第四章――町のはずれの館にて③――

 その館はネルサンの町はずれにあり、今日行った劇場と同じか、一回りかは大きな建物だった。来るものを拒むような重い柵に囲われ、背後には鬱蒼うっそうとした暗い森が広がっている。到着する頃には、すっかり日が沈んでいた。

 街灯が灯っていたし、よろしくない話を聞いたばかりと言うこともあって、一同なにやら身構えてしまった。窓から漏れる灯りすら不気味に見えた。


「ご学友一同、ご到着でございます」


 のびやかな声で告げる使用人に促がされるまま、ライアはこれでいいものかとおっかなびっくりしながらエリカに続いた。通された部屋には数名の少女達、合唱団の面々となじみの顔もあった。


「エリカ、ライア、会いたかった~」


 胸を撫で下ろすようにそう言ったのはクレアだった。優しいまなじりをより一層垂れて微笑む様子は、いつもの彼女となんら変わりが無く、ライアは心底ほっとした。


「クレア~大丈夫だった?心配したよ」

「全然元気だよ、大丈夫。それよりも緊張しちゃって。合唱団の皆、半分は来なかったし。ライアも災難だったよね。……エリカも残念だったね」


 おっとりと蒸し返すクレアに、エリカは頬を膨らませた。


「ホントよ!まさか彼女が絡んでくるとは思わなかった!わたしのエスコートは誰がしてくれるの?これから見せつけられるのかと思うと……もう」

「よしよし可哀そうに。愚痴は聞くよ」

「でも、そんなに気にすることでも無いのでは?」


 クレアが事情を把握しているらしいと判断したライアは首をひねった。雇用関係であるなら、それ以上の進展は無いはずなのでエリカの嘆きがよくわからなかった。

 エリカは呆れ半分でライアに訴えた。


「あのねぇ、自分以外の女の子の世話をあれこれ焼く男の子なんて、見たくない物なの」

「それとこれとは別問題だよ~ライア」

「……そういうもの?」

「そういうもの!」


 そういうものらしい。

 こんなに我を忘れてしまう物が恋ならば、なんてやっかいな感情だろうと考えるライアは、やはり自分は初恋すら未経験なのだと改めて思い知った。

 しばらく女の子同士でかしましく談笑していると、先ほどの使用人がまた現れてこちらでございますと、扉の向こうへと案内した。

 ライアが客間だと思っていた部屋は、実際は待合に使われるのだそうだ。ぞろぞろと列をなしてその部屋を後にした。

 田舎者はまず上を見るとは言うが、ライアも例にもれず、ポカンと見上げてしまった。

 なにせ照明がいけなかった。植物なのか、意味のある物なのかわからない細かい模様がびっしりの高い天井から吊るされているその照明は、一粒一粒の細やかな透き通るガラス細工が連なり、それぞれがオレンジ色の暖かい光を放っていた。

 壁にはめ込まれたランプや、町の街灯とは違うそのきらやかさに、ライアは目を奪われた。なんて美しいのだろう、いくらでも眺めていられる自信があった。


「口開いてる」


 ノアに脇を小突かれてやっと、頭を戻したライアだった。しかし、どこに目を向ければ良いのかわからなかった。

 壁には立派な額縁の絵画が飾られており、長い、何製なのかわからないテーブルでは、様々な大皿に載せられた見たことも無い出来立ての料理が、湯気を放っている。

 床は一辺の埃も無く靴の裏がくっきり写りそうな程磨かれ、使用人やらメイドやらが、背筋を正して部屋の隅に並んでいる。

 子供の頃に想像したことのある、お城の風景が目の前に広がっているのだ。気を引き締めるつもりでいたが、これは、はしゃぐなと言う方が無理だった。

 ライアだけではない。女の子達皆、浮足立ってきょろきょろとしているではないか。

 まわりを見回していないのは、エリカとティネーフとノアぐらいだった。この三人は同じところを見ていた。


「皆様ようこそお越し下さいました」


 三人の視線の先にいた少女が、透き通る声でたおやかに膝を軽く折った。

 豊かな栗色の頭髪を頭の両側の房だけ編みこみ、残りは全て背に流して、暗いオリーブ色のドレスに着替えたエディリーヌが柔らかく微笑んでいた。


「わたくしの急なわがままにお付き合い頂き、皆様どうもありがとう。大変嬉しく思います。余興にと、彼らもご招待致しました」


 エディリーヌの背後に護衛か使用人のように並んでいた面々を見て、皆が一様にあっと息を飲んだ。服装と言い、肌の色と言い、明らかに異国の人々だ。

 中でも愛玩犬を思わせる顔をした、羽ばたく耳の小人にライアは注目した。

 小人は片眼鏡オラクルを光らせ、キィキィと甲高い声を張った。


「このたびお招き頂きましたのは、しがない旅芸人、放浪一座でございます。私わたくしめは一座団長のノックトックと申します。えぇ、お察しの通り、卑しいコボルトでございます。お可愛らしいお嬢様方、少ないですが坊ちゃん方。うちの獣めが大変な失礼を働きました。お詫びになるとも思えませんが、どうか挽回の機会を私どもにお与えくださいませ。きっと、きっと、お楽しみ頂けるとお約束します」


