和感ないだろ?」

「似合いすぎてもう、ダメ。ああ、お腹が痛い、こんな風に出てくるとは思わなかった。びっくりした」


 イーグルはつい今しがたの出来事を見ていたようだった。


「あの魔法使いに何か言われたのか?」


 イーグルが視線で示す先には、あの鳥の装いの人物がいた。


「魔法使い?あの人魔法使いだったの?」

「多分な。とりあえず魔獣を止めてライアを失神させたのは、あいつで間違いないぞ」


 ライアは笑いすぎて涙の浮いた目を見開いた。再びその人に視線を向けると、芸人の女性になにやら艶めかしく寄りかかられているところだった。

 ライアは自分の中で築き上げてきた魔法使い像を、再び新しく建築しなければならなかった。

 このリヴァノーラにおいてさえ、魔法使いがそこかしこを闊歩しているわけではない。生まれながらの家系、御三家などはそう名乗っても遜色ないだろうが、本来魔法使いとは狭き門である。

 学業で学びこそすれ、よほど才能がある者が探究して行き着く先がそこなのだ。だからこそ、皆基礎でつまづき断念する。授業を請け負っているのも、年配の教師ばかりだ。ライアが抱くのも、髭を蓄えた賢い老人だった。


「……杖を持っていないみたいだけど。というか、おそろしく若かったような」


 下手すると、ライアとそれほど変わらないと思えた。とはいえ顔を見たのは一瞬だったので、単に童顔なのかもしれない。


「顔見たか?オレは見れなかった。でもやっぱり若い感じだよな」


 イーグルはうんうんと頷いて、赤い丸鼻を掻いた。


「たださ、魔法使いか?と聞いて否定はされなかったんだ。そうでなければおかしい発言が多かったな。嫌味っぽい所が優等生に似てたよ」

「誰がなんだって?」


 件の嫌味な優等生が、いつのまにか近くに立っていた。

 ノアは空のグラスを弄びながら、イーグルの格好を上から下まで眺めた。


「少し見ないうちに、なんて格好だよ。転職したわけ?」

「よ、楽しんでる?どうだ、飯うまいだろう」

「なんでお前が自慢げなんだ。ライア、ぼくそろそろ帰るから」

「え、もう?」


 イーグルに呆れながらそう言うノアのお皿は、汚れていなかった。空のグラスも最初に配られた物のままのようだ。ライアは驚いた。


「全然食べてないじゃない、せっかくのご馳走なのに」

「いいよ、ぼくは。いつもの酒場にまだ、おじさんがいるだろうから、そこで何かもらうし。ライアはエリカの家にでも泊まったら?」

「学校が休みでも、たとえお祭りでも、鶏の世話はいるんだから朝帰りなんかできないでしょ。そこまではめは外さないつもり」


 つんと言い返したライアを、ノアは片眉を上げて見返した。


「ならライアが来るまで待ってもらうか、迎えに来るかしてもらうよ。おじさんだってきっと楽しんでるだろうし。とりあえずライアも、アルコールはほどほどにしときなよ」


 ライアはきょとんとしたのちに、まさか、と半分の量になったグラスを見つめた。


「え、これ、お酒だったの?」

「……まさか気づいてなかったとか言わないよね?」 


 ロブの好む麦酒ビールを酒場でもらったことがあって以来、酒とは苦い物という印象だったため、苦手としていたのだ。何かの折に、シーナが開けてくれる葡萄酒ワインもあまり好みではない。甘口の酒の存在を、ライアは初めて知った。


「ジュースだとばかり思ってた。えぇ何杯目だったろう、これ」

「ライアって意外と酒強いのな」


 イーグルは感心したような口ぶりだ。ノアはため息をつき、今一度、姉にダメ押しした。


「そこそこの時間になったら迎えに来るから、おとなしくしときなよ。酔っ払いの介護なんてごめんだから。――エリカが言っていたことも忘れないように」


 ライアはどきりとした。忘れたつもりはないが、考えないようにしていたことだった。それ見たことか、と言いたげなノアに、わずかとなった姉の威厳をなんとか振りしぼった。


「そこまで自分を無くしたりはしません。そっちこそ、帰り道わかってるんでしょうね。一人の夜道は危ないんだからね」

「まっすぐ来たんだから迷うわけないだろ、自分の心配をしなよ」


 するとイーグルが止める間もなく、ノアからお皿とグラスをかっさらって提案した。


「よし、オレが町まで一緒に行ってやるよ」

「はぁ?やだよ」


 心底嫌そうなノアに、イーグルはどんと来いと胸を張った。


「祭りの日ってのは、変な奴が出やすいもんなんだよ。優等生みたいに体力ない奴は、いざって時逃げきれないぞ。護衛だよ護衛。オレも酒場の飯食いたくなってきたし」

「本音が駄々漏れしてるぞ!ぼくはこんなとんちんかんな格好した奴と、夜道を歩きたくないって言ってんだよ!」

「貴族のご馳走もたまには良いけど、やっぱがっつり食うなら酒場だよなー」

「聞けよ!」


 騒ぎながら、二人は意気揚々と館から出て行った。ライアは正直イーグルの提案はありがたかった。夕餉の時間に町をうろつくのは、二人とも初めてのことだったのだ。


(……イーグルがお嬢様の側を離れて、大丈夫?)


 見送った後で気づいたが、それこそライアが心配してもしょうがないことだった。

 エリカの忠告もあるし、少し食休みして彼女と合流することにした。――けして、魔法使いと言われた人物の発言を気にしているわけではない。

 そうしてライアが水と、座れる所を求めてうろうろしていると、にわかに足元がふらついた。なんだか体がふわふわとして良い気持ちだ。

 酒がまわり始めているのだった。頬が赤くなったまま戻らないのも、火照りのためだ。


(ノアが帰った後で良かった……嫌味も小言も、今日はこれ以上聞きたくない。せっかく楽しい気分なんだから)


 ライアは飲み物のグラスを運ぶ使用人を発見し近づいたが、トレーに乗っている物はどれもほんのり色づき、ほのかに泡を発していた。水ではないし、どれもきっと、ただのジュースではない。今は一旦、水を飲まなければ。


「お水ならば、テーブルの水差しよ」


 ライアの背後から遠慮がちに水のありかを告げたのは、清廉な声だった。

 こんな風に呼びとめられるくらい、傍目にはふらついているらしい。耳に心地よい少女の声は合唱団の誰かだと思い、お礼を言おうとふり返ったライアはそのまま息を飲んだ。

 何の間違いなのか。暗いオリーブ色のドレスに身を包んだ少女の青い瞳は、確かにライアを見つめていた。


「大丈夫?――良ければわたくしが持ってきましょうか?」


 館の主、エディリーヌ・ローズその人が、再び心配そうにライアに呼びかけた。



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