 忘れ難い思い出を掘り起こされて、皆一様に目を泳がせた。

 あの魔獣はここにはいないようだが、どういうつもりだろうとざわつく中、不健康そうなぎょろ目の男が、手にしていた弦楽器を弾き鳴らした。

 その旋律は高らかに響き、緩急をつけながら滑らかに室内を満たした。複数の音を同時に放つ男の指使いはすさまじく繊細で、その見た目からは想像しがたい技巧だった。

 たった一人で奏でているとは思えない、見事な演奏だ。

 それに合わせて声を発したのは、一番体格の良い黒い肌をした男だった。太い低音の声は力強く、腹の底に落ちてくるようだ。美声と言えた。

 最後に目尻を赤く染めた美女が、柔らかな肢体をおしみなくくねらせた。指の先から爪先まで、この体の全てがまわりを魅了するためにあるというような、妖艶な踊りだった。

 眼差しは蠱惑的で、微笑みは妖しい。見つめられた者は誰ともなく頬を赤らめた。


「いかがでしょう?今宵限り見られる異国の夢でございます」


 小さな複数の笑い声は、了承を意味していた。柔軟で、好奇心旺盛な十代の女の子が多かったのも良い傾向だったろう。

 放浪一座は舞台を手に入れ、エディリーヌが皆に飲み物のグラスを行き渡らせた。


「せっかくの流浪祭です、どうか楽しんでらして下さいね。今宵、そして明日が良き日でありますように……」


 乾杯の合図と共に、これでもかと言うほど薄いグラスに注がれた半透明の液体を、ライアは一気に飲み干した。

 何の果物かは思い当たらなかったが、大変甘いジュースだった。

 唇に残った甘みをひと舐めすると、壁際で置物のようにしていた使用人がフォークとお皿を手渡してきた。

 白い陶器のお皿は驚くほど軽くて薄く、フォークは磨かれて滑らかに光る。うちにある銀のスプーンとは大違いだとしげしげ見つめていると、使用人がまだ側に立っていた。

 なんだろうと思っていると、もう片方の手に飲み物の入ったグラスの乗ったトレーを掲げている。困ってまわりを見ると、どうやら空のグラスと交換して飲み物を絶やさない仕組みらしい。

 なんとなく真似してグラスを取ると、正解だったようだ。使用人はにこやかに側を去っていった。


「立食パーティってことみたいね」


 エリカがグラスを片手に囁いた。


「確かにこれなら、貴族も平民も関係ないわ。ライア、ノア、食べたいものがあれば自由にとって大丈夫よ」

「フォークさえあればどうにかなるわけね」

「そうそう、マナーは気にしなくてもいいわ」


 ナイフとフォークで食べ物をお上品に口に運ぶ想像をしていたので、ライアはほっとした。学生と旅芸人という客人なので、配慮されているようだ。

 お腹が空いていたこともあり、ライアはさっそく料理に食いついた。大皿に盛られた料理はつまめるような物から、トングやスプーンを使ってよそう物もあった。

 見たことのない食べ物が多く、気味悪い見た目のものなどはなんとなく手をつけなかったが、なじみの深いジャガイモの料理は格別だった。もちろん、素材も調味料も段違いの物を使っているのだろう。

 料理の中でも特に、塩気の強い卵のタルトがライアは気にいった。

 小ぶりな見た目と片手で気軽にサクサク食べられるのが良い。グラスの飲み物も最初の物とは違った味わいだ。ほのかにしゅわしゅわと、口の中で弾けるのが面白かった。

 段々と、館の雰囲気が最初の時よりも柔らかくなってきた。各々の緊張が解け、料理や旅芸人の音楽を楽しみ談笑したり踊ったりしている。

 ティネーフはエリカのエスコート役に徹しているようだ。

 クレアと一緒に彼女が動くたび、後ろをついて回ってる。そういえば館に来てから一度もイーグルを見ていない。てっきり先についている物と思ったのだが。

 ノアはいつのまにか旅芸人のコボルトに何やら話しかけていた。彼らも自由に飲み食いししているようだ。イーグルとは別の意味で不躾な所がある弟だ。何か失礼な事をしないと良いが。

 そういえば旅芸人の他に、派手な服装や化粧をした道化が増えていた。きっとほかにも、招待客がいるのかもしれない。

 メイドや使用人は足早にせっせと料理を運んだり、食器を片している。彼らの仕事の素早さと言ったらない……

